5月 3, 2012
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2012/04/10
04:00時目が覚める。ちょっとは寝れたね。この充実感、たまらない。特に帰りはほとんど揺れなかった(と思う)。もう日本の領空に入っている。そして朝食。外は明るくなりだした。普通の一日がもうすぐ始まろうとしている。中央の席なので外は見れないがもう千葉に入っていると思う。そして、若干早く7:25成田着。あっという間の弾丸ツアーは終了した。解散式をしてそれぞれ帰路に。僕は行きと同じようにスカイライナーで東京に戻る。疲れたな。窓から見える景色にまだ桜が残っていた。そうかたった4日しかたっていなかったんだな。なんだか物凄く長かった気がした。

第四章4幕はここで閉じることになる。 今回はフエフェスティバルへの出演と観光局の設立調印式といった2つの出来事が重なった。一見別々なようでも目的は一つだ。日本をアジアに、アジアを日本に。僕らの音楽で日本に関心を持ってもらい、そして理解してもらうこと、そして、ベトナムの事を日本に紹介する窓口を作って日本からベトナムへの世界を広げてもらうこと。そのどちらのほんの小さなきっかけで実現する事ができる。
でもそのきっかというものがやっかいで誰しもがその窓をくぐるわけではない。言葉や習慣や考え方の差など時には面倒であり、時にはそこまでする価値がなかったり、時には努力してもたどり着かなかったというさまざまな障害がある。
僕らにとってはそのナビゲータとしてやれることが増え、スムーズなコミュニケーションのきっかけを作る役割となればそれは本望だ。

今回改めて感じたのはすべてがコミュニケーションによって決まるということ。
足りなければ届かない。
足りていれば次のステップが待っている。
やり方はわかっている。
取り組みは始まっている。
2012/04/07-10
GYPSY QUEEN ROAD TO ASIA#34
New Mission
5月 2, 2012
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2012/04/09
6:30起床。7:30朝食。この時にようやくこのイベントの仕切りの担当者であるミーチャウさんに会える。イベントが終わってから担当者に会うというのは過去のツアーでも初めてである。そしてそのコミュニケーションの悪さがいろいろな不手際につながったかもしれない。事前の打ち合わせから、歓迎会やバスの手配、告知、ステージの機材や照明、100%の表現ができたとは言えない。しかし、すれはすべて過去だ。過去の事をどう攻めても変えることはできない。

「今日からがスタートにしましょう。」そういってこれからの取り組みについて話をした。一緒に物を作るということは成功も失敗も連帯責任である。それをベトナム側にわかってもらえる日が来ればそれは僕らにとっても意味のあることだしそれがGYPSYQUEENのいつもやっていることの最大のテーマなんだろう。
僕らを信頼してもらうことができれば次は変わる。信頼される人間になるためにもう一度初心に帰ってフエと向き合ってみたい。ミーチャウさんと話していたため食事も遅れてあわてて荷物をまとめ8時ちょっとすぎて出発。今日はホイアンへ向かう。およそ150km位ということだが高速道路がないのと山越えをするためにかなり時間はかかる。市内を抜け国道に入る。横の線路がベトナムを南北に縦断する鉄道だ。田園風景が山間の風景となり峠を越える。なんだか気持ち悪いぞ。悪路が続くせいかかなり気分はローである。何とか持ちこたえて休憩。

ダナンの山を越えるとベトナム第三の都市が現れる。日差しが強くなり、古都フエから大都市ダナンに衣替えな雰囲気である。バスに酔って気持ち悪いままビーチに到着して少し休憩。うーんこのままここで寝ていたい雰囲気だ。海岸沿いはリゾートホテルが立ち並び今も建設中だ。この海はまだまだ発展するリゾート地進行形。次に来た時にはどうなっているんだろうと思う。
そして、さらに1時間。12時過ぎにようやくホイアンに到着する。ここは2009年にもコンサートを行った場所。あのときはミーリンと共演だった。そういえばサポートキーボードのtakuoはなぜかベトナムツアーでの参加が多い。前回も一緒だったよね。と懐かしい話で盛り上がる。ここホイアンは室町時代朱印船を使って交易を行っていた港町。日本橋という屋根のついた橋が有名で昔ながらの町並み自体が世界遺産に登録された古い街並みが特長の町だ。

ここでゆったりとランチ。参加者のみんなからいろいろな話が聞けた。この第一次ツアー団。当なるかと思ったが非常に良かったね。僕らとはある程度別行動でベトナムの魅力を感じてもらう。観光地や食事、そしてイベント参加などで今のベトナムを知ることができる。そんなツアー団は今後もどんどん考えていきたいね。

ここでナムくんもお別れ。今回、本当に難しい調整を事前、当日とフォロしてくれた。日本語が話せるだけではなく彼には自分で判断できる力がある。こういったインテリジェンスをもった素晴らしい若いベトナム人がどんどん増えている。それはすごい事でもあり、日本人もしっかりしなければという気にさせてくれる。本当にありがとう。そしてまた東京で会おう。

ナムくんと別れて一行は足裏マッサージへ。この日差しの強い中歩くと良くないので日の高いうちにマッサージで疲れをほぐし16時過ぎに旧市街に向かう。この特徴的なベトナムの町並みはすべてが撮影ポイントのよう。こんな所に住んだらいいなと思う。世の雑踏をわすれるならばこんな所がよい。全員が合流して今回まだ食べていないフォーを食べてから空港へ。

