ゴールのないゲーム

アジア, カンボジア No Comments
バーシー。再び会うための約束

バーシー。再び会うための約束

日本は相変わらず寒いけれどすでにヴィエンチャンは猛暑。そんな話を聞く。

先日のツアーでもお世話になった諸富さんが日本にきていて会う事になった。
何度かラオスであっている人が日本で会うというのも不思議な感じ。なんでだろう。そうだ、みんな長袖とかジャケットを着ている。
大体ツアー中は超ラフな格好だし、一年中夏のような国では冬服は存在しない。かしこまった感じだよねとお互いに感じるんだろうね。

そんなラオスでの出来事はいろいろな思いがありぼくらにとってはとてもプラスになった。

何よりもより地にずっしりと立ったような連携ができたツアーだった。

帰国後、カンボジア大使館にお礼を言いに行くとそれまでそっけなかった書記官が大歓迎で迎えてくれた。
カンボジアは本当に時間とかにも正確な人たちが多く、僕が2分くらい遅れたらみな入り口で待ってくれていて、「遅いので心配していた」
といわれる始末。うむ、僕らより時間に厳しい。でも、そんな人たちと時間を共有することは共感を生むことでもある。

 

「なぜ、ラオスでは4公演でカンボジアでは1公演なんですか?」そういわれることもありがたいことである。今回は事前の進行が
遅く、結果的にスケジュールを短縮することになったが、次回はもっと時間をとることを約束。そうしたらアンコールワットでの
コンサートを是非と薦められた。アンコールワットはかの有名な世界遺産。そんなところでコンサートができることであればきっと
素敵なものができるだろう。そんな近い未来の約束をして僕らは別れる。

 

音楽の旅はシビアでその出来いかんで二度と会わなくなる人、とっても大切な仲間になる人に分かれる。

前者の責任はいろいろな要因があるが一言で言ってしまえば僕らが悪いのだ。過去、数度そんなことを経験したが幸いここ数年はそれがなくなった。今ではほとんど後者になったことがうれしい。それでも気を抜くことは出来ない。

今年ラオスではじめてあった人が「クリエイティブな仕事にゴールはないと思っています」ということを言っていた。そのとおりなのだ。永遠にゴールはない世界。生涯走りきるか、リタイヤするか。そんなゲームはこの上なく楽しいね。
そして、次に向けて僕らは準備を始める。カメラマンのGucchi氏といろいろなことを始めようと話し始めた。近いうちに公表できるようにがんばろう。

Mekong Tour 7

アジア, カンボジア, 未分類 No Comments

2009/2/12

7:30起床。快晴。そして、すでに異常に暑い。テラスに出るとその湿度の高さですぐに汗ばむくらいだ。8:30朝食をとり会場に行く準備をする。そういえば昨日はこのツアー初のライブのなかった日。そんなこともあり休養は十分という感じだ。9:40ロビー集合、オークライが大使館と連絡を取ってくれて10時に表敬訪問に行くことになっている。バンに乗って出発。10:05日本大使館に到着した。ものすごく重厚な建物という印象。鎌田さんが迎えに出てきてくれた。

まずはご挨拶。「重厚なつくりですね」と尋ねると鉄格子は手りゅう弾の通らないサイズということを教えてくれた。そうか、安全な日本では考えられないことがここにはあるんだなと実感する。大使館の会議室に通されて待っていると丸山公使がいらっしゃった。まずは急な訪問とご対応いただいたことにお礼を申し上げる。どこでもそうだが現地の情報や状況は大使館が一番持っている。お話を聞くということはそれをそのままステージ演出に役立てることができるので非常に意味がある。

 

以前、ラオスの赤嶺さんにいろいろなことを指導してもらった。お辞儀の仕方、角度や上げる足の左右まで。そういった小さなことから本当にその気があるかどうかをお客さんは感じ取るのだろう。デリケートな部分なのでその辺をきちんとしたいといつも思っている。できないとか付け焼刃とかまして恥ずかしいとかそんなことでは相手の国に失礼だしね。公使からいろいろなお話を伺った。「カンボジアの子供たちの目はきらきらしているんですよ」そう話す公使。そこに視点を当てていることがすごく共感できた。僕も持論を展開する。出会えてよかった。今日はコンサート自体にはタイミングが合わずいらっしゃれないそうだが終了後の時間は空いているとのことで終了後にいろいろ感想を述べさせていただくことになった。本当に忙しいのにありがたいことだ。

およそ小1時間。僕らは大使館を後にする。今、日本の子供たちもいろいろ問題が多い社会に生きている。物が余る時代に生まれた良さと辛さが共存している現代。きっとこういった勢い全盛期の国に来ると何かをつかめるんじゃないか?と思う。何でもあるけれど何もない国と何もないけれどなんでもある国。お互いが学ぶものは大きくそれを実現できれば世の中少し変わるだろう。それにしても昨日きて今日までまだ24時間とたっていないが、日本で報じるカンボジアと今、今日、僕の見ているカンボジアには大きな隔たりがある。地雷や混沌のイメージばかりがクローズアップされるがそうでもないと感じた。普通に活気のあるいい町。それがぼくらのイメージだ。

