Fesが終わって

アジア, バンド, ベトナム No Comments
満員の会場

満員の会場

 

 

SAKURAFestivalが終わり帰国して数日。

いろいろな情報が入ってくる。

来場者が28万人に達したこと。

当日国家主席がきていたこと。

それが翌日のベトナムのニュース番組のトップネタになったこと。

二日目の午後の12時から2時の間は完全にクローズするように当局から通達が来ていて、これ以上人がきてしまっていたら中止にされていた可能性もあったこと。

まあ、本当にうれしき予想外なことの連続であり、本当に実行委員会の人たちの苦労が伺えるものだ。

 

そして僕らの周りも変化があった。

SAKAI改めコブラ君が騒乱のバンコクに入国し、意外にもまったく市内は平穏でやるべきことをすべて終え陸路でラオスの首都ビエンチャン入り、そして一日予定を延ばして昨日ようやく帰国したこと。

Ayuちゃんが実はベダルを忘れて現地の駐在員さんのバンドに借りていたこと。

 

あっという間だったが本当によかった。

一番よかったのは帰国後、それぞれの関係者の帰国の話を聞くときに「○○さんがいつもはぐったりしてかえってくるのに今回は妙にテンションたかかったんですよ」なんて事を聞くときだ。一緒にやっているのは演者もスタッフも一緒。みなが満足できたときは大抵すべてうまくいったとき。そして、次への展望が見えたときだ。

 

そんな中、Yahooニュースにアルバム「ユメノトビラ」のレビューがでる。音楽ライターの伊藤みどりさんの執筆だがとてもすばらしく書いてくれて感謝。

Yahoo newsより 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090420-00000790-bark-musi

 

 

そんなわけでツアー後もバタバタしている。

物事は終わりがあり終わりは次への始まり。

輪廻のように繰り返すがそれは螺旋階段を上るように確実に成長し、増え、学び、思慮深くなる。音楽を通じて学ぶことをこうして長きに渡り経験できるのはこの上ない幸せだ。

自分の幸せは簡単だ。自分で作ればいいし、だめであっても自分さえ納得すればすべて善しだ。

人の幸せは自分で制御できない分、純粋にうれしいし尊い。人の喜ぶ顔を見るたびにまた次への力がわいてくる。

 

この短い旅の後に残ったことはそんなことだった。

この機会を与えてくれた実行委員会に感謝。

もちろん、恩返しはするつもり。

借りるよりも貸すほうが好きだし、ヨサコイダンサーに完全にやられてしまったので頭の中はそんなビートで埋まってたりする。

来年は遷都1000年。1000人ヨサコイハノイとか出来たらすごいよね。そうしたら、生の太鼓や弦楽を交えてやりたいな。

 

映像はミーリンとのコラボ映像。Paradise in your soulのミーリンバージョンだ。彼女とやってもGYPSYQUEENはGYPSYQUEEN

サウンドだけれどね。

http://www.youtube.com/watch?v=6L3qROecHvQ

さあ、また新たにがんばろう。

Sakura Festival in Vietnam 3

アジア, バンド, ベトナム No Comments

ステージは「Saigon City」から始まる。ホーチミンに初めて到着して感じたベトナム人のパワーを歌った曲だ。

この曲はこのステージのオープニングにぴったりだ。今回は45分のステージ。なので少ない曲の中で構成を作らなければいけない。前半はアジアチックに、中盤はROCKにという構成とした。

Fesのステージ初日

Fesのステージ初日

ハノイではなかなかROCKBANDを見る環境がないと前回の渡航で感じた。きっと、ROCKを求めている若者もいるだろう。そんな気がしたんだ。まあ、みる方も慣れていないと思うので、どんな反響があるか分からない。それでもふつふつと湧き出すような、何か新しい感覚を感じてもらえればいい。そんな気持ちでセットリストを作成した。

AKI

AKI

僕らの定番ともなったベトナム語曲「ボンホンチョイ」も観客と絡めて盛り上がる。いい感じでステージが進むといきなりMCが。なんだか迷子のお知らせらしい。ノリは止まってしまったが次はバラードだしよかったかもね。

Bon Phuong Troiの動画はこちら

http://www.youtube.com/watch?v=kRkoQFX8eek

 

一息置くことになり落ち着いて「ユメノトビラ」へ。この曲はやればやる程バンドの中でしっくりいってくる気がしている。前回のビエンチャンあたりからのこの曲のテイクは我ながらすごくいいのでは?と思う。

shinon

shinon

そして、今回の新曲「Light your fire」と「フロイト」を2曲続ける。最近ユメノトビラのプロモートもありアルバムの曲を中心にずっとやってきたが、そろそろ新曲を、という声を受けて今回は2曲持ってきた。ともに乗りを重視したライブ向き楽曲。

盛り上がってきたHanoiっ子

盛り上がってきたHanoiっ子

フロイトは精神学者のフロイトの理論をテーマに作ってみた。日本ではまだ未公開なのでそのうちに披露できるだろう。観客に目を落とすとみんなのにこにこした顔がよく見える。ちょっと盛り上がるのは恥ずかしいのか、コールすると答えるといった感じ。

 

でも、僕らはよく分かっている。この状況でみんなはすごく楽しんでいることを。欧米のそれのように思いっきり表現をするわけでもない。それでもいいものと悪いものを判断して自分たちなりに評価をしてくれる。そういう人たちなのだ。

ベトナムの最高峰MyLinh

ベトナムの最高峰MyLinh

そして、「ALFRED&JULIA」でGYPSYQUEENとしてのステージを締める。ミーリンを呼び込み1曲彼女の曲をカラオケで、そして「Paradise in your soul」で再び僕らはステージ上に。

 

ミーリンとのコラボ゙作品を演奏することになる。彼女の独特のフェイクには翻弄されるがそれもまた楽しい。ステージの上でこうして共演することはこのイベントの主旨にマッチしているだろう。GYPSY QUEEN with My Linhが出来上がったのだ。そして、最高潮のうちにステージは終わった。

Paradise in your soul

Paradise in your soul

みんなの笑顔、一時どうなるかと思ったが無事終えられた安堵感。そうゆっくりもしていられない。このあとはDaeWooHotelでレセプションがある。汗を拭く間もなく、大混雑の会場を抜けバスに戻りレセプション会場へ向かう。時間がまだ早かったのと、とにかく汗だくなのでホテルに一瞬帰ってもらう。10分間。ここで着替えて整えてレセプション会場へ。本当にばたばたであるがこれが流れならば問題ない。

 

パーティ会場は大混雑。まずは実行委員を取り仕切る藤澤さんを探して挨拶。みんなかなりお疲れのようだ。そうだよね。イベントって結局当日はもうろうとしているうちにあっという間に過ぎてしまう。それが運営サイドの大変なところだと思う。