すっかり暗くなったがダナンのホテル群は昼間のごとくの明るさだ。1時間弱でダナン空港へ。つい最近新しくなった空港はものすごくきれい。前回来た時に地方の駅の待合室的なコンパクトな空港だったのでびっくりだった。お店もたくさんあるので早めに空港についてここで食事もできるね。便利になったもんだ。空港ではダナンの観光局のヒューさんが待ってくれていた。昨日の調印の報告と今後の進め方を相談。いろいろな策がでて盛り上がりつつもフライト時間が迫り打ち合わせは終了。それにしても本当にタイトなスケジュールである。
そしてダナンを後にホーチミンに戻る。幸い全く揺れることなく快適な旅であった。ホーチミンで乗り換えが面倒だがここでも荷物を一度ピックアップして空港職員に渡すというやり方で通過。もう少し改善が必要だね。普通の人はこの荷物の受け渡しシステムはとても心配になると思う。徒歩で移動してタンソンニャット空港の国際線カウンターに到着しチェックイン。
いよいよ短いこの旅も終わる。ホーチミン滞在組と別れ帰国組は出国ゲートへ。そしてちょっと古くなった感じのする空港内で時間をつぶし00:20日本に向けて飛び立った。幸い復路は若干の座席の余裕があり寝れそうな雰囲気だ。メモを一まとめしてとにかく眠らなければ。
5月 1, 2012
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簡単な打ち合わせの後会場に向かう。とりあえずセッティングに時間がかかると思ったのでメンバーのみで向かう。最初、バスが会場に入れないというのでそれは困ると交渉してステージまで行けることになった。しかし、昨日大混雑をしていた道を行くと今度は通行止めのゲートに差し掛かりここからは歩いて行けという。そんなことはしたくないので、運転手さんにゲートを開けてもらう。結局自分でゲートを開けて自分で占めるということで通過。よかったね。

車が会場に入ると昨日のステージはすでに解体中であった。ん?僕らのステージは?車が観客席脇を入ると何やらフラッグタワー前に仮設のステージが作られつつあった。「ここ?」と聞くと「ここです」といわれる。昨日の話と違っていたがそれを悪びれる感じでもない。うむ。まあ、仕方ない。とりあえず車を降り解体中の当初のステージのわき目にステージに上がる。

ステージ上にはドラムしかなくアンプがなかった。しばらくするとギターアンプが届いたがベースアンプが届かなかったので聞いてみると「昨日の雨で壊れてしまった」という。なにぃ?と怒っても仕方がないので。「絶対にベースアンプを探してきてください。アンプがないと音は出せない」と告げる。最悪どんな環境でもできる。でもこの規模のステージになってしかもサンプラザ中野君のバックの演奏となるとアンプからの出力は必須だ。とにかくないとダメということをはっきりわかってもらいほかの準備を始めた。すでにリハーサル時間を過ぎている。

当初の予定であればもう音が出ていなければいけない時間だがここは我慢も必要だ。中途半端にやって何とかするのではなく、まずはとことん交渉して進めたい。アジアでやるには交渉がとにかく重要なのだ。機材が来ない間はあえて遊んでいた。おかげでちょっと歩き疲れモード。そして17時。ベースアンプが届いた。Ampegのアンプで出力もばっちり。言ってみるもんだね。そうしてかろうじてRHをやっているとベトナムTVの取材が入った。

もっと派手に弾いてくれというのでバラードなんだがオーバーアクションで弾いてみたりした。妙に気に入ってもらえたのでオンエアされているかもね。ステージの横では照明機材と格闘中でまだまだ、始まる気配はない。楽屋もない状況でどうなるのだろうと気をもむ。音が鳴っているので人が集まり始めた。告知不足と昨日のステージの解体中の後ろという環境はあまりよくないがあとは本番を待つのみである。そのころ一つの事件が起きていた。サンプラザ中野くんを迎えに行くバスの運転手が「なんどもいきたくない」とごねているという。

日本ではありえないことだがここではありえる。それにしても迎えにいかないとステージは始められない。結局viviちゃんがお金で解決してすんなりともう一度迎えに行ったがこのバスの手配自体フエ政府側の作業である。それを個別にお金を取って迎えに行くなど日本の旅行会社のツアーでやったら信用ガタ落ちであろう。というかこれは犯罪に近い。そのエリアのレベルではないのかもしれない。個人的なことかもしれない。でも観光ビジネスは一期一会。その時に出会った人や出来事でその国の価値を決めてしまう。単に出演者ということではなくて、これからの日本との交流の上でやってはいけないことということを理解してもらいたいと思っている。このことは後日フエ政府側にきちんと報告しようと思った。

そして、数十分。会場側ははやくステージをはじめろと催促をする。しかし移動中の車に僕の衣装が乗っているので始められない。「もう始めてください!」場の雰囲気が緊迫してくるのが分かる。お客さんも待ちくたびれて帰ってしまう人もいる。そして、ステージ後方ではまだムービングの照明を設置中というアンバランス。何度かのあおりを受けるが衣装もきないでステージにでるならここまできて音楽はやっていない。演奏曲を削ってでも自分たちのスタイルを貫きたい。急きょ演奏曲を3曲カット。それでもいいと思っている。納得ができないことは何一つやりたくはない。そしてもう限界かと思った時にようやくバスが見えてきた。そして僕の衣装も。バスが止まるな否や衣装に袖を通しそのままステージにかけ上る。

40分ほど押してステージは始まった。今回の演奏曲はベトナム語を中心としたもの。フエはまだ大都市ではないし、英語も話せない人も多い。日本の魅力は氏神さんと中野さんにまかせて僕らは交流をメインとしたベトナム語の曲を中心にやった。