DeepなAsiaからBeautyなAsiaへ。そう変革しつつあるんだろうね。大使館をでてバンはコンサート会場に向かって走る。オークライにお礼。本当にMr.Perfectだ。仕切りは完璧、そしてどこに行ってもみな知り合いのようで誰とでも気さくに話をしている。頼りになるね。11:00会場に到着。すでに競演歌手が来ていたのでご対面。男性1名と女性2名に入ってもらい一緒にみんなで歌おうというものだ。演出含みのRHを実施。具体的に観客の動きが読めないので彼女たちは不安そうに歌っていたがその辺はこちらは経験値が違う。お客さんの入ったときの行動や流れを想定して演出する。

カンボジアシンガーとリハーサル

カンボジアシンガーとリハーサル

そこまではスムーズに進んだ。が。ドラムの打ち込みがうまくいかない。これは会場側ではなくGYPSYQUEEN側の機材トラブルだった。なんとMDが壊れてしまったのだ。まあ、相当ハードな移動ということもあり、電子機器はいつも危険と隣り合わせにいる。とにかくその代替機を用意しないといけない。とはいえMDを修理することは時間的に無理。となるとどこで売っているのか?ということになる。Viviとmabika2名が急遽町に探しに行くことに。その間もRHは続く。何度かmachaに電話が来る。条件の見合うものはなかなか見つからない。待ってるほうは気もそぞろ。そして、14:00「見つかりました、今から戻ります」。おお!助かった。

入念なRHを

入念なRHを

この連携プレイのおかげで危機を脱することに。14:30全員集合。リハーサルも無事終了し市内に移動してランチ。そしてホテルに戻る。16:30からの最終チェックのために再度会場入り。ここも問題なく終了。あとは出番を待つのみだ。楽屋ではリサにクメール語のMCをチェックしてもらう。

ロンと一緒に

ロンと一緒に

18時過ぎロンが来た!昨年カンボジアに帰国した大使館員だ。日本にいたときから気さくで会うたびに「次はプノンペンで」と話していた友人。今日は家族できていて子供がめっちゃかわいい。異国にきてこんなにも出会えてうれしい人がいるって幸せだ。クメールの刺繍のパネルをプレゼントしてもらう。大事にしないとだ。そして出番がやってくる。

いよいよ始まる

いよいよ始まる

18:40.スタートだ。オープニングのSEを流しイザ登場というときにMCによる説明が入ってしまい、飛び出すも何もなくなってしまい、SEが終了したあとそそくさとステージに上がる。それでも大きな拍手に迎えられこのツアー最後のステージは始まった。今回は日本語、英語、クメール語という構成を作った。日本のrockをつたえたい、でも理解されるか?そんな心配はこの二日間で払拭された。ここは全然田舎ではないし、文化も十分に発達した国だ。Rockのビートにもついてこれるだろう。実際そのとおり一曲目から盛り上がる。

カンボジアでROCK

カンボジアでROCK

英語のMCももちろん理解されるし、日本語を勉強している学生もいるせいか、時折日本語で声援もきた。学問に力を入れている国、ものすごい陽気さ。すべて知らなかった一面だ。音楽による交流をしにきた僕らだが今回はカンボジアに教わることばかりだ。途中英語の曲になると盛り上がった観客がステージに上がってくる。そして、それをたきつけるようにshinonが絡む。

いい感じ

いい感じ

その勢いで僕とmachaのMCコーナー「クニョム スローラン クマエ(I Love Cambodia)」は観客との掛け合い。恥ずかしがる人も多いと思っていたが、そうでもなくみんな元気に答えてくれた。やや飛ばしぎみだが、このまま乗り切ろう。Shinonがクメールのドレスに着替えてくると大きな歓声が上がる、あとから聞いたが司会者が「いつドレスを作ったの!」とびっくりしていたそうだ。

テンションアップの観客

テンションアップの観客

これは昨年の日本カンボジア外交関係樹立55周年のときに大使館のスンマレンさんの進めてshinonがつくったもの。その当初「つくっても着る機会あるかなぁ」と言っていたが作って正解だったね。ここでこの衣装で登場できるってやはり「もち幅」だとおもう。過去からの経緯があってここに行き着いたこと。そうでなければ不可能なことである。そして、それをお客さんがものすごく喜んでくれたことですべては答えとしてshinonに舞い降りるということだ。

