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2008 Vietnam Tour4

photo by T.Hagiwara

2008/12/28.
6:00起床。今日は急遽の移動日となる。当初29日の移動であったが本日の夜サッカーの試合がここであるために、混乱を避けるために早々とホーチミンに移動することになった。まあ、それを知ったのも昨日の夜だったが。6:30に食事を取り7:30に出発。すばらしいホテルのおかげで体調は万全だ。ただ、結局ハノイの街を歩くことはできなかった。?
photo by masao

photo by masao

まあ、またくればいいか。バスの窓からだけの市内探訪。そして、1時間もするとノイバイ空港に到着。9:50のindochina航空に乗るという。indochina航空?聞いたこともない航空会社だ。

photo by aki

photo by aki

 

本当にそんな会社あるの?とおもったらちゃんと空港にバナーも出ている。フム、不思議だ。日本ではわからないことがたくさんありすぎる。

photo by aki

photo by aki

 

本来は後続組が到着して、一泊してからホーチミンという予定が今日に前倒しになった。その代わりに必ず後続組がきてからホーチミンに移動したいということを言ったのだがフライトは9:50分。。ぜんぜん間に合わない。チケットも無く到着した後続組はどうするんだと問い詰めるとVANは「では私が待ってチケットを渡します」という。根本的に何故時間のこの時間に設定したか分からない。結局VANだけでは顔がわからないということで酒井氏が残ることに。それがわかるとVANはチケットを酒井氏に預けて先発組に。まあ、二人でいる必要は無いわけだが。何かおかしい。結局後続組でくるAVEXの宮脇詩音はこないことになった。スケジュールが見えない以上仕方が無いことだ。もし、きていたらぞっとする。ハノイに到着して、そこにはすでに僕らの一行の姿が無いとしたら。日本ではありえないこと。日本だったら、この先プロモーターとしての仕事を確実に失うようなことだ。

photo by T.Hagiwata

 

まあ、ここはベトナム。そういってしまえばそれまでではあるが、VANにその辺を問い詰める。彼女自身この不可抗力的なトラブルの対応でここ数日深夜までずっと後処理に回っている。かわいそうではあるがこれはビジネス。甘いことを言っていたら彼女にとってもプラスにならないし、なによりも自分達が痛い目を見る。あえて厳しく追及する。僕らだけならいい。今回はそうではない。それが何故か僕らにとってもプレッシャーになっている。幸いツアーメンバーは誰一人不平は言わないが、明らかにこの進行はおかしい。

きっと嫌いになるね。初めての海外でこんなことがあれば信用をしなくなるだろうし、きっと怖がってもう二度とアジアと仕事はしないだろう.何よりもそれが怖い。人の感情は気まぐれだ。嫌いになったら全てがだめ。でも、この国はそんなことはない。嫌いになってほしくない。タイミングが悪くこんな状況になっているがいいところもたくさんあるのだ。それを知っている僕らは我慢できるが,初めての人にそれを求めるのは甘えだと思う。自分は一生懸命やっているなんて、大学のサークルのようなことをいっていてはこの国は発展しない。とはいえ事を荒立てて更に雰囲気を悪くすることは得策ではなく、酒井氏に出迎えを一任。まるで捨てられていくドナドナのような感じで彼を見送る。

酒井氏としばしお別れのあと、一行はゲートに進みIndochina Airline VP881便に搭乗する。機内にはベトナム人とチェコスロバキアのクルーが乗っていた。よく見ると合弁会社のようで二つの航空会社が合わさったようだ。何故ベトナムと欧州?と思うが結構ベトナム人はロシアに留学をしているし、いろいろ事情は異なるので良く分からない。

 

まあ、無事飛んでくれれば問題ない。9:50ハノイ発。約2時間のフライトの間にホーチミンでの予定を確認。そして11:50。景色を眺める余裕も無くホーチミン着。暑い。とにかく暑い。

 

やはりここはいつでも真夏。いいぞ、いい感じだ。空港をでて見慣れた道を市内に向かう。気持ちを切り替えていこう。途中「ここが会場です」といわれた。停車するわけでもなく、みんなでみるわけでもなく、何気なくバスの通りがかりであったが、その名をきくとPhan Dinh Phung という会場名だった。当初の会場はQuan Khu 7Studiumであったが前のプロデューサとの関係があったためここに変わったという。そうか。それはかまわないが変わったら真っ先に言うべきなのにそこを心得ていないところがまずいのでは?心の中で思った。ホテルにチェックインをした後各種連絡。近くのフォー24で昼食をとる。ハノイとは味が違うんだよね。

今までホーチミンのフォーしか食べたことがなかったので格別においしいと思っていたがハノイの方が僕には口に合う感じだった。でも、このフォーも格別にうまい。ビールを飲みたいところだがこの後の予定を考えてやめておく。やっぱりベトナムではカーフェスダだ(練乳入りアイスコーヒーね)。

 

15時。今回のテーマでもある子供たちの訪問のためにSOS村に向かう。SOS村?僕らがはじめて聞く名前だ。Linhさんから電話が来てこのあとSOS村に行くといったらすぐにわかったのできっと有名なんだろう。市内からおよそ30分弱。ついたのはとっても大きな施設だった。メインの建物の前に大きなクリスマスツリーが飾られてある。

photo by T.Hagiwara

photo by T.Hagiwara

それを横目に建物の中へ。そこでこのSOS村の長の方とお話。取材もかねているので子供たちとの交流やどう思ったかなどを答えてくれという。言われるままに僕らはそれぞれの施設に向かった。ここはおよし20ほどある家の集合体。それぞれの家にはお母さんがいてそのお母さんが孤児や何かの事情で家に入れない子供たちを育てているという。そのお母さんたちは結婚をせず一生子供たちを育てることに人生を費やすそうだ。子供たちにはすでにこのSOS村を卒業して大学に通うものもいたり、結婚してまたSOS村に今度は支援者として戻ってきたりしているという。なんということなんだろう。