また、日本を伝えるという意味で今回参加してくれた大プロデューサ角谷さんのプロデュース作品「夜桜お七」GYPSYQUEEN版を披露。中国では中国語にしたがここでは当然ベトナム語に翻訳してやる。サクラという日本を象徴する花を題材にベトナム語で歌ったのでかなり受けた。ベトナムの国の花はモモなので今度はモモに関する歌をやってみようとも思った。

演奏していると何やら楽屋らしきものが運ばれてくるのが目に映った。運ばれてくるのは大きなテントでそれが移動してくる。「なんだ?」楽屋というのはわかるがもうステージは始まっているのよ。そんなことよりも曲目変更で構成にも影響があるのでステージに集中。

急きょの曲変更で構成はバラバラになりつつあったが、なんとか長年のメンバーの「目でサイン」で乗り切り氏神さんにつなぐ。本当に助かったね。歴戦のメンバーに感謝だ。氏神さんは歌舞伎の装束。みるものに日本を伝えるのにわかりやすい。そしてサンプラザ中野くん。

言葉を超えたパワーは毎度さすがと感心する。環境がよくないことに加え告知不足もあって大変なステージなのにいつもと変わらないテンションでステージを盛り上げてくれた。

そしてあっという間のフエフェスティバルJapan music dayは終了した。19:30.ホテルに戻り夕食、そして21:30オープンエアの地元の飲み屋で打ち上げとなる。ち
なみにフエで多いビールがフェスティバルビールという名前。いろいろなビールがあるのが面白いね。まだ二日目の夜ではあるがこれで僕のお役目もほとんど終了。いろいろな課題を残したが解決の糸口はある。忘れないうちに次への教訓としてドキュメントを残していきたい。打ち上げ後ホテルにもどり足裏マッサージへ。アジアの楽しみの一つでもある。その後メンバーの部屋に戻り反省会をして就寝。お疲れさまな一日であった。

4月 30, 2012
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2012/04/8
7:00起床。天気は曇り。野外ステージなので雨が気になるね。7:30朝食をすましスーツに着替え8:30出発。常夏のアジアでのスーツはきついね。今日は午前中にベトナム政府観光局の方々と日本支局設立のための覚書の調印を行うことになっている。この調印式が済めば日本におけるベトナム政府観光局の窓口の開設が現実となる。
青柳さんと話していたことがようやく現実のものになるのだ。緊張感。いい意味のね。ここまでたどり着くために本当に何度も何度も変更や調整を重ねてきた。到底無理と思った時もあった。いや、それはなかったね。絶対にやろうと思ったことは意地でもやらないと。その気合だけでやってこれた今日。一行は会場となるインドシナパレスホテルへ向かう。
格式の高いホテルだ。ロビーで集合し、会場に入ると調印式の準備はすでに整っていた。ベトナム側の窓口のVu namさんや安藤さんと合流し今日の流れを確認する。Tuan局長や調印の相手であるAnh部長も到着したようだ。日本側はサンプラザ中野くんも含め25名。あわただしく文書や進行の確認をしているとベトナム側の会場入りとなりすぐに調印式が始まった。

9:30.定刻を少し過ぎて最初にTuan局長のあいさつが入る。そして青柳さんのあいさつと予定通り進む。正式なサインが交わされ、日本とベトナムをつなぐ組織が正式に立ち上がった。人と人を音楽でつないできた今まで。そしてそれはこれからも変わらない。エンタテイメントで国と国をつなぐことに貢献できることは本当に名誉なことだ。式典が終わり一行は観光ムード。

アーチストチームは別の会場で行われるフエフェスティバルのオープニングパーティ会場に向かう。何よりも時間に真面目な日本人。集合時間の11時に会場につくと誰もいなかった。待つこと30分。ようやく会場入り。世界各国のチームが会場入りしてだんだんにぎやかになる。結局12時過ぎに乾杯となってあとはざわざわモードである。主催者のフエ観光局からお礼状を頂いたりしてホテルに戻る。さあ、スーツはここで脱いであとはフェスモードに切り替えだ。
4月 29, 2012
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2012/04/07
5:00起床。6時に自宅を出る。家の前の桜並木。ニュースでは今日が満開という桜。かえってきたらピークを過ぎているなぁとちょっと残念な気持ちだ。この時間タクシーがあまり来ない時間なのだが今日はタクシーもすぐにつかまりスムーズに6:15上野着。集合時間の6:30のスカイライナーに乗り込み一路成田へ。日暮里でメンバーも乗り込んできて成田に向かう。今日のおさらいをしているとあっという間に成田に7:14着。早いよね。
機材がなければ車でなくてもこれでOKなんだよね、と思う。集合場所の第一ターミナル ベトナム航空前に行くとすでに大勢集まりかけていた。今回のツアー久しぶりの大人数。総勢26人のツアーだ。目的は2つ。HUE FESTIVAL2012への参加とベトナム政府観光局日本支局の設立に関するベトナム政府との調印式を行うこと。この二つの(主に2番目だが)行事にメディア関係を中心とする皆さんが集まってくれた。
ミュージシャンチームもサンプラザ中野くん、氏神一番さん、GYPSY QUEENの3組での参加の旅だ。まずはメンバー紹介ということで空港内のミーティングルームで結団式。出発前にみんなの顔を知ることは大切だよね。この部屋を押さえてくれた三浦さんに感謝だ。自己紹介のあとは無茶ぶりで中野さんにシメをお願いして出発。こんな時快くしめてくれる中野さんに感謝だ。
案外時間もなくちょっとさびしい感じの第一ターミナル内を搭乗ゲートまで進む。そして9:30搭乗。10時にVN301便は一路ホーチミンに飛び立つ。かなり混んでいてほぼ満席状態。景気がいいのか?機内では久しぶりの6時間ということでやることも終え、退屈な時間を過ごす。いつも中国が多いので基本3時間以上のフライトはないので結構6時間は遠い感じだ。フライトが若干遅れたこともあり16:40着。30分の遅延でホーチミンに到着する。
みなれた風景が戻ってきた。そしてこの暑さも。フエへの乗り継ぎだが荷物を一度ピックアップして国際線から一度出国してそして、国内線の担当者に荷物を渡すというちょっと複雑なやり方で進む。結構このやり方微妙じゃないか?と思う。ツアー団の荷物。間違いがあると後から大変なことになるので神経を使いながら対応。数を念入りに確認してVNAのスタッフに渡す。
そして出国するとリンさんがまっていてくれた。これは今度ベトナムで行うオーディションの打ち合わせのため。ただ、到着が30分遅れたので本当に時間のない中、空港で打ち合わせをすることになった。そしてなんとナムクーンも来てくれた。このベトナムの若手のトップアーチストといっていいだろう、Nam Cuongは一昨年の日本公演の仲間。そして、今回のオーディションは彼の事務所が仕切ることになる。