カンボジアのドレス

カンボジアのドレス

1時間のコンサートはあっという間だ。最後の曲になった。このコンサートの最後の曲をどうしようかといろいろ思案した。このツアーのテーマソングでもあるBlueSkyで終わるか、それともカンボジアの曲アラピアで終わるか。悩んだ結果、最後はアラピアで終わることにした。このすべてのケアをしてくれたカンボジア政府に、そしてオークライに感謝の意としてこの曲をエンディングに決めた。

熱烈歓迎

熱烈歓迎

最初はshinon。すでにshinonのソロとはいえ観客も歌い始めているのでもう大合唱という感じだ。続いて男性シンガーが登場。この人がまたうまい。そして絶妙のハモリ。そして次にリサと司会の女性が登場。これで全キャストが揃った。

アラピアの動画はこちら

http://www.youtube.com/watch?v=o0oMzRkWI6Y&feature=channel_page

舞台下におりて観客をあおり場内を歩き始めるとなんと、観客もみなその流れについて踊り始めた。まるで宴会場のような風景。そして、冷静にステージ上で演奏をする僕、macha、masao。ここは降りていきたいところであるが全員が降りるとバランスがとれないので冷静にステージで演奏を続ける。

アラピア!

アラピア!

ステージ下では大変なことになっていたが、再びシンガーたちがステージに戻ると観客は座席にもどってくれた。これで全員ステージに上がられると機材やらエフェクタやら、何よりも演出的にボロボロになってしまうのだが、その辺のマナーもわきまえている本当に質の高いお客さんたちだ。そして、終了。派手なエンディングでコンサート、そして今回のツアーが終わった。文化省の人に大きな花をもらった。

Finale ありがとう!

Finale ありがとう!

いろいろ心配をしていたカンボジア。最も不安だったカンボジア。それが何の心配もなくできたことに感謝だ。

 

オークライが口癖のように言っていた「Don’t worry anything」。すべてはその通りだったのである。一本やられたね。アジアのやり方を分かっていると思っている僕らも彼の経験値には届かなかったわけだ。脱帽です。感謝です。疑ってすみませんでした。ちょっとばかり判っている気に、相手ができないんじゃないかと高飛車になっていました。でも、あなたの言うことがすべて正解でした。ありがとうMr.Perfect。楽屋ではみな感激の嵐。最初あまり表情のなかったリサも再会の約束をしてくれた。カンボジア人は楽しいことが好きだけれどああして、会場をみんなで列になって歩くなんてはじめて!と感動していた。

リサの興奮した顔が本心から喜んでくれたんだなと伝わってきて僕もうれしかった。そして、オークライがにこにこしてやってくる。「よかったよ、またきてくれ。それにしてもなぜラオスで4回コンサートをやってカンボジアでは一回なんだ?本当は明日一緒にアンコールワットに行って泊まって明後日帰ればいいじゃないか。Hahaha」いつもと変わらない。その豪快さにみんな大感謝だ。

Mr.Perfect Ouk Lay

Mr.Perfect Ouk Lay

僕らは良くアジアで信じられないくらいな目にあったりする。でも続けている。その局面だけを見るときっとなぜGYPSYQUEENがアジアで音楽活動をしているのかわからないと思うだろう。そして時には「どんな意味があるの?」と思う人、言う人もいる。でも、今回のようなことは日本では絶対に起こらない。契約社会、約束社会ではこのようなことはありえない。これが日本だったら事前確認もできないまま、そのままそのとおりに対したことはできないし、それでも「事前から連絡が取れていなかったしやっぱりだめだったよね」となるだろう。

でも、アジアにはミラクルがある。時折このミラクルに遭遇する僕らは歩みを止めない。昨年のワットプーも想像を超えるミラクルだった。そして今回またMr.Perfectというミラクルに出会った。これは言葉にできない。してもわからないだろう。これを感じるのは当事者だけだろうし、このミラクルがあるからぼくらは自信を持ってアジアのすばらしさを語ることができるんだ。

カンボジアの未来

カンボジアの未来

楽屋口にはたくさんの学生たちが押し寄せていた。ポストカードを配るともう大混乱。「オークンチュア!」みんなありがとう。熱気冷めないまま20:30会場を出る。ホテルに戻り21時ロビー集合。打ち上げだ。今日の朝に約束したとおり丸山公使も来てくれた。オークライの勧めで川沿いのレストランに。もう、彼にすべて任せることにした。彼の勧めなら間違いはない。

丸山公使に今日のビデオを見てもらう。とても熱心にみてくれる。盛り上がっているお客さんをみて喜んでくれた。僕らもこの元気なカンボジア人のイメージを日本でも伝えて行こう。綺麗なカンボジア、元気なカンボジアをもっと伝えたいという公使の気持ちは僕らも同感。いい話がたくさんできた。忙しい中本当にありがたい。そして、周りでは僕らが日本人バンドと知ると店員も一気に盛り上がり始めた。