今までいろいろな支援の形を見てきたがここのお母さんほど本質的な支援は見たことがなかった。いわゆる子供たちの本当のお母さんになるということ。それはすばらしいことというか、僕には到底まねのできない行為だ。その愛の気持ちに感激。そして、子供たちの明るさも納得だ。この愛のある生活はきっと普通の子供と一緒、ある意味それ以上のものがあるのだろうとおもう。だからこの村の子供たちはみな元気だ。決して暗くないし、それがポーズでもない。

たくさんの家があるので統制は難しい。それぞれの家がひとつの社会となって存在している。家の中に入ると子供たちと一緒に歌を歌ったり、machaが伴奏をしたりして楽しむ。

 

photo by T.Hagiwara

photo by T.Hagiwara

途中インタビューをされるがもうその目の前にいる子供たちのことだけを話し続けた。何よりもこんな施設があることを自分はぜんぜん知らなかったし、こんなに悲壮感のない「SOS」村なんて本当に素敵なことだ。子の村はベトナム国内で10箇所くらいにあるという。いつかほかの施設にも行ってみたい。そして、次にくるときにはほかの人にも紹介したいね。

photo by T.Hagiwara

そんなことをしていたらあっという間に暗くなった。時間も18時近くになっている。僕らが戻ろうとするとしのんは一人の男の子に連れさらわれるし、yukoちゃんはべったり子供に抱きつかれてなかなかバスに乗れないし、という状況。しのんはその子の家に連れて行かれて一緒にピアノを弾いたという。音楽ってすごいよね。

photo by T.Hagiwara

photo by T.Hagiwara

 

音だけで会話できるんだ。きっとその子にとってしのんに遊んでもらったことずっと覚えていると思う。それが僕らができる支援なんだなっておもった。そしてこの村のことを伝えること。それが重要な役目だと感じた。みんなもっと興味を持ってくれ。どんな感想でもいいから一度行ってみるといい。それがよいと感じても別にと感じてもいい。

 

何かを感じてもらうことがきっと彼らのためになるんだと。名残惜しくもSOS村をでた一行。市内に戻り食事に向かうのだが道は何故かすいてきた。そうだ。今日は例のサッカーの試合。タイとベトナムの最終戦である。僕らの公演を中止にした試合。聞くところによるとオフィシャルな大きなイベントは軒並み中止であるらしい。

 

photo by T.hagiwara

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バスの半数を占めるベトナム人チームはすでにボルテージが上がっている。「ヴィエトナムボーディック!(ベトナム勝利!)」バスの中ではすでに試合は始まったようなもんだ。ホーチミンにしては異常に車の少ない中時折人だかり(バイクだかり)があるところはみな街頭に大きなTVがあった。レストランについてもほとんどお客さんがいない。とおりを隔ててバイクの群れが見えてその先には大きな液晶TVがあった。試合が始まり僕らはそこそこもりあがり食事。ベトナム人は立ち上がって大声援。なんてすごいの。ようやくわかった。今日はコンサートなんてできないってこと。ここホーチミンでそうならばハノイは大変なことになっているのだろう。

サッカーを応援しなければ非国民くらいの勢いだ。バスにつながっているTVをなんとドライバーがはずしてレストランの中に。そしてこのレストランも観戦場に変わる。そんなこんなで落ち着かない夕食。忘れてはいけないがここで最終合流チームも到着して全員が揃った。食後帰りのバスの中でサッカーも佳境。ロスタイムとなりなんとそのロスタイムでのPKでベトナム勝利。。。。

 

Photo by T.Hagiwara

Photo by T.Hagiwara

そこから。。。

 

もう大変です。ここは昭和の暴走族時代かと思うくらい街は騒乱で麻痺。道という道に国旗をもったバイカーがあふれ道を封鎖して絶叫を上げる。これは歴史的瞬間なんだ。タイにベトナムが勝つということは単にサッカーゲームのことだけじゃない。そういったパワーも含め、炸裂するベトナム人チーム。もちろん僕らもね。VANも盛り上がっていた。さっきまでの表情とは180度違っている。

photo by T.Hagiwara

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「でもあなたは今盛り上がっちゃだめでしょう」といいたいところだし日本人なら絶対にわきまえる。それほど多くのトラブルを生んでいるわけだからね。それも、関係なく盛り上がる彼女。まあ、今日は特別なのかもしれないということで見て見ぬふり。通常の倍以上時間をかけてホテルに到着。すでに2130を回っていた。

 

ホテルに一度荷物を置き、最終参加メンバーをねぎらいにオペラハウスの横のバーへ。そこからの眺めも最高だ。ベトナムのパワーを思いっきり感じる。その後メンバー全員揃ったので状況説明とミーティング。24時近くまでじっくり話をして明日以降のスタンスを整える。やることはやっとかないとね。騒ぎの中に真っ先に飛び出していきたい気持ちを抑えてミーティング。この時間は重要だ。

24時。レストランの終わりにあわせてホテルへ。まだまだバイクの群れは続いている。このまま朝まで変わらないのだろう。ベトナムにとってこれは大きな歴史の一ページなのだ。地元民の盛り上がりを見れたことを喜びとしよう。2:00就寝。いよいよ明日は会場入りだ。

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