あわただしい中打ち合わせが行われ、搭乗時間が近づき移送でゲートへ。ここからフエに向かうのだ。16:10搭乗。何とか間に合った。機体は一気に高度を上げ、若干揺れつつ夕刻のフエへ向かって飛び立った。17時過ぎ。機体は高度を下げてくる。フエは僕らも初めての場所。一面の水田が続く中に降りようとしている。
そして、17:30。雨のフエに到着。蒸し暑いね。でもこの雨で温度はどんどん下がっていく感じだ。イメージは8月の軽井沢の雨か。夕方の暗さもあってそんなさびしい雨だ。このフエは10世紀ごろにチャンパ王国の首都として栄えたところ。近代史としても1802年から1945年までここがグエン王朝の首都であった由緒正しき町だ。そんなイメージとは程遠い小さな空港ゲートを抜け、若干行き違いはあったものの観光局の車とツアー組の車に分かれて市内へ向かう。
この日の歓迎会について2転、3転、いやそれどころじゃない5転くらいして結局個別に夕食を食べることになった。当日になって、しかも間際一時間くらいの間になぜここまで変更ばかりが続くのかと思うと近年のベトナムとの付き合い方とは違うということがよくわかる。ここはハノイはホーチミンではないのだ。二大都市と地方都市との差をこのあとたっぷり感じることになるがここはまだ前哨戦であった。
19:15夕食。ミュージシャンチームとツアーチームはわかれたままだ。そして観光局打ち合わせ。ハノイからのメンバーが合流して明日の調印式について打ち合わせを行う。ようやく形が見えてきた。ハノイの仕切りについては想定範囲内で進むがこの時点でまだフエ側の担当者と会えていない。サポートしてくれるスタッフからは問題ないと聞かされるがイベント側責任者と打ち合わせもせず本番に臨むことはかなり危険であるしうまくいったためしがない。不安が残る中打ち合わせは終了する。
食後フエフェスティバルの開会式に向かう。ホテルを出てフエ市の中心を流れるホン川の手前で下車。もう、ここからは車で行ける状況でない感じだ。フエはこの川を境に王宮のある町と市街地に分かれている。川の手前はホテルや観光施設のネオンで輝き、真っ暗な川の先にはフェスティバルのせいだろうか、たいまつに飾られた王宮が見える。僕らは押し合いなが橋を越えて王宮のゲートにたどり着く。

そしてそこからは。。。山手線のラッシュアワーのピークのような状態で延々と入口まで歩く。日本だったら完全に規制されているね。というか事故が起こらないことが不思議なくらいだ。僕の後ろにはつぶされないようにviviちゃんが続く。なぜが見知らぬベトナム人学生たちも僕のシャツのつかんで流れに乗ろうとしている。人の足をふみ、倒れこみそうになって前へ前へ進んでようやく宮殿の入り口に。そして、そこから先にさらに進んだ場所にメインステージがあった。強引にパスを見せて検問を抜ける。ふーっ。ここまで30分。最初から見ようと思った開会式は中盤となっていた。

それにしてもこの人々のパワーのすごさはたまったもんじゃない。日本と比べることはできないこの力。エネルギーを感じさせられた。ステージでは王宮の堀を埋めてステージにした形で大掛かりなセットとなっている。「明日はここでやるの?」と聞くとそうだという。でも、ちょっとこの規模感。バンドでやるイメージではない広さだ。ローラースケートでもはかないと様にならないね。かなりの不安を抱えて会場を出る。帰りも行きほどではないが混雑にまみれ元のバスの位置に。みんなぐったりだ。だが、面白いものを見ることができた。

ベトナムの力。パワー。そんなものが垣間見れたのは大きな収穫だった。22:00.ホテルに戻りメンバーと合流して明日の公演のリハーサルを行う。0:00一足先に部屋に戻る。明日はダブルヘッダー。最後の準備をしなければ。
4月 7, 2012
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2012/03/29
8:00起床、昨年末から禁酒のためか二日酔いをせず起きることができる。これは非常に最終日を充実させる意味でよい感じだ。残務整理に追われる。このレポートもなかなか追いつかない。そんなことをしている間に気付くとなんだか部屋が暗い。部屋の外がざわついている。停電になったようだ。フロントに聞いてみると停電は大学内全部でどうしようもないという。シャワーは浴びれるだろうか?恐る恐るシャワーをひねるとお湯が出るので出ているうちに浴びてしまおう。それでもドライヤーが使えないことに気づきちょっとブルーになる。