My Linhと藤澤さん

My Linhと藤澤さん

この日は関係者がみなこの会場に集まるということ、僕らの明日以降の予定を確認するということもありかなり慌しく時間が過ぎる。それでも話したい人と話し、お礼を言いたい人にお礼を告げ、旧友には「久しぶりだね」と肩をたたく。ミーリンが到着し、藤澤さんに挨拶。そして壇上で簡単な挨拶をしてくれた。疲れているのにいやな顔一つみせないミーリンはプロフェッショナルだ。

大使館の古舘さんと再会。相星公使をご紹介して頂く。とても気さくな人だった。ほか出演者の南川しのぶさんと話したりする。演歌っぽい人かと思ったけれど全然そうではなくて意外だった。

 

宴もたけなわ。最後に「ヨサコイハノイ」が演奏される。今回の参加に際して藤澤さんと「このイベントを表すような曲があったらいい」という話の中から生まれたこの曲。リズムをアジアチックな解釈にして演奏し、踊る。生の踊りをこの曲に乗せたのを見るのは当然初めてなのでその勢いに感激。ヨサコイってこんなにパワフルなんだ。それが最初の印象だった。

 

知らないことを一つまた知る。それはいつでも素晴らしいサプライズだ。ここに八丈太鼓があったらさらにさらにかっこよかっただろう。実現したかったなぁ。タクピーがいたら感動してくれただろうなぁ。急な作業にも対応してくれた彼にも感謝だ。日本のBS11のインタビューが急遽入り、取材を終えたミーリンと立川先生と糟谷社長は会場を出た。僕らは最後に主催の方々にご挨拶をして会場を離れる。

 

実行委員会はこれからミーティングだという。大変だ。その努力が報われるように僕らも役割を果たそう。ホテルに戻る途中のレストランを見つけそこで再び乾杯。ベトナム語オンリーの店員にワインリストをもらうのに手間取ったりバタバタではあったがそれも最高の勉強。いつでもどこでも学ぶ。大事だよね。このアウトドアのレストランはとてもいい感じだった。恵比寿あたりにあったら繁盛しそうな店だな。23時。お客さんも誰もいなくて店員も帰りたそうだったのでホテルへ戻る。

 

メンバーは昨日の「いつものみせ」へ。ここでは音楽談義。諸富さんとこれからの夢を語る。ぼくらがどうしていけばいいか。それは幾重にも広がる可能性だ。大変なことは承知だ。それを承知でアジアで音楽を始めた。だから考えることをやめなきゃ終わらない未来がある。そうであれば考え続けよう。バンドメンバーもスタッフも一緒だ。一緒に何かを作ることそのプロセスが一番重要であり、いつまでもそういったバンドであり続けたいと思う。

ここに日々通う

ここに日々通う

24時を回りホテルにもどる。今日の音源をチェック。明日への課題を考えよう。明日も同じ会場。時間も観客も異なれば中身も変える。

何度もセットリストを組み直して明日に備える。みんなの気持ちにこたえるために僕ができることは考えることだ。2時就寝。

2009年 日本メコン交流年

アジア, カンボジア, バンド, ベトナム, ラオス No Comments
日メコン交流年2009オープニグレセプション

日メコン交流年2009オープニグレセプション

年も明けて年末のツアーの整理も一段落。ライブに新年会にということで相変わらずあわただしい中、今年のテーマというべきレセプションがあった。
中曽根外務大臣の主催する当パーティにGYPSYQUEENもおよばれ。
といっても演奏をするわけではなかった。
今年は日本メコン交流年といってまあ、メコン川流域の国々と日本との交流を促進しようというもの。
今までそれぞれの国とは個別に付き合ってきたが今年は複数国をまとめた形のものである。
この主旨、僕は非常によくわかって、メコン流域の国々は結構つながっているということを常々感じてきた。
もちろん国境はあるが民族的なつながりは南北より東西に広がり、たとえばモン族はタイ、ラオス、ベトナムに広がっているわけだし、そういった意味でメコン川の流域に住まう人たちと日本のこうりゅうということを考えると意義深いわけだ。
今でこそタイ、ベトナムの急成長のおかげでアジアの経済は注目を浴びつつあるがまだまだ、未開発の部分やこれからいろいろ整備していかなければいけないところがたくさんある。
そんな国に対して思うのは日本が経験したこと、良いことわるいことなどをひとつの手本として伝えることができればいいんじゃないか、と。
これは音楽というよりも経済、政治についていえることだ。観光業を成立させるためにも観光資源の保全は重要だし、企業の誘致のためにも人材の確保が必要。それには語学の教育が不可欠だったりする。
そんなASEANの中の特にメコン流域については僕らも非常にお世話になっている。このエリアでのスタートはラオスであり、ラオスとの交流は僕らの音楽人生の中で大きな岐路にあったといえる。
このパーティで各国大使といろいろな話をした。思えばミャンマーはまだいったことがないし交流を持ったことがないのでわからないがラオス、カンボジア、ベトナム、タイといった国々の人たちとは会って話すことが楽しい。
何よりもあった瞬間に飛び込んでくる格別な笑顔がちょっとつかれた僕らの気持ちを綺麗にしてくれる。
そして、このメコン年に僕らも参加することになった。
最終的なスケジュールがきまらないまま、まずは第一弾としてラオス、カンボジアに向かう。来月スタートということでこれからぎりぎりまで中身の話が続くだろう。
カンボジアでは日本人のロックのコンサートは例がなく、どうなるかとても心配である。それでも、きっといってみればどうにかなっているのだろう。なってなければなんとかする。重要なことは何かを始めることにあるからだ。
今年一年日本とメコンのために何かができればと思う。
結果は遠い先、一年後にわかる。
この言葉を持って旅に出よう。
シンカムオン、コプチャイライライ、オークン、コップンカップ
God Bless the mekong river

Beijing2008 9

アジア, バンド, 中国 No Comments

コンサート終了後、マネージャーの張さんは最大級の賛辞をくれた。最初、懐疑心から出演について前向きでなかった人がたった一時間でこの笑顔に変わる。

音楽をやっていてよかったと思う瞬間でもある。再会を約束して僕らは三里屯を離れた。

23:50。バスに乗り込みホテルへ。明日仕事のある徐軍さんも打ち上げに来てくれるという。ありがたいことだ。

 

バスには上海からきたmika。なつかしのゆかりちゃん&彼氏。杉本さんの友人のサイさんなどどんどん人数が増えてくる。にぎやかなバスになってきた。

 