打ち上げ

打ち上げ

一緒に写真を撮って、乾杯をして、躍って。いつの間にかに僕らと同じくらいの数の店員が個室内に。ツアー最後の夜はこうして終わった。23:50ホテルに戻る。名残惜しい。メンバーは一度部屋に戻り24:10再集合。みんなで反省会だ。今日までの映像を見て、ツアーを振り返って。後日では忘れてしまう今の思いは一番重要だ。新鮮なうちに意見を述べて記録しておくことは必ず次に活きて来る。

 

今回初参加のmabikaは本当に良くがんばった。前半の辛い環境でも笑顔をたやさないことは彼女の財産だ。しかめっ面をしている人と仲良くはなれない。誰も環境は一緒だ。そんな中で自分を楽しめること。それは才能なんだろう。今回、フルに活躍してくれて本当に感謝だ。そして、メンバー、スタッフの仲間たち。みな困難の分だけ思いはある。でも、それはすべてポジティブな明日のための言葉だ。Machaがロビーのカフェからアンコールビールを買ってきてカンパイ。

おつかれさま!そして2:00。一足先に部屋に。メールがつながった分やることが増える。一仕事して3:00過ぎ。もう寝よう。ツアーの最後で最高のステージができた。本当に人には何が起きるか判らない。信じて最後まで行き着いた時にその誉を知ることになる。まるでSIQだ。

Mekong tour 6

アジア, カンボジア, ラオス No Comments

2009/2/11
6:00起床、大量のいろいろな薬のお陰で熱っぽいのも喉の痛みも取れた。よかった。これ実感。7:00食事、みんなも心配してくれていて申し訳なかった。やはり昨晩辛そうだったのかな。ホテルの1Fの無線LANにようやくつなげることが出来、大量のメールを落とす。おお、こんな話がと思うほどいろいろなメールがきていた。もう少し通信環境がよければなと思う。

接続と取り急ぎの回答で時間をとってしまい僕が最終的にバンに乗り込んだのが8:20。それでもメールが全て落とせてすっきりだ。うむ、ヴィエンチャンは大都市なのである。空港までは機材や出国の関係もあり大使館に支援をお願いした。車に乗り切れないのでえーちゃん夫妻もきてくれてバックアップ。大使館からは吉井さんがきてくれた。ラオスが大好きという吉井さん。その国を愛してそこに従事できることはうらやましい。もちろん僕らもラオス大好きだけれどね。
エーちゃんファミリーと

エーちゃんファミリーと

8:40空港着。8:55チェックイン、本当にスムーズに進む。空港職員がshinonのファンでサインを書いていた。吉井さんにお礼をいって出国。僕はかなり先を行っていた。そうすると後ろからけたたましい、ベルの音。職員がmasaoの周りに寄ってきた。Masaoの目覚まし時計の音だが本人は真剣顔。ぼくらは結構笑ってみている。結局、masaoは再度荷物を全てチェックされて出国。笑っちゃいけないがこんな所で目覚ましがなるなんて。だ。

 

売店でタマリンドのグミを買う。これ物凄くおいしいんだよね。そして、10:25。南から北まで駆け抜けたラオスでの公演を終えVN841発は10分遅れてプノンペンに飛び立った。窓からはヴィエンチャンの町が見える。KobJai LaiLai、僕らのASEANでのふるさとヴィエンチャン。

ベトナム航空はきれいな機内。なぜか3列づつ並んでいるのだが明らかに真ん中の列のみ幅が広い。でも、これって合理的だと思う。長時間のフライトで両サイド挟まれるのはつらいよね。カンボジアについては今だあまり多くの情報がない。そして、今日からクメール語だ。頭を切り替えよう。

公演については日本で会った文化芸術省のオークライが「心配しなくても大丈夫」といったきりだ。今までの経緯を考えればそれを鵜呑みにはできない。ましてカンボジアでの経験値はない。最悪のことを考えセットリストは2つ完全に別物を用意した。フルアコースティックで行うパターン。そしてバンドバージョンだ。

そのために今回はぼくも日本からアコースティックを持参。Masaoにもパーカッションを用意するように話していた。「これでもばっちりですよ」のんきに言うmasaoだがアコースティックになれば日本のロックミュージックをきちんと表現できない。聞いている大方の人はそれでも相違ないと思うがカンボジアの若い層に新しいものを伝えるにはどうしても電気楽器は必要。

 

それを理解した上で二つの方向性を用意した。このツアーも前半は苦心したが結果的には満足いくものができている。サワンは感動的ですらあった。だからこそツアーの最後はしっかりと努めたい。ついてみなければ何も分からない不安を抱えつつ機体は南下をつづける。