10時にロビーに降りるとショウさんが待っていた。昨日来ないといっていたユン先生も来ていた。なんだかおしゃれしている。みんなで記念撮影をして今日は日本文化祭ということなので学生たちの模擬店を見に行くことに。昨日のコンサートのあとなのでみんなメンバーをよく知ってくれていて和気あいあいとした感じになった。

メイド喫茶に居酒屋などなんだか懐かしい学園祭風景だ。「いらっしゃいませ」という居酒屋ブースの子に「へい!よろこんで!」と教えてあげたりメイド喫茶の子にポーズを教えてあげてそれなりに貢献してきた。

時間はほとんどなく10:20。大学を出発。疲れていたのだろうか、バスに乗ってみんなに手を振った後、不覚にも寝てしまった。いつも帰りの道をよく覚えて帰るので(そうすると次に来た時に風景で思い出すからね)疲れている自分にビックリである。もう郊外に出たところで目が覚める。11時だった。結構混んでいるね、とショウさんと話しながらしばらくすると空港が見えてきた。今も建設中のこの空港。もっと大きなものになるみたいだ。デザインがなんとなく鎧のように見えるな。
11:30空港着。そしてチェックイン。隣のカウンターではまたもや大もめになっている。ショウさんいわく成都は欠航便が多いらしく、この人たちは昨日の夜欠航、そして今日も飛ばないということで大暴れ中だという。僕らのツアー中だったら2日足止め食らったら大変だよね。最近検査が厳しいらしく初めてスーツケースの中の電池がチェックされた。まあ、バンドマンのスーツケースといったら配線と電池などが詰まっていてエックス線を通すとさぞかし危険なものに感じるのだろう。12時チェックイン。ここで弟ともお別れだ。今回のストーリーの始まりはショウさんからだった。ありがとう!そして、僕らはゲートに進み、12:30予定通り搭乗。旅もここで終わりだ。なかなか飛び立たなかったが一時間後の13:30テイクオフ。ありがとう四川省。ありがとうパンダ。ありがとううさちゃん。

飛び立ってから北京に向かうこのCA421便。とにかく揺れた。なんだか最近本当に北京ルートは揺れる。いやだなぁ。本当に激しく揺れて眠ることもできずに15:50北京に到着した。フライトが遅れたので乗継も大急ぎ。2時間の待ち時間がほとんどなくそのまま乗継便のロビーに向かう。途中masaoが荷物を忘れるなどひと騒動あったがまあ、なんとななるだろうととりあえずCA183便に搭乗。今回ほとんどノーミスのmasaoが最後にやらかしたところでこのツアーは終了となる。北京発17:45一週間ぶりに日本に帰る。ちょうど座席がよく前が広くて快適だ。このA321-200のシートナンバー16。これもラッキーだね。あとは揺れないことを願おう。
第四章3幕はここで閉じることになる。40周年事業ということもあり準備に時間をかけた。その間にいろいろなことが起きても僕らは最近揺るがなくなったと思う。神経が太くなったのか?そうでもないね。たぶん何か、なんていうんだろう。中国を信じ始めたんだろうと思う。まだまだたくさんの大変なことがある。それでも必ずと言っていいほど僕らの向かった先には、僕らのたどり着く行先には最高の新しい友と忘れられない老朋友が待っている。だから行くんだな。風がどんなに強くても吹き飛ばされないだけの記憶の中の想像図さえあれば僕らはいける。このやり方をこれからも続け点を線にそして線を面にしていこう。

22時。少し遅れたが僕らは見慣れた大都会東京にたどり着く。きれいな夜景だ。こんなに明るかったんだな。一年前は真っ暗だったこの国がまた光を取り戻しつつある。

2012/03/23-29 日中国交正常化40周年事業「武漢・貴州・成都公演」 GYPSY QUEEN ROAD TO ASIA#33 Reproduction
4月 6, 2012
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2012/03/287:00起床。昨日の晩寒かったのか体調悪し。気を付けないとね。今日の本番が終われば風邪もWelcomeだ。8:00にロビーに集合して朝食へ。ここも大学内のマンモス食堂に行く。中身は全部中華。朝から激辛はきついのでなんとなくやさしそうな麺を選ぶ。中国はどこでも麺が本当においしい。ただ、学校が広いのでどこに行くにも時間がかかるのが難点だ。

ホテルに戻り9:20。交流会場に向かう。10分ほどで着いて(それでも学校内なんだけれどね)4階の教室へ。エレベータとかはないので全部階段で機材が重い。到着した教室ではここもすでに満員の学生が待っていてくれた。ここまでアテンドしてくれているのはみな学生。ここの学生は本当に礼儀正しく、ユン先生の教育がいいのか本当にすばらしいとしか言いようがない。司会や通訳をしてくれる学生は特に日本語がうまく、一度も日本に来たことがないなんて信じられない感じだ。交流会は終始楽しく進んだ。夢ハンカチにもいろいろな思いを日本語で、中国語で書いてくれる。みんなの夢がかなえばいいね。