24:30。ホテルに戻り最後の打ち上げに。店は?探したけれどなかなかない。結局毎日飲んでいるいつもの店に。さあ、今日はのみましょう。

徐軍さんと

 

これからの話、感謝の言葉、苦言、学んだことや驚いたこと、そして仲間たちとの絆すべてが参加したみんなへの感謝の表現だ。

このハードなGYPSYQUEEN流ツアーに付き合ってくれて感謝の言葉以外何ものもない。氏神さんに「AKIはほんとライブ好きだよね」と言われる。まあ、好きなんだな。音楽が。でも、そういわれることはとてもうれしいことである。

 

すべてが凝縮したツアーの打ち上げとなる。2:30。店を出てホテルへ。

 

そして部屋打ち上げに。いつもと違うのはいつもならメンバーだけでビデオをみて反省会を行って打ちあがるのだが今回はなんだかイキがいい。

白酒にやられた夜。思い思いに話は盛り上がった。

しゅうじが「僕は今回がんばりましたよ~」という。そうだよくがんばった。これからもがんばれ。才能を伸ばすには場数を踏むことが一番だ。

酒の飲みすぎは注意だけれどね。

 

 

 

酔いもまわって、3時を過ぎて部屋に戻るとそのままダウン。目が覚めるとそのまま寝てしまったせいかベッドの上に倒れていた。。昨日のままだった。

 

今日は113日。朝の五時半。シンと静まり返っている中、廊下から人の声が聞こえる。

 

まさか。。そう、打ち上げから部屋に戻る足音だ。

 

ということは徹夜で飲んでいたのね。すごい。。みんなはどうしたのだろうか?

 

とにかく眠い。頭の痛さをシャワーで消し去ろうとするがかえって痛くなる始末。まあ、二日酔いってことだ。06:20ロビーに集合。今日は遅れることは許されない。ロビーにはすでに数名あつまっていた。

しゅうじはヨロヨロしながらロビーへ。最近健康志向のmasaoは早々とロビーで待っていた。チェックアウトをして06:41ホテルを出発。

 

みんなお疲れだね。この朝のバス。何度となくこの便に乗るために北京の市内を走った。そうだ、最初のツアーのときは朝の5時に天津をでて北京空港に向かったっけ。

 

そのときも右側から照らされる朝日が妙にまぶしかった。

うとうとしているともう空港に。07:20空港着。新しくなった空港でチェックインをしてlitaoさんと別れる。

 

 

また北京でも会いたい人ができた。それがうれしい。再会を約束して分かれる。Litaoさんをshinonが「通訳」と紹介すると「いいえ友達です」と答える場面があった。そうだ、僕らはもう老朋友だ。

 

綺麗な空港で出発までの時間を過ごす。そして、9:30CA955便は飛び立つ。席はばらばらで僕は一人。眠さもあるがなぜか目がさえて眠れない。

 

この3泊4日の弾丸ツアーともよべる旅。思い起こせばいろいろな出会いがあった。

カフェインというバンドのメンバーとの交流。久しぶりに会ったアールリーとの交流。ZIYOとはもっと話して飲みに行きたかった。王さんとも食事をしたかったね。MIDIの校長とも今回は会えなかったし、WINGは今頃シンガポール。ファンキーさんもそこに一緒にいる。まだまだ、やりたいことは山ほどある。

 

来る前は久しぶりの中国にとまどった、一度遠ざかった縁が戻ってくるとは思わなかった。しかし、ここに実際にきてすべての縁の糸はつながったまま生きていたことを知る。

 

 

 

GYPSYQUEENがアジアに向かい始めた原点がこの町であった。アジアに挫折しかかったのもこの町。そして、再びここから何かが始まる気がした。もはや日本と比較にならないほど発展をしている中国を見れたことが僕にとって大きな成果の一つでもある。

 

さあ、これから考えよう。この世界の大国とどう渡り合っていくかを。

 

そして忘れてはいけないこの大地震の記憶を音楽によっていつまでも伝え、そしてバンドマンの僕らにできる何かをしていくことを。

 

第二章9幕はここで閉じることになる。

 

終わってみれば多少の差異はあっても思う心は一緒。お世話になった人たち、また会いに行きたくなった人たちに囲まれて僕らのたびは続く。

 

 

機体は日本の領空となり九十九里浜が眼下に広がる。かなり大きく揺れて僕らをまた日本のリズムに戻す。

 

13:45。成田空港に到着。

 

あまった元を換金しに行く人たち。でも、いい忘れていた。その国のお金を持っているともう一度そこに行くことができる。そんなおまじないを僕らは信じていると。

 

 

ありがとう。一緒に旅した仲間たち。

出会った新しい仲間たち。

 

一緒に何かを始めよう。

 

 

GYPSY QUEEN Road to Asia #19

We’re Back

2008/10/31-2008/11/03 

 

Photo by vivi,,sugimoto,aki

Beijing2008 8

アジア, バンド, 中国 No Comments

中途半端にやるならばやらないほうがいい。

それでもGYPSYQUEENの公演に NOはない。 

僕らなりに作り上げたスケジュールではこの夜の公演は締めくくりでもある。

そのためにPeaceを昨晩温存しておいた。だからこそやらないという選択肢はないわけだ。だとすればなんとかやる場所を確保しなければいけない。それもちゃんとした場所を。それは僕らの責任でもある。

 

そこで思いついたのがboy&Girlだった。

Boy&Girlとは今回、何か縁を感じていたのだ。

最初出演意向を伝えると会場側のスケジュール的にNGだったので結果的にSwingBarを選択した経緯がある。

しかし、訪中前日の夜に連絡があり「GYPSYQUEENを受け入れる」と回答があった。

 

しかし、先に決まったほうを優先すべきということでいったん申し出を断っている。

次の接触は当日。Swingbarにいくためにboy&Girlの前を通ったら「日本人バンドだろう?こっちだよ」とboy&Girlに連れ込まれそうになった。ハロウインということもあり、単に客引きされたと思ったので「ちがうちがう!」と振り切ってきた。

そして、その数時間後、僕らのコンサートを見に来たサイさんの話によると「Boy&Girlに電話をして今日GYPSYQUEENのコンサートは何時からあるのか、と聞いたらバンドから出演をキャンセルされてしまったがもしあなたがバンドと知り合いならGYPSYQUEENに出演するように行ってくれ」といわれた。というエピソードも。

 

ここまではすべて31日の夜中のことだ。

 

そういった縁を強く感じて、もしやこのピンチは接触のとき?と思いLitaoさんにBoyGirlに電話をしてもらう。

 