ラオス国境をこえカンボジア領空へ。11:20.赤い大地が見えてきた。田畑が細かく区画分けされている。沼が点在するその景色はなんの前提もないのだが「カンボジア」ぽかった。若干ゆれつつも11:40到着。何度か拒まれたこの地にたどりついた。機体を降りるといきなり暑い。むっとする空気が身を包む。空港内は整然としてきれいな待合室。その間を縫って出国ゲートへ。このときビザがいることを知る。事前に情報がなかったのでみんなとまどうがその場で一人20ドル支払い手続きを。そういえばラオスもつい二年前までビザがあったよね。すっかり忘れていた。ビザにはる写真をもっていたのですっと進むことができた。

綺麗な空港だ

綺麗な空港だ

ようやく全員がでてきてバッグをとりに、そこに笑顔のオークライが待っていた。なぜか笑っていた。再会の握手とさっそく会場をみたいという僕ら。きっと何をあせっているのだろうと思ったかもしれない。空港を出るとshinonにお花が。車も二台用意されていてしっかりしている。どんなことになるのかと心配ばかりしてきたので拍子抜け。オークライの車にのり、スケジュールなどを聞こうとすると彼の方から資料が出てきた。

「これが今回の予定で、これが招待状、もう外交官や学生に案内をしているから心配ないよ」、「会場はだいじょうぶか?アンプはありますか?」、「もう全部用意していあるので大丈夫だよ、ホテルについたら食事に行こう」、「食事の前に会場をみれますか?機材を先にチェックしたいので」、そんなやりとりをしていると彼は笑いながらこういった「Don’t worry anything hahaha!」うむ。

 

大丈夫なのだろうか?それでも、招待状も政府の印が押してありしっかりしている、スケジュールも細かく詳細に記載されている。まあ、あまりこちらの主張ばかりでももうしわけないので、とりあえずしたがってホテルにむかうことにした。12:30市内へはいる。初めて見るプノンペンはまったく想像とは違う美しい町だった。確かに旧フランスの建造物もおおい。それを写真でエッジを立てた画像を見ると殺伐としたイメージにも見えるがここにある建物は良きフランス時代のイメージ残る優しいいでたちであった。

活気あふれる市内

活気あふれる市内

目抜き通りにはモノが一杯。TVが山積み、スピーカーが山積み、なぜかギターアンプが山積みの店もある。新品のバイクは飾り付けされて所狭しと並び、通りにはレクサスのRXがガンガン走っている。田園風景に寺院が立ち並ぶイメージは払しょくされた。ある意味ヴィエンチャンの延長線とおもっていたのでその認識の甘さを感じる。王宮のそばを通る。メコンに生える緑の芝生。そして、王族の建物。美しい。整備された広い街路がつづくメインストリートだ。

僕らのホテルはそこから数分のところにあった。ホテルに到着し、食事に行こうと誘われる。一刻も早く会場を見ておきたいので交渉すると「わかった。会場に連絡するので食事をしてから行こう。それでいいか?」という。まあ、もう1時近いのでとりあえずそうする。何を食べたいかと聞かれるので何でもいいというと「日本料理に行こう」という。「日本料理は食べたくないのでカンボジアのローカル料理が食べたい」とつたえると「安くておいしいところがあるからそこに行こう。とっても安いよ」と言われその店に。ついた店は中華料理っぽいレストランだった。

アンコールビール!

アンコールビール!

湿度たっぷりなのでちょっと車を降りるだけで汗ばむ。エアコンのガンガン聞いたレストランへ。まずはアンコールビアだ。これが非常に癖がなくておいしい。くせのない味で飲みすぎてしまうそうな美味。そしてオークライにお任せで出てくる料理はみなおいしいものばかり。カンボジア料理ってこんなにおいしかったのかとおもう。種類も豊富でメンバー一同大満足だった。

ホテルの前で

ホテルの前で

そして、会場へ向かう。メコン沿いのきれいなホールが見えてくる。よく見るとバナーがあってクメール語の横にGYPSYQUEENと書いてある。とてもきれいなコンサートホール。言葉に出さないが安心感が湧いてくる。

クメール語で書くとこんな感じに

クメール語で書くとこんな感じに

「ここだよ」と先導されてホールに入る。たくさんある控室を見せられてそのままステージへ。そこにはすでに機材がセットされたリハーサルを待つばかりのステージがあった。

「これで大丈夫か?足りないものはあるか?hahaha」相変わらずの笑顔に僕らはただ「Very good!」を繰り返した。

準備は完璧

準備は完璧

不安が生んだ疑い続けた日々。それはこの一瞬で解決した。しかし、歴戦の僕ら。まだ疑う。この機材の費用請求されるのでは?そう思うほどしっかりした機材だった。それもすべて解決。「会場と機材は全部用意したよ hahaha」もしかしたら僕ら失礼な日本人ではないか?彼は約束通りのことをしただけ。僕らは約束通りのことを何度もしつこく確認し続けた。そういうことだった。環境が整えばあとは僕らの本業だ。