終了後記念写真をとろうとしたけれど、終わった瞬間に席を立つのがこちらの流儀。あっという間にいなくなってしまったところは中国らしいね。そして、ランチへ向かう。昨日とおなじ四川料理のお店だ。昼から辛いぞ。たった一人いる日本人先生との交流もできて満足だ。昼食を終え、パンダ基地観光組みとお別れ。いいなぁ。パンダ基地は58元で入場できるらしい。ただ、パンダを抱っこすると1200元とのことなので、どんな需要なんだと思う。まあ、高いのはわかる気がするが。

僕らはホテルに戻り機材を持って会場へ。遠いのでこの移動もバスで行くことに。会場は学生センターで日本の体育館くらいの場所だった。体育館なので音場は決してよいとはいえない。それでも朝ご飯も食べずに機材を確認しにいってくれて、そして昼ごはん食べずにサウンドチェックをしてくれている千夏のおかげでリハができる体裁になっていた。本当にありがとうね。サウンドチェックも順調に進みいよいよコラボのリハーサル。イケメン風の男の子と、普通に東京にいそうな女の子。成都は都会だからか?あまり苦労することなくリハーサルを終えることができた。
16:30に終了しホテルに戻りすぐに出発。この後は副学長主催の夕食会ということで「絶対に遅れてはだめ」とユン先生に厳しく言われる。いつの間にか皆、ユン先生の迫力にすっかり言うことを聞くようになっていた。すごい。この食事会も大学内にある接待所の個室で行われた。英語を話しカナダ留学で日本人の親友ができたこともあり日本が大好きだ、と言ってくれた。やはり学生時代の思いはいつまでも残るということだと思う。今日もきっと数十年後の人々の思いを作る場になればいい。かなり話も盛り上がりちょっと押し気味で会場へ。

コンサートは予定通り19:00のスタートだ。すでにお客さんは満員。最後列はみんな立ち見になっている。どれだけ入るか気になっていたので違った驚きだ。おのずとテンションも高まる。このツアーもここで最後。思いっきりやろう!司会者がスタンバイをし、幕の外では開会の言葉が始まる。学長のあいさつ、重慶総領事館の山崎さんのあいさつが続きいよいよ僕らの出番だ。SEでWe Will Rock Youが流れ出すと会場のテンションは一気に盛り上がる。本当に最近の中国の学生のノリはすさまじい。RocknRollのナンバーからステージは始まった。

今日も90分ほどのすてーじだが貴州とはセットリストを変えて望んだ。成都なら四川の歌をいれたりとか、ユン先生のリクエストもあったりしたので貴州とは別な進行になる。途中のshinonの着替えの時のバンドチームのコーナーではBeyondをうたった。国民的な歌手の歌は本当に受けがいいね。



貴州ではやらなかった交流コーナーでのじゃんけん大会は思いのほか盛り上がった。みんな日本のことを知りたがっている。もっとたくさんの日本を感じたいと思っている。だから僕らだけではなくもっとたくさんの人が交流をしていけばいいと思う。もちろん、それは簡単じゃない。簡単ならみんなやっているからね。いろいろな障害はあるものだがやはり一番の決め手は、会いたいと思う人がいるかどうかなんだろうと思う。幸い、一つのきっかけをもとに僕らには会いたいと思う中国の朋友がたくさんできた。

そこを綴ってきて今まで来たし、それはこれからも続くだろう。今回もまたたくさんの絆ができたと思う。それも加速度的に増えてきているということがわかる。交流は大勢とすればいいものでもない。ちゃんと相手の顔を見てちゃんと話をしないとテレビの映像と何ら変わりない。Face to Faceの大切さはどれだけ心を入れ込むことができるかにもよると思う。それが今回はまたできたんだなと思うね。

ステージ終盤は定番の中国曲をGYPSYQUEENアレンジをしたナンバーで突き進む。最高潮に盛り上がりステージは終了した。最後に会場に全員であいさつ。そのあとはみんながステージに上がって着ての交流、いつも見る場面。そして実に気持ちの良い場面となる。終了後荷物をまとめホテルへ。ショウさんがばつぐんのタイミングでバスを回してくれる。みんなおつかれさま!6泊のツアーに付き合ってくれた皆さんにも感謝だ。
21:30にホテル着。ユン先生の指導で21:50ホテル出発、うむタイトかつ素早い行動である。打ち上げはBBQに行きましょうというのでわくわくしていた。学校を出てしばらく走るといわゆる町の飲み屋の前に止まる。「重慶式ね」、そんな雰囲気だと思ったがお店の看板に何やら怪しい文字が「兔」と書いてある。これは。。。う。うさぎぃ~!ウサギをたべてしまうなんてなんということだ。BBQと聞いてわくわくモードが一気にローテンションに。しかもお店を見ると何やらウサの顔を焼いたものがたくさんあったような気がした。まあ、ちょっと残念だが僕がうさぎ年であることを伝えたうえで席に着く。

気を取り直して乾杯。僕らのコンサートをきっかけに日本文化祭を開いてくれたユン先生、成都でのコーディネートを一手に引き受けてくれたショウさん、そしてツアーに参加してくれた応援団のみなさんと過酷な準備に耐えて一緒に成功を作り出してくれたメンバーに乾杯!終わった充実感はたっぷりあった。そしてウサギの肉もおいしかった。ごめんウサちゃん。
宴席は盛り上がりここでも次の新しい話が出てきた。こうしていろいろな町で新しい関係が生まれる。いいよね。もっと広がればいい。12時を過ぎていったん解散に。明日は会えないということでユン先生ともお別れ。本当にありがとうございました!一行は兔臭くなってバスに乗り込みホテルへ。ホテルでは恒例の反省会をということでいつものmasao部屋に集合する。ツアーの映像を見ながら長いようで短かったこの数日を振り帰る。
武漢、貴州、成都。とても濃い旅だったね。睡魔に襲われつつなんとか映像を見終わり中締め。まだまだ飲む気満々のメンバーを置いてフラフラになりながら部屋に戻る。02:30か。いい一日だった。