その場ではマネージャーがいなくて後でかけ直すとのことだった。しかし、電話に出た先方の話だけを聞くと、31日に店の前を通ったGYPSYQUEEN一行に声をかけたが、「日本人じゃない」と言われて無視をされたのでオーナーは怒っている。ということだった。まあ、確かに振り切ったがそれは誤解だ。釈明しておかないとね。そして、なんとか話をまとめたい。

 

Litaoさんが「甲丁坊キャンセルしましょうか?」というので「Boy&Girlが確定してからにして」と抑える。

慎重な判断をしないと命取りになる。お店にはJAMICで会った子達がきている。きっとチャージも高い店なのに見てみたい!という気持ちでわざわざ来ているのだ。この子達のケアもしないといけない。

 

そして、10数分。再度電話をしてみるとマネージャーにつながりとりあえずBoy&Girlでのステージを30分のみ抑えてくれるとのことになった。要は一バンド分の時間をくれるってことね。確かに当日の話であればそれでも十分考慮してくれた結果だろう。僕らはそれを2つに分けなければならない。セッティングも込みであるからかなり厳しい。

 

でも、確かboy&Girlのステージはかなりいい感じだった記憶がある。それならばすぐにYesを選ぶべきだろう。

 

Litaoさん、移動しよう。甲丁坊はキャンセルね。」

 

決めたらすぐに移動だ。3里屯までは近くはない。全員に撤収を指示して移動。一応お店の人には謝っておく。そして、JAMICの子達にも事情を話す。「ごめんね、ここではできない。これから三里屯でやるよ」どうしていいかわからない彼らのために「よかったら一緒にバスに乗っていこう!」と提案。

 

みんな喜んでくれた。この現場感覚が中国のよいところ。きっと彼らも一緒に会話できることを喜んでくれるだろう。

僕らも生きた中国語の学ぶチャンスだ。Litaoさんにも説明して許可をとる。

 

バスに戻る道。Litaoさんは何度も僕に謝った。「私がちゃんと確認しておけばよかったのに本当にごめんなさい。私はだめです。」と。でも、そんなことはない。会場の機材のことは会場しかわからないし、大丈夫だといった店の人が無責任であってLitaoさんはまったく悪くない。それよりも予定を次々に変更している僕らのほうが申し訳ないくらいだ。

 

そして、そのときふと昼間のことを思い出した。ランチのとき、結局仕切りがうまくいかずに僕らはバスのところで待たされたのだがそのときのガイドさんはたとえ話なのだろうけれど「中国人は悪くても決してあやまりません。たとえば私が悪くてもあやまることはしません、それが中国です」といっていた。

 

脈絡のない話だがそんなことをなぜ言うのかな?とおもった。中国人すべてが悪いことをしても誤らないなんていうことはない。現にこのLitaoさんは自分が悪くなくても迷惑をかけたという思いで僕らに謝っている。

この人は正真正銘中国人だし、僕らが普段感じるように自分の責任と物事のよしあしを見極めて日本人の僕らと同じように物事を考え、悪いと思ったときには謝る。

昼間のガイドさんの話だけ聞くと「なんて中国人は傲慢なんだ」とおもうかもしれない。

 

でも、決してそんなことはない。自分に非がなくてもみんなが困っているとまるで自分のことのように悪いと思い誤り、何とか打開しようとするすばらしい中国人が目の前にいる。

 

何でも物事を決め付けて考えるのはよくない。たくさんの人をひとつの考えで表現するのはよくない。僕の周りにいる中国人の朋友はすべてみなすばらしい人たちだ。

お互いのことを考えお互いを理解しようとする。もちろん、アバウトなのは日本人も同じだ。なんだか、昼間の話がちょっと腑に落ちなかったので、それをこうして目に見える形で払拭してくれたLitaoさんには心から感謝をしたい。

 

バスは30分ほどかけて三里屯に到着。すでに21:30を回っていた。

機材をもって会場に向かう。そこには徐軍さんが待っていた。もう会えないと思っていたのですごくうれしかったね。なんとなく頼もしい。

 

開口一番「AKIさん、出演時間を延長してもらいました。」お~さすが徐軍さんいいところで出てきていいところでいい仕事をする人だ。こんな僕らを支えてくれている人たちが中国にいることを本当に思い出した。Boy&Girlにはいってみると昔のステージとは違う綺麗なステージだった。昔の混沌としたステージも好きだが、ここは美しく進歩している。そして、ステージで歌っている張さんがマネージャーでもありステージをすべて仕切っている人だった。

 

「あ、あの人だ」。初日、僕らに声をかけたのはこの人だった。きっと無視をされて怒っていたのだろう。でも、こうして最終日に快く迎えてくれた。この恩は音で返さなければ。22:15.ステージは始まる。最初にGYPSYQUEENが演奏する。一般の人もいるだろうということも考え(まあ、みんな一般だが英語とかもわからない一般の中国人のお客さんという意味ね)中国語、英語、そしてオリジナルという構成にする。このステージぎりぎりの曲変更にようやくしゅうじも慣れてきた気がする。

 

演奏はお客さんのためにやるのだから、そのお客さんの状況を見て楽曲を決めるべきだ。あらかじめ、僕らの公演とわかって集まっているオーディエンスであってもそうだ。日本ならよいのだが海外では客層によって受ける受けないの前に通じる、通じないの壁がある。

それを見極めてステージに立つということを感じてもらえれば彼に今回参加してもらったお礼として何かを返すことができるだろう。この旅の最後の曲を終え、ステージを降りる。僕らの後はpeaceに任せた。

 

今までは自分たちだけだったが今回は仲間がいる。僕らだけではないツアーもこれが初めてだ。最後はみんなで盛り上がろう。

数曲の後、張さんが徐軍さんの所にきてなにやら耳打ちをしている。セッティングに手間取ったりして時間がオーバーしているようだった。次の曲を聞き、最後の一曲に入ろうとしているpeaceNGのサインを出す。

最後だからもう一曲やらせてあげたかったが、ここは約束。それを優先してしまえばいきなり時間を空けてくれた張さんやその時間を引き延ばしてくれた徐軍さんに迷惑をかけてしまう。申し訳ないがここでとめさせてもらう。

 

そして、彼らは音を止めた。

 

きっと最後にやってしまいたかっただろう。それでも彼らの理性が音を止めた。これで彼らには次の一歩が生まれた。どんなときにも自分の環境を理解して判断できるバンドマンになっていた。僕は彼らを尊敬した。

張さんとshinon

Beijing2008 7

アジア, バンド, 中国 No Comments

JAMICの中にはいるとそこは日本かと思うくらいにたくさんのCDDVDが展示されていた。朱さんにここでご挨拶。

日本語がとてもうまくて緊張も和らぐ。最初にセンターの概要を紹介してもらいそのあとはここに来ているファンの人たちとの交流であった。

朱さんと

 