ミーティングも順調に

ミーティングも順調に

16:30ホテルに戻る。荷物を整理してコーヒーが飲みたくてホテル横のハッピーバーガーへ。アイスコーヒー1.2ドル。のんびりしてこれからの予定を考える。その後マッサージへ。Viviちゃんはちょっとためらうような店であったが1時間6ドルの安さにまけてはいる。20時全員集合。近くのチャイニーズへ向かう。中国語も通じるので楽だ。カンボジアは本当に中華系が多いことに気付く。さっきのマッサージも完璧中華系だ。フォーのような麺をたのむ。昼が思いっきり豪華だったのでちょうどいい。

 

21:30ホテルに戻る。さっそくミーティング、今回は本当にハードな旅できちんとしたミーティングもなかなか持てない状況だったので久しぶりにじっくりと話す時間が取れてうれしい。会場は問題ないので予定通りメインのセットで臨むことに。曲の構成や昨日までの映像を見て反省会。課題のshinonの着替えの時のMCについてもいろいろ検討。僕とmachaのMCがどこまで通じるか。チャレンジである。

 

いずれにしてもカンボジア初公演、そしてこのツアーの最終公演にむけてできることをやっていこうと結束を高める。24時部屋に戻る。ようやくネットが部屋でできるのもいいね。プノンペンのイメージは全く違った。最上階の角部屋のために夜景がきれいだ。街の喧噪の先に王宮の寺院が見える。コンサート会場はその先のメコン河ぞいだ。夜風が気持ちいいのでしばしぼーっとする。さあ、明日だ。明日の結果でこの旅の結果が出る。やるぞ。2:30就寝。

タイ、ラオス、カンボジアから帰国しました!

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メコンツアーから帰ってきました。
今回は7泊9日で5箇所6公演とかなりハードでしたが飛行機に、バスに揺られ完遂しました。
近年ではもっとも過酷な移動となりましたがツアーメンバー7人が一体になった賜物で
充実した旅を終えることができました。
このタイ、ラオス、カンボジアを回ったツアーについては順次レポートをしたいと思います。

関係者の皆さん、いろいろご心配を頂いたみなさん、強く応援をしてくれたみなさんに感謝です。

そして、屈強なツアーメンバーの皆さんお疲れ様でした。
眠い目をこすりながらビデオをPCに落としています。

取り急ぎ帰国報告まで。
ツアーレポートタイトルは「Don’t worry anytihng」。
そういう旅でした。

wat pho で張られていたPoser

wat pho で張られていたPoser

Dan hang it sa la

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mekongツアーももうすぐ。RHにも余念がない。通常と違うのは曲のRHというよりもMCとかその辺に力をいれているところだ。

文化の違う国で音楽をやるのは音楽以外の部分も含めてつくりあげないといけないので苦労も多い。

今日もmasaoはラオス語で苦戦していた。

 

vang vieng

vang vieng

 

今回はラオスがメインになるのでそのまえにラオスのクリップをひとつ。

この曲はラオスが独立をしたときの曲だ。それをロックアレンジして日本人の僕らなりに仕上げてみた。

映像はLAO STAR TVに出演したときのもの。テレビ局といっても本当に小さなところで若いスタッフが

試行錯誤しながら作っているという感じだった。

今年また会う事になればきっと成長しているんだろうな。そんな彼らを見てみたいものだ。

http://jp.youtube.com/watch?v=wbznSDAy0_Y

 

音楽のいいところはいつまでも残るもの、アウトプットがあるということ。反面一度の失敗が尾を引く。

出発ぎりぎりまで修正作業をしてあとは思いっきりやるのが正しい選択。

今日もいろいろいい話ができた。広がる世界は限りなく大きい。あとはそこに踏み出すかどうかだ。

ツアーでその答えを見つけてこよう!