4月 5, 2012
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2012/03/27
09:30ロビー集合して今日も朝食を食べに学食へ。今日から応援団も加わり総勢10名となって何となくにぎやかだ。10:00講演会の為にいらっしゃっている総領事にご挨拶。本当は話を聞いていきたいところだがスケジュール的に間に合わないためにご挨拶だけで失礼させていただく。

ホテルに戻り荷物を積めて出発。あっという間だったな。文先生とお別れの挨拶。また来年も会えることが当たり前のように僕らは再会を約束してバスに。文先生が「学生はみんなGYPSYQUEENのファンですから来年も来てくださいね」の言葉がうれしい。バスはこのあたりの古い街並みのある青岩に向かう。小さな花渓の町を抜けお花畑の続くのどかな風景を行く。

気づくと寝てしまっていた。11時過ぎに到着。ここでしばし散策を楽しむ。武漢といい今回はこういう時間があって嬉しいね。茶館でお茶をしていよいよ出発という時にツアーメンバーの金野さんがいないことに気付く。さっそく捜索隊。ここで迷ってしまうとどうしようもない。てきぱきと3方向に捜索隊を出す。本隊はまよってしまうので先にバスで待つことになる。ここで待つか、最初の入り口で待つか。そんな中、宮城さんが金野さんと遭遇して発見される。一件落着。ちょっと焦ったけれどよかった。そんなこともあり13:10バスは空港に向かって走り始めた。

金野さんに迷ったいきさつを聞く。最初にみんなの行方が分からなくなり最初の所に戻ったがすでにバスはないので、こまってタクシにのって貴州大学に行こうとした。しかし、中国語もわからなかったのでどうなるかと思ったら運転手が貴州大学の知り合いがいてそこに電話をして、その相手からさらに日本語学科のこの連絡先を聞き出し、さらにそこからキンキンに話をつなげて無事所在が分かったという。タクシーの運転手の劇的機転といえばそれまでだが、ぼくらはよく思い当たる節がある。この国はとにかくネットワーク社会。つながりが最重要な国だ。だから、ドライバーは非常にいろいろなことを知っている。以前もツアー中にタクシーに忘れたカメラが戻ってきたり、機材をタクシーの運転手が届けてくれたことがあった。盗難や遭難ということも100%なくはない。でも、この国の人は基本的に親切で当たり前だが日本人と同じように人の苦しみが分かる人たちだ。困っている日本人がいたら助けてくれる。そんな当たり前のことだったが、まあ、見事な旅の思い出になったに違いない。

そして、今までよりもちょっと中国が好きになってくれたら幸いだ。
14:00、一行は天河空港に到着。ここできんきんもお別れと思っていた。そこでトラブルがまたもや発生。今度はぼくらのチケットが登録されていないという。そんなことはない。さらにビザが必要だという。これもそんなことはありえない。猛然と抗議する。しかしらちが明かずCAのカウンターへ。事情を説明しても押し問答しかならない状況だがそこで文先生に電話をした。文先生は冷静に「航空会社の人に変わってもらえますか?」というので変わる。その1分後。僕らのチケットは発券された。なんで?恐るべし文先生。どんな交渉をしたのだろうか?いずれにしても僕らの航空券には手書きのパスポート番号の記載とCAの印鑑を押してもらい無事搭乗できることになったのである。ほっとした。
きんきんはとても申し訳なさそうな顔をしてみんなに謝る。君が誤ることではないというと「一緒にいてちゃんとできませんでした、ごめんなさい」と謝る。いい子だね。気にしないでと慰めきんきんともお別れ。思えばまだまる2日も一緒にいない彼女。それでも、同じステージに立った仲間との別れは毎度別れがたい。一悶着あった後はお腹がすく。空港の地下のKFCでまたもや欧米の味を堪能。そして、16:55.CA4436便にて成都へ向かう。貴州の奇岩の山々を見下ろしテイクオフ。今回もかなり揺れて怖いね。最近なんだか世界の風が強くなったんじゃないか?
機内食のそこそこに資料の整理をしつつ着陸を待つ。街の明かりが見えてきた。成都は大都会だ。街の明かりがまばゆい。18:10成都着。またここに戻ってきた。空港には弟、ショウさんが出迎えに来てくれていた。今回のすべての企画のスタートは彼からだった。かれが僕らの公演のためにこの広い成都の大学をいろいろヒアリングしてくれて、その中でもっとも積極的だった西華大学での公演となった。そして、それが日本文化祭の行事として広がっていったのだ。ショウさんはこの日結婚届を出す日だったそうで、今日くらい奥さんといなくていいのか?というと「奥さんとはこれから何十年と一緒にいます。でもAKIとはこの二日間しかあえませんから」という。泣かせてくれるじゃないか弟よ!2005年に僕らの重慶でのコンサートを見てくれた彼。2009年に蘇州で偶然再会した彼。そして、上海でも公演の度に会いそして今日を迎えている。

僕らのツアーの中でたくさんの出演をしているショウさんだった。西華大学に到着。ものすごいキャンバスで正門から入りホテルに着くまで10分弱はかかるという広大な土地。5万人の学生を抱え、ほとんどが寮生活をしているという。なんなんだ、この中国の教育に対する熱心さは。こんな素晴らしい環境で学んだ学生たち。一生懸命日本語で交流をする彼ら。一生懸命中国語で答える僕ら。この逆転状況がたまらない。チェックインをしてすぐに夕食へ。ここで尹先生とご対面。ここまでの準備は彼女が一手に引き受けて進めてくれた。流暢な日本語はさすが。ここが日本のように思えてくるね。夕食はもちろん四川料理。辛くないというものを用意してくれたが十分辛かった。