みな、日本語を勉強していたり、日本に行きたいと思っている子たちで会話も盛り上がる。常々すごいと思うのは日本に一度もいったことがないのに日本語を流暢に話す人がいることだ。

その中に非常に日本語がうまい人が。完璧な発音。と思ったらよくよく聞くと日本人の黒木さんという方だった。きりっとした顔つきはこちらの俳優さんかと思ったくらい。「日本語うまいですね」なんて当たり前のことを言ったりして和む。こちらで日本語の先生をやっているようだ。

 

こういう人たちが日本の印象を作り、次の世代につないでいく。非常に重要なことだと思う。話をしていて残念だったのがここにきているほとんどの人が昨日のコンサートのことを知らなかったこと。

 

「見に行きたかった!」という声が飛び交う。

 

改めて告知の重要さを感じる。結局、今晩の后海のコンサートに来てくれることに。今日はライブバーなので、そこそこ入場料金も高い。それでいてMAOのような完全な音楽環境はないだろう。そこにきてもらうことはちょっと申し訳ない気がする。でも、ぼくらはバンドマン。演奏を聴いてもらわないとすべてが始まらない。

せっかく聞きたいというひとがいるのだからそれに答えられるように、次回以降はもっと事前の準備をしっかりして告知を広めようと思った。

 

朱さんも今回の公演の意義を強く感じていただけて、継続する方向で話が進んでいった。中国は僕らにとって大きなブランクがあり、それは初めてと大差ないくらいのブランクだ。この進歩の早い国で2年のときを越えることはすさまじい浦島太郎状態だ。もう一度はじめるために丁寧にもう一度組み立て始めよう。一度で結果が出ないのもそれでよい、次はもっとよくなるだろう。

交流をしながらみんなの顔を、目をみて感じた。応援してくれる中国のファンのためにも次の機会を作ることが僕らの役目でもあるんだなと。

 

時間はどんどん過ぎ14時を回った。会話は途切れずにいたがここで中断しホテルへ戻ることに。きっと、彼らとは次の機会に、もしかしたら本当に今晩来てくれるかも。そんな未来を残してバスに乗り込む。

 

休日の午後はかなり渋滞。結局15時ちょっと前にホテル着。さあ、ここが唯一のフリータイムである。寝ておきたいという気持ちもあるがまずはマッサージに行こう、そして買い物かな?ということで紅橋市場に向かう。

 

歩いて十分くらいの距離である。先にマッサージと思ったが適当な店が見つからなかったのでショッピングへ。

結構以前と比べると高くなっているが相変わらず勢いのあるおばちゃんたちとの価格交渉は体力勝負。値切り、値切られというバトルであっという間に時間が来る。

 

とりあえず買いたいものだけ買って(けっこう買うきのないものも買わされたりする)店を出てホテルの隣の小さなホテルのマッサージへ。ここは1時間50元。値上がりした北京の中では格安だ。しかし、誰も英語すらわからない店なので、一行はかなり混乱。

 

一緒に行った6名から僕に矢継ぎ早に質問が来る。それに答えつつ僕の隣には南京から来たおじさんが超南京なまりで話しかけてくる。それもマシンガンのように。わからない。その人の中国語をマッサージのお姉さんが北京語に直してぼくにつたえてくれる。どういうことなんじゃい。しかも強烈に効く足裏マッサージの中でやられるのだからたまったもんじゃない。

足は超リラックスしたが頭の中はフル回転。そんな感じだった。

ほかの部屋からは「足裏なのに全身マッサージされている」とか「みんな起きてますか?」とか声が飛び交う。

ちょっと離れた個室にいた僕はよくわからなかったが結局途中でみんな寝てしまったみたい。それほど気持ちいいマッサージであった。これで50元は本当に安いよね。できれば毎日通いたいくらいだ。

 

足のむくみが取れいい感じになってホテルへ。部屋に戻って一息つくともう集合時間。17:30.天壇公園南門に位置するシャブシャブ屋へ向かう。

ここは以前来たことがありものすごく安く、ものすごくおいしかった記憶がある。そう。かなり楽しみ。

もう北京の大衆食堂という感じでまさに狙ったとおりのお店である。

 

ここで全員の晩餐。そういえばこうしてひとつのテーブルに全員着くのははじめてかも。そこそこ飲んで食べて北京の食を満喫。バスに戻りそのままライブ会場へ向かう。

 

この慌しい感じ。なんだかいいぞ。19:30.后海に着く。

ここは初めてきたのだが、なんだかおしゃれな人造湖があり、その周りにバーが並んでいる地域だ。

オリンピックに向けてかなり手を入れられたようで確かに外国人が喜ぶような町並みになっている。ここでスタバを発見。Viviちゃんがカフェモカを飲みた~い。の一言でみなスタバへ。確かにうまい。心が和む。この寒空にはばっちりな味でした。

 

今日の会場は甲丁坊。どんなところかとおもうとこの湖畔沿いにある総ガラス張りのおしゃれなカフェだった。一階と二階にステージがありそれぞれ歌手が歌を歌うような場所だ。

見たときに一瞬不安になる。このステージサイズ。どう考えてもドラムきついんじゃないか?そしてよく見るとアンプがない。たいていこういうときはこのままアンプなしとなってしまう。ぼくらは何とかできるがサウンド的にもPeaceはこのままではかわいそうだ。

とりあえず二階を見てみるともっとおしゃれな感じでなんだかブランデーをゆらつかせているお客さんも。

ここでROCKはないだろうとおもう。ただ、その件については事前に十分確認済みだ。僕らはロックバンドなので機材がないとできない。

 

そしてrockをやっていい雰囲気なのかどうかを何度もきいた。

 

お店からはROCKOKという返事をもらっていたので安心していたのだがここに来てこれではたまらない。こんなところで最後のステージはできない。

 

策は3つ。

何とか機材を探してもらう。

場所を変える。

中止する。

このどれかだ。

 

Beijing2008 6

アジア, バンド, 中国 No Comments

11/205:30。まだ外は暗くめっちゃ寒い。 ちょっと二日酔いの残る中、準備を整えてレストランへ。6:30から始まるレストランは僕らの一行が一番のりだった。

 

そのままロビーに集合して7:00出発。今日は万里の長城に向かう。

この時期紅葉シーズンということでかなり込んでいると聞く。そうか中国にも紅葉シーズンってあるんだなと思う。今日はいわゆるオプショナルツアーではじめての観光めいた日。まあ、いいじゃないですか、半日くらいみんなに「中国にきた!」といえる時間を作りましょうということで午前中をオフにした。

 