2009年 日本メコン交流年

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日メコン交流年2009オープニグレセプション

日メコン交流年2009オープニグレセプション

年も明けて年末のツアーの整理も一段落。ライブに新年会にということで相変わらずあわただしい中、今年のテーマというべきレセプションがあった。
中曽根外務大臣の主催する当パーティにGYPSYQUEENもおよばれ。
といっても演奏をするわけではなかった。
今年は日本メコン交流年といってまあ、メコン川流域の国々と日本との交流を促進しようというもの。
今までそれぞれの国とは個別に付き合ってきたが今年は複数国をまとめた形のものである。
この主旨、僕は非常によくわかって、メコン流域の国々は結構つながっているということを常々感じてきた。
もちろん国境はあるが民族的なつながりは南北より東西に広がり、たとえばモン族はタイ、ラオス、ベトナムに広がっているわけだし、そういった意味でメコン川の流域に住まう人たちと日本のこうりゅうということを考えると意義深いわけだ。
今でこそタイ、ベトナムの急成長のおかげでアジアの経済は注目を浴びつつあるがまだまだ、未開発の部分やこれからいろいろ整備していかなければいけないところがたくさんある。
そんな国に対して思うのは日本が経験したこと、良いことわるいことなどをひとつの手本として伝えることができればいいんじゃないか、と。
これは音楽というよりも経済、政治についていえることだ。観光業を成立させるためにも観光資源の保全は重要だし、企業の誘致のためにも人材の確保が必要。それには語学の教育が不可欠だったりする。
そんなASEANの中の特にメコン流域については僕らも非常にお世話になっている。このエリアでのスタートはラオスであり、ラオスとの交流は僕らの音楽人生の中で大きな岐路にあったといえる。
このパーティで各国大使といろいろな話をした。思えばミャンマーはまだいったことがないし交流を持ったことがないのでわからないがラオス、カンボジア、ベトナム、タイといった国々の人たちとは会って話すことが楽しい。
何よりもあった瞬間に飛び込んでくる格別な笑顔がちょっとつかれた僕らの気持ちを綺麗にしてくれる。
そして、このメコン年に僕らも参加することになった。
最終的なスケジュールがきまらないまま、まずは第一弾としてラオス、カンボジアに向かう。来月スタートということでこれからぎりぎりまで中身の話が続くだろう。
カンボジアでは日本人のロックのコンサートは例がなく、どうなるかとても心配である。それでも、きっといってみればどうにかなっているのだろう。なってなければなんとかする。重要なことは何かを始めることにあるからだ。
今年一年日本とメコンのために何かができればと思う。
結果は遠い先、一年後にわかる。
この言葉を持って旅に出よう。
シンカムオン、コプチャイライライ、オークン、コップンカップ
God Bless the mekong river

いやされて

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先日、カンボジア大使館の方が帰国されるということで送別会が行われた。

それは突然の連絡でみんなでいくこともできなかった。まあ、あまり大勢ではだめだということなのでちょうどよかったのではあるが、

やはり日本人としてもう少し早く連絡をくれればとおもってしまう。

それでも、お世話になった人で、またしばらく会えなくなってしまうかと思うとなんとか予定を立てて向かうことに。

そこで久しぶりにあって話をする。思えばカンボジアとの出会いはラオスのシートン大使の紹介からだった。

今年に入ってからのことで何度かいろいろやりとりさせてもらったのだが、数は少なくてもとってもフレンドリーな

関係になれてとっても居心地のよい場所。そんな気持ちだった。

しばらくぶりにあった彼らはやはり同じ感じでフレンドリー。

昨日も書いたがここのところ忙しくて、ということばばかりいっていて自分で自分を乾かせていた

ような僕にとってはすばらしい癒しの空間になった。

大使が言う。「よくきてくれました」。このすばらしい笑顔にノックダウン。そして、帰国するマレンさんも

「あなたとの約束の手作りのカンボジア料理よ」とボーズのような蒸し物をもってきてくれる。

今日は彼女が主賓なのにとおもいつつ、普段と変わらぬ働きぶり。そしてみんなも普段と同じようなパーティぶり。

いつものようにロンはお酒を勧めてくれる。

「みんななんでこないの?」

「今日は人数制限あるでしょ」

「だいじょうぶだいじょうぶ」

そんな笑顔は格別に優しくてどんどん僕の気持ちを満たしてくれた。
式次第もない。だから面倒な流れや順番もない。だからそれで怒られる人も気にする人もいない。

帰ろうとしたら「カラオケうたっていかないの」と呼び止められる。
なんともみんな普通に普通に楽しんでいる。
自由のゆとりを思いっきり発している。

 そして、おもった。

あ。これだった。。。

大げさかもしれないが生きている意味を思い出した。

また、この人たちに会いに行こう。

以前の大使館パーティ。このときはきちんとした格好で一枚。
マレンさんは右から2人目。中央が大使。

日本カンボジア55周年

アジア, カンボジア No Comments

今日はカンボジアと日本の国交樹立55周年のレセプション。Gypsyqueenもそこで演奏をするために大使館に向かう。

ここ最近カンボジア大使館に来ることが多いせいか、スタッフも書記官もそして大使もとてもフレンドリーだ。

僕らの顔を見ると、早く来い、という感じで手招きされる。
人間関係は時間じゃない。先日から合っている人たちと非常に深い話をして、共感するところ、夢を感じるところ、たくさんの会話ができた。
日本にいながらこんなにもカンボジアのことを話せるなんてこの上ない。