結局ほとんどのメンバーが参加したのでオフィシャルな行事に近くなったけれどね。ということでバスに乗り込むとすぐに寝てしまって気づくともうあとちょっとのところまできていた。

 

モンゴルまで続く列車と道路が交わるポイントのところまできていて、「あ、あと10分くらいだな」と04年のときを思い出した。

大体この記憶は確かなものでおよそ10分程度で駐車場エリアに。道にははるか下方にバスを止めた団体さんがどんどん登ってくる。これはつらいんじゃないか?ちょっとびびる僕。

 

どこまで上にいけるかとおもいつつ、結局一番上の駐車場にとめることができた。さすが。といってもここから八達嶺の入り口まではもう一登り。お土産屋が連なる建物の急坂を登るといきなり最後尾になってしまった。

 

ライバルは氏神さんと酒井さん。ミュージシャンは不健康なのである。

 

さらに中国人の子供たちの団体に追いつかれその輪に飲み込まれる。

遠くでshinonが勝ち誇った顔でこっちを見るので少し意地になりダッシュ。何とか追いついた。

ここでフリータイムとなり、僕らは男坂を目指した。以前は女坂を登ったがここはもうほんとすごいことになっていて、お正月の初詣状態になっている。

 

すでに遠くの稜線をみるとそうなっており、ここには行かないほうがいいという判断。それにみんなついてきて結局GYPSYQUEEN一行は男坂にチャレンジである。きついぞこっちは。

中腹まで登るといわゆる万里の長城の絵としてよく使われる竜のようにくねった長城がよく見える。おまけに言えばそこに張り付く人の群れもよく見える。

 

「こっちでぇ よかったぁ でしょ」と息が上がりつつ話す僕。そんな仲間たちはどんどん上へ。途中の楼閣で僕はストップ。さらに上に行く人たちを見送る。でも、ここから見てもものすごい傾斜。本当に大丈夫なの?と思う坂を普通に登れるところが中国のすごいところだ。

 

まあ、タイでもラオスでもそうだったけれど安全基準が違うんだよね。自己責任。それが徹底されている。登って落ちても自己責任。恐れるならばいかなければいい。わかり易い当たり前のことだ。日本だったらどうだろう。まずあそこまでは登れないね。

氏神さんと途中まででストップの巻

絶対に「危険 立ち入り禁止」と札が立てられてご丁寧に鉄条網があるだろう。世界遺産も景観を台無しにしても安全を優先ということか。これは国によって異なるので何がいいかわからない。実際に事故があれば誰かの責任問題になるだろう。古き遺産を守るのは今の人たちの倫理観に頼るところが大きい。

 

長城を満喫して元の場所に戻る。待ち合わせ場所はお土産やでここも高額な商品がたくさん売られている。ここで時間を過ごすならばもっとフリーでいたいね。少なくてもGYPSYQUEENの一行はまったくこの手のお土産には興味がない。

 

結局何も買わずに出発。そしてバス乗り場まで戻り昼食会場に向かう。僕らがお土産に興味を示さなかったせいかスタートも早く昼食会場に30分も速く到着してしまった。うむ、これはどうなんだろうか?時間が無駄なんじゃないか?とおもう。

 

そして、昼食もツアーだから仕方がないのだがよくある中華料理であった。でも、こういうものなのかなと我慢。それでも、出発まであまりにも時間があるので早めに出ようと提案した。何しろこのあとJAMICにいくのである。そこには僕らが行くことを知ったファンの子達がきている。万里の長城用の防寒着よりも着替える時間があるならそうしたい。

 

ウジサイル

 

 

でも、それはできなかった。ドライバーはすべて時間通りに動いている。仕方ない。その流れに従い駐車場で待つこと20分。ようやくドライバーが戻ってきて出発だ。

 

一時間ほどで市内にもどり12:50JAMICに到着する。

ここで朱さんと対面。

 

昨日のコンサートでは直接会えなかったのでここが初対面となる。

Beijing2008 5

アジア, バンド, 中国 No Comments

コンサートが終わり片付けて次の現場へ。

今日は2Kolegasでのステージもあるのだ。

 

Sam2さんとはいろいろ運営面について話ができた。今回の肝は集客だったがそこが芳しくない部分もあった。反省点をとことん突き詰めて次に同じミスをしないようにしていこう。そんな話をしながらホテルへ戻るバスで。

 

道が渋滞してあちらこちら振り回されたがライブハウス前にたまっていると日本のそれよりも厳しい中国。連行されかねないのでとにかく歩いていなければいけなかったりするのでとにかくMAOの前を離れて移動。ようやくバスを発見して17:30ホテル到着。

 

ここでちょっと時間がある。この隙にシャワーを。最近アセアンばかりなのでいつも汗をかいていた。こうして中国に来ると寒い時期もあるということが本当に珍しいというか楽である。

窓の外には天壇公園が夕闇にぽっかりと浮かび上がる。いい眺めだ。外はどんどん暗くなり出発の18:50の時点では闇が支配していた。

そして、バスに乗り込み2Kolegasへ。あまりに眠かったせいか気づくと会場近くに。ここから楽器を運んで小屋に到着。昨日のパーティは今日はないのでなんとなく閑散とした会場だ。

 

まずはサウンドチェックということで数曲を演奏。まあ、音のバランスもいい感じだ。RHを終えて夕食に向かう。今日は忙しくて昼を食べていない。

 

ということで豪勢に湖南料理を食べにいく。時間は20時を過ぎていて1時間程度しかない。それでも食べておかないとと思い席に着くないなやビールのカンペイの嵐。

 

まあ、よくあることなのでかまわないがあまりしゅうじに飲ませるのは危険である。ステージが飛んだらそれは僕らが埋めなければならない。ちょっとだけセーブさせ気味で変わりにコウイチに飲んでもらう。そして一時間ちょっと。さあ、会場に戻らなければ。今日は22時からの演奏である。この酔った感じが小屋の雰囲気に合う。

 

今日はセットリストにハード目な曲を集めておいた。きっとそれなりに受けるだろう。BTVの王さんが聞いたら耳を押さえたくなる曲ばかりを集める。

 

ステージによって演奏、演出はまったく異なるので毎回大変なのだがそれに見合った感想が待っているのでこの努力はやめられない。時間になりちょっとお客が少ないがオーナーに聞いてみると「12時過ぎには盛り上がると」といわれ、それを待つのは無理と判断してスタートする。

とにかくボリュームはいつもの倍くらいにセット。軽くひずむくらいのセッティグにしてみた。残響よりもパワーで。そんな会場のイメージにあわせた音をセットする。

 

 

演奏自体はちょっとお酒も入り、勢いはとまらない。

 

 

 

 

 

僕らがステージを終えると次に出る王威とあう。かれは北米でも拠点をもっており、日本を跳び越した形でセールスを提供していくことが今の中国ではありありなんだろう。

 

相当気にいってくれたみたいで、いろいろな話を持ちかけられた。コラボ話とかツアーとかね。うむ、いいぞ。今回の目標の一つ「自ら挑戦する」ことを思い出してきた。

 

会場は夜中になるにつれてヒートアップする。あと1時間いるともっと盛り上がってくるんだろうなと思いつつ、名残惜しくも厳しい寒さの中会場を出てホテルへ。本当はこれからなんだけれどね。北京。

 

今日も24時になってしまった。今日も有志でプチ打ち上げに。そんなに飲みたい?そうではない。ちょっと言い訳がましいが日中は本当に時間に追われているし、やらなきゃいけないことがたくさんある。

そんな中で見えなくなることもたくさんあるんだな。だから、このリラックスした時間に仲間と話がしたいのだ。みんなをリードすることも大切だが組織では会話をすることももっと重要だ。何かひとつでもみんなからの声が聞ければいい。そんな時間を作るのはやはり夜中になってしまうもんだ。

 

ということでまずはギターのしゅうじを捕まえていろいろお話。今回、最も数多くの楽曲を演奏する彼。それは大変だとおもう。代わりのいない立場。きっと初の北京だからもっと遊びにも行きたいだろう。でも、それもままならない楽曲の多さ。大変だけれどきっとこの経験生きるとおもうよ。なので、よい思い出になるためにも少しだけアドバイスをしたりした。

 

氏神さんのアドバイスも的確である。この厳しい音楽界で長らく生きていくということはそれなりの術が必要だ。夜中の北京の汚いただの飲み屋。そんな中で氏神一番さんの生き様を垣間見る。

 

そうしてほとほと酔った一行はホテルへ。昨日よりもさらに寒い。風邪をひかないようにしないとね。

コンビニでお土産をいつまでも買っている一行を置いていき先にホテルへ。

それでも部屋に戻ったのはもう2:30

 

明日は万里の長城にいく。そして、JAMICにいき、夜は后海でのライブ。

寝不足はつらいぞ。早く寝よう。

 

毎日通った店の子と

 

Vietnam Fes 8

アジア, バンド, バンド, ベトナム No Comments

終了後ステージソデでは成功を祝うみんなの気持ちが大爆発。全員が全員を称えての楽屋のフィナーレを終える。

さあ、ホテルに戻ろう。機材を片付けスタッフと写真を撮ったり、いろいろな会話を交わしたりしながら慌しくもバスに乗り込む。バスの前ではファンの人たちがベトナムからのトップシンガーたちを囲む。

それはうれしいよね。遠く日本にきていて母国のトップシンガーに触れ合えるんだから。

 

ぼくもそういった人たちにがんばろうと思った。だから極力時間をとってあげたい。出発ぎりぎりまで交流ができるように、そういう配慮をした。

 

もちろんそれに応える3人は笑顔だ。決してめんどくさいとかそういう感じではない。彼らもわかってくれているんだと感じる。バスの扉も閉まり出発。これで本当の本当に終了だ。

 

なんだか異常に盛り上がる車内。まるでツアー中みたいだね。と誰かが言う。

 

そのとおりだな。こうしてコンサートを終えてみんなで真っ暗な車内でホテルに向かう。なぜかテンションが高い。この雰囲気好きだな。思い思いの時間が過ぎる。

 

あっという間にホテルに到着。急いで着替えて!と説明。みんなダッシュで部屋に消えていく。そして20:50。再びロビーに集合し打ち上げ会場に向かう。来日して4日目の夜。あっという間の数日が懐かしいくらいに今日はみんなリラックスしている。

 

出演メンバーが全員揃っての打ち上げ。全員と話をしたい。しても足りないくらいの人と時間だ。

 

そして、そこでスーパーサプライズ。明後日がshinonの誕生日ということでLamTruongに話をしたら演出家の彼がいろいろ考えてくれた。

 

まずぼくにお礼を言う(わざとらしく)そして次にshinonに感謝の言葉を。そのあとはシークレット。これは参加者だけのスペシャルだね。

 

最後にLamTruongshinonに歌をささげたいという。その歌は。。

 

Happy Birthday yo you….

 

 

全員の大合唱にまさかさすがに二日前に祝われるとは思っていなかったshinonは絶句。そりゃ、言葉でないよ。そして、MyLinhHienThucが笑顔でケーキを持ってくる。

 

なんて豪華な最高のお祝いなんだ。きっとこの瞬間だれもがshinonをうらやましく思ったに違いない。

そういえばぼくのバースデーもベトナム人の中でおこなわれた。今年はとことんベトナムに縁がある。自分たちから飛び込んだベトナム。導かれて結果はこういうことになる。

 

そう、このサプライズはぼくらから飛びこんだチャレンジの賜物。十分に味わうがいい。楽しい宴はいつまでも尽きない。この時間がいつまでも続けばいい。

 

それはいつも思うこと。でも終わりがあるから始まりがある。明日も早い。解散してみなホテルに戻る。ありがとうみんな。

さあ、明日からまた動き出そう。

 

 

 

229時。この日はHienThucのレコーディングがある。朝一のRECはシンガーにとって申し訳ないが予定が詰まっている。彼女もそれをわかっているから文句を言わない。今回最年少のシンガーだがその辺の意識は高い。

それはスタジオでもわかった。いきなり2テイク歌ったかと思うとすぐにREC。二度ほど歌ってぼく的にはOKテイクであった。

「どう?」と聞かれたので「とてもいいとおもうよ」と伝える。

 

でも「私は気に入らない」「どのへん?」「全部」。さすがである。

本人の意向を反映して数テイク、ようやく納得の行くものができた

歌声だけが日本に残っていく。その重要さをよく理解しているのだった。

 

1時間足らずで再びホテルに戻る。

ホテルではLamTruongが待っていた。彼は本当に時間に正確である。

結局調子がいまいちであることから食事には同行しないことになった。美術館から帰ってきたMyLinh一行を乗せ西麻布の「キッチン」へ。

ここはヘルシーなベトナム料理のお店だ。5日間疲れた胃に優しい料理。

 

MyLinhたちも大満足であった。もっとゆっくりしていたいが時間が許さない。二手に分かれてベトナム大使館に向かう。

ぼくはホテルに戻りLamTruongHienThucを乗せる。Shinonは直接大使館合流となるがこれが大きな間違いだった。

 

 