いただくばかりでは申し訳なく、ようやく僕らの恩返しができる時間になった。

今日はこのレセプションで5曲演奏することになった。
続々とvipの方々が来場。シートン大使もいらっしゃった。

今日ここにいるのもラオスのシートン大使のおかげであることに間違いない。

僕らを見つけるといつもの安心できる笑顔で迎えてくれる。

ちょっと緊張気味のメンバーにとっては最高の癒しだ。何よりもこの方に感謝である。

最初は大使館入り口のスペースで大使の挨拶、カンボジア伝統舞踊のあとに日本の歌を一曲歌う。

まあ、ご挨拶だ。

日本の名曲にはアジアで意外と有名な曲があったりする。それはそれぞれの人々の中において伝統的であり、ふるさとであるようなもの。
もちろん、日本人にとってもね。そんな曲を最初にプレゼントした。
といっても今日はぼくはお休み。ロイカトンのときもそうだが、今回は会場のスペースの都合もありアコースティックギターのみだ。

パーカッションとベースはお休み。

替わりにサポートギターとしてしゅうじが参加してくれた。

地下のパーティルームに移動。余興として数曲演奏。

覚えたてのアラピアが評判よくて盛り上がる。

ラオスのランボンと一緒みたいだ。とにかく盛り上がる。

やはり僕らの考え方は間違っていない。
カンボジアではカンボジア語。それが一番だ。そう実感したステージだった。
今回はいきなりということもあり、メンバー総力の仕事であった。

たとえステージにあがっていなくてもメンバーはメンバーでこの今日のステージのためにMASAOは前日に機材を運搬しにきてくれた。

そして終演後、機材を運搬に来てくれた。
自分は参加できないのにね。

たいがいというかまあ、よくあるパターンとして自分の出演しないステージについて基本的にみに来ない。
でも、彼はメンバーの一員としてここにきた。

終演後に。

機材を運ぶだけのために。
すごいよ。ほんとすごい。

こういう仲間と一緒にやれることが僕の誇りでもある。

最後までステージに出れる予定でなかったMACHAは譜面を興し、機材を提供し、そしてぎりぎりの今日、スケジュールを調整してステージに上がってくれた。
MASAOは搬入搬出をすべて受け持ってくれた。

それはまるで普通に一緒にステージをするがごとく、ごく当たり前にだ。

きっとこれがgypsyqueenなのだろう。

アジアに夢を、アジアの夢を日本に。

そんなことをいっていても本質の心がさびしければきっとそんなことはできない。

このメンバーは貧乏ながら(失礼)心は非常に豊かだ。

ラオスで感じた心の豊かさに共通する気持ちを持つメンバーたち。だからこそアジアでの活動を今でも続けていくことができるのだろう。

僕は誇りを持っていえるのだ。

 ステージは全員で作るもの。簡単なことだが実は非常に難しい。それを超越してできるこのメンバーはやはり最高なやつらだ。
今日はぼくもスタッフモード(結局チンチャプで参加したけれどね)。

同じ気持ちでフォローしてくれたこの場にいない仲間に感謝だ。

そして、何よりも今日のすばらしい出会いに感謝だ。

いろいろな出会いがあった。
言葉にはまだちょっと表しきれない。

僕らのカンボジアは確実に広がっている。

目を閉じればまだ見ないクメールの遺跡が広がっている。

オークントムトム

DRUMS MASAO photo by xay

新しい何かが

アジア, カンボジア No Comments

今日はカンボジアの新年。ということで大使館へご招待されたのでいってきた。
今までいろいろな国にいったがカンボジアは初めて。新年の儀式もとても印象的であった。

カンボジアから来てくれたお坊さんのお経を聞いたあと、砂山を作る儀式が。
それは本当に砂で山を作る儀式で、人々が何かを生み出す、という意味で山を作るらしい。
そして、タイなどと同じように仏像にお清めの水をかけるという流れだ。
お経を読まれていたときに、お坊さんが花びらを僕らに蒔く。
それはなんとも言えず新鮮な、印象的なものであった。

会は粛々と進み、そこに見たことのある人が来た。
「えっ。明石さんじゃないの?」
カンボジアといえば明石さん。
ずっと前の記憶だがカンボジアの内戦からの復興に尽力した人だ。
当時、国連というのは日本人はあまりクローズアップされないものであり、日本人が国連のなにかの代表なんてありえないとおもっていた
時代にカンボジアの復興のための総長となり活躍した人だ。

いろいろなことをやれば軋轢もあるだろうし、いろいろな課題にぶつかることもあるだろう。
それでもひとつの国を復興させ選挙や政治、経済のシステムをまずは立ち上げたという功績は大きい。
とにかく、国連というワールドワイドの話の中で「明石(さん)」ということばが含まれていたのはなんとなく日本の
貢献度合いの向上と当時の僕には見えた。

スピーチも流暢で意味のある言葉をたくさん発している。
うむ、会えてよかった。うれしいサプライズである。

そんな席は盛り上がってあっという間の時間は過ぎる。
大使をはじめ大勢の人と知り合えた。今年も新しい何かを広めるためにがんばろう。
仏像に願いをこめて。

駐日カンボジア大使、高僧、元国連事務総長特別代表と。(Photo by Gucchi)