大使館に到着すると駐日大使婦人の会が催されていた。

ここで彼らは一曲づつ歌う。本当は生でできればとおもったがカラオケ対応でお願いする。もう少し早くスケジュールが見えていればとおもうとちょっと残念。

時間となりHienThucから歌い始めるが一行にshinonが来ない。

着信をみるとなんだかたくさん入っている。

電話してみると道に迷ってすでに30分ほど代々木八幡界隈を散歩しているようだ。

一人にしたのが間違いであった。そして、すべての演目が終わるか終わらないかのタイミングでshinon到着。

 

それでも最後にみんなに会えることに意味があった。もうすぐでお別れである。

今回の来日のすべてが終わりみんな名残惜しそうだ。

 

ホテルに戻る。大使館からは近い。

昨日まで何度も通った代々木会場の車両入り口の前を過ぎ、NHKの西門を通過し坂を登る。着いてしまった。もう着いちゃった。

ホテルに到着してぼくらは思い思いに最後の別れの言葉をつづる。クロスする手はわれ先にと交差を続ける。

 

再会は必ずある。今は少しさよならだ。そして、また会うときにはさらに強い絆になろう。こんなときになんていえばいいんだろう。そう思っていてふと言葉がこぼれだした。

 

Happy to see you!」

 

そう告げるとMy Linhが手を握り返して同じ言葉を返してくれた。

 

そうだった、ぼくらはこの言葉に守られ、この言葉を本心から告げるために音楽を続けているのだ。

 

ベトナムとの始まりから今に至るまでたくさんのHappy to see youを感じてきた。

 

最初はやっぱり塩崎さんだ。そして坪田さん。思い出せばキリがない。そしてその一番新しいページにはMy Linhが付け加えられた。

 

 

 

彼らと別れて帰路に着く。なんだか一気に疲れたな。

心地いいけれどちょっと眠りたいな。たくさんの夢を見たからきっとぐっすり眠れるだろう。

 

 

後日事務局長からメールが届いた。

イベントに突入してからというもののあまり手伝えなかったし、最後の片付けでも挨拶が出来なかったので是非打ち上げには参加したいと思っていた。

そうしたらこんな言葉が返ってきた。

 

「事務局会議や打ち上げは、参加というか、もう一員なので必ず出席です。」

 

すごくうれしかった。

っていうかHappy to see you!だ。

 

 

 

 

季節はもう10月。あの暑かった日々も嵐の夜もすでに昔のようだ。

時の流れに乗り遅れてはいけない。次に向かって進もう。

 

このVietnamFesに関わるすべての人にありがとうと伝えて。

いやなことも苦しいこともすべてすべて今は感謝に思える。

 

Xin cam on!

 

 

AKI

 

 

 

All Photo by T.Hagiwara

 

Vietnam Fes 7

アジア, バンド, ベトナム No Comments

Photo by T.Hagiwara

 

最後の演目が終わりグランドフィナーレの時間。楽屋から出ると確かに大粒の雨である。心配するスタッフに「かっこ悪くてもいいのでセットをすべてステージ最後部においてやりましょう」と話す。

こういうときはスタッフは機材のことを気にしてくれるものだ。

だからバンドサイドから言わないとスタッフの人々も遠慮をしてしまう。

幸い小降りになってきている。これなら大丈夫だ。

 

それよりも早くスタートしないと待っているお客さんがかわいそうだ。バンドの準備は最小限に抑えて開始を急ぐ。

ぼくらの準備はすぐにできた。あとはタイミングを待つ。

この時間が一番長いと感じるとき。ようやくGOサインが出る。

 

よし、いこう!まずはGYPSYQUEENが一曲。

そして、その中盤に出演者がステージに登場する仕組みとなっている。この一年間かけて準備をした最後の演奏がこのフェスの最後に用意された。その場を用意してくれた事務局長に感謝。

そして、それを務め上げる責任も重大である。

 

最後にみんながよかったといえるものにするためにぼくらの努力は不可欠だ。そんな思いを盛り上がるお客さんを見ながら考えていた。

長かったけれど楽しかった壮大なプロジェクトだった。もうぬれてもいいと思ってのステージ。

machaもshinonも自然に前に出る。

まだ、相当降っているな。この中で待っていてくれたのか。

気持ちも高ぶってくるよ。ほんと。

 

出演者が揃い日本代表としてshinonが、ベトナム代表としてLamTruongMy Linhがそれぞれの感想を述べていく。

その後式は進み最後に大使と松田先生の閉会の言葉。

それはありきたりの原稿を読むのではなく、温かい心のこもった言葉であった。おまけとして大使や先生の言葉の合間にバンドの効果音。

先生が会場を沸かせるとsyujiがギターをガーン、と鳴らす。

こんな挨拶は今までないよね。なんとなく楽しい。

大体挨拶にお客さんが歓声で応えるってあり?通常聞いたことない盛り上がりがこのスピーチでも続くのだからこれはまさにベトナムパワーとしか言いようがない。

 

「来年はベトナムでやるぞ!」先生の言葉にみんな頷く。

 

そしてMyLinhが最後に歌う。

そこでさらにサプライズが。

さっきからshinonMy Linhがなにやらもみ合っている。「すわ、ケンカか?!」

まさかそんなことはない。

そう、MyLinhshinonに一緒に「paradise in your soul」を歌おうと持ちかけていたのだ。

当然shinonは戸惑う。何いってんだよ。自分の持ち歌だろう。と思うがまあ最後の最後にあのMyLinhに一緒に歌おうといわれるとそれはびびります。ぼくだとしてもね。

 

でもMyLinhには魔法があって競演するとその彼女の雰囲気に一気に乗せられるというところがある。

実際にそうであった。

 

この曲を熱唱する二人。日本人の書いた曲を英語でベトナム人と日本人が歌う。このコンサートの象徴的なことであった。

これは計画されたとしたら絶対に実現不可能だろう。どうすすめるか、リハーサルは?などなどいろいろなからみがあってなかなかできることではない。ステージの上でMyLinhの機転で当日いきなり二人の中で決めたからできたこと。

そして、その中身は最高の幕引きとなった。

 

そして、これで本当に最後。LamTruong,HienThuc,shinonによる今回の公式テーマソング[Happy to see you]だ。

そしてこの最後の歌にはMyLinhも参加。

全員がステージ最前列まででてお客さんとの距離を縮める。

 

この成功はみんなのおかげ。

会場のお客さんも出演者もスタッフもみんな含めて

 

Happy to see you!

あなたに会えてよかった!

 

こうして嵐に見舞われたVietnamFestival2008は大成功のうちに幕を閉じた。

 

みんなお疲れ様!

すばらしいイベントをありがとう。

皇室までが参加したこのイベント。後に語り継がれるに違いない。

 

本当にお疲れ様でした。

よし、これから打ち上げだ!

« Previous Entries