そして超美味である。四川料理、最高。夕食兼ミーティングを行い20:30終了。お店を出て超市で買い物をしてホテルに戻る。何しろホテルに自動販売機があるわけではないので、買い出しは一苦労である。21:30ホテルに戻って明日の準備をおさらいする。この繰り返しからこうして精度を高めていくんだ。深夜0時を回り解散。今日は移動もありかなり疲れたね。いよいよ明日がこのツアーの締めくくりの公演となる。がんばろう。02:00就寝。
4月 4, 2012
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2012/03/26
07:00起床。ちょっと寝不足か?だらだらと起きる。08:00にロビーに集合して学生食堂へ。ここで麺を頂く。鶏がらスープだがちょっと調味料を間違えると激辛。

でも、キンキンは普通に食べている。やはり辛いものに強いのね。今日はコンサート。その前に開会式に出席する。昨年あった貴州大学の先生たちとの再会は懐かしいものだった。粛々と式典は進み終了。すぐに部屋に戻りキンキンの特訓の成果を見る。昨晩頑張ったのだろう。かなりバンドと合うようになってきた。これならいけるね。そう確信した。

日本式のリズム遊びの所も体で覚えてもらう。中国ではあまり使わないリズムを彼女が会得することに意味がある。そして、それがここから広がることは「仁先生」になった気持ちで心地よい。何となくいい雰囲気が流れてきて昼食へ。そして、部屋で一休みしてすぐに会場に向かう。14時からリハーサル。去年と同じ場所に戻ってきた。スタンバイすると何やら学生が近寄ってくる。去年一緒にコンサートをしたという学生だった。ちょっと記憶が薄かったがなんとなく思い出してきた。そして、今回のアンプは彼らのものを使うという。

そのアンプが素晴らしい。というかほぼ新品。ギターアンプも新品のメサブギ。これってかなり高いやつなんだよね。ベースアンプもAshdownのいい奴を持ってきてくれた。本当に変わってきたもので貴州大学の寮に住んでいる学生がこんないいアンプを持っている。あるところにはあるんだなと思う。彼の名前は若くん。坊主頭にNYの帽子。印象深い。日本語はわからないようで英語と中国語で会話する。去年のコンサートがとても刺激的でベースを一生懸命練習しているという。いいんじゃないか、こういう関係。かいがいしくアンプの場所を変えてくれたり落ちそうになるベースをちゃんと固定してくれたりとよく気の利く学生だった。そんな環境もありリハーサルも満足いく形で進んだ。何よりもいい音の出るアンプで個人的に大満足。ステージではいよいよキンキンの出番になったリハーサル前に漢民族の伝統的な衣装を披露。やはり似合うね。彼女自身は漢民族ではなく布衣族という。

リハ前に駆け付けてくれた千夏が音響を仕切ってくれたおかげでロックサウンドと琵琶の演奏という非常に難しい音サバキも完璧にやってくれた。この力は大きいね。いつの間にか千夏が地元の音響スタッフを仕切っている。彼女も3度目のツアー。日本国内での経験もついて頼もしいエンジニアになっていた。貴州民謡をアレンジした曲は昨年も演奏している有名曲。今年もシーシーが参加。ちょっと大人っぽくなっているぞ。背も伸びたか?まるで昔からの仲間のような再会はいつでも気持ちいいものだ。息もぴったり合ってリハーサル終了。17:20一度ホテルに戻り本番の準備をする。
18時から学長との夕食だったがほかの行事がかなり遅れているらしく、とりあえず僕らだけ夕食へ。終わりくらいに学長が来たのでご挨拶だけでホテルに戻る。ほかのゲストにも僕らの事を紹介してくれて、さらに「来年は新キャンバスができるのでそこに来てほしい」と一年越しのオファ。なんだかここもホームタウンのような気持になってくる。コンサートは19時スタートだったがVIPの方々の食事も遅れるだろうとと想像しつつ会場へ。だんだん気持ちが盛り上がってくる。ステージ始まり直前。みんなで気持ちを一つにする。このコンサートが成功しますように。そして今ここにいないミサトの魂が再びここに戻ってこれるように。僕らのものだけではないステージが始まる。 司会者は本当に素晴らしい声をもつ男性。TBSラジオの中村尚登さんばりの低音はすぐにでも日本にスカウトしたい感じ。呼び込まれて貴州のステージが始まる。

今回は日本を表現する意味で演歌をロックアレンジして演奏した。ただこの表現はそう正しくない。そもそも中国で演歌はわからない。音楽は音楽。そのメロディ回しが違うだけで日本人には伝わるが歌詞の意味が分からない外国人にはメロディが日本風な歌としか伝わらないだろう。その前提が分かったうえで僕らは日本のアイデンティティとして演奏した。中国で中国の民族音楽をROCKにした。そのスタイルを置き換えて僕らは日本民族的音楽を僕らなりのアレンジで伝える。そんな方程式を今回持って行ったのだ。思いのほか好評で気を良くする。

90分のステージはいろいろなテストも含め実りあるものだった。Shinonの着替えの時の僕の歌も今回は余興ではなくきちんと歌った。Machaとmasaoもコーラスで参加。日本でのリハーサルでもかなりここに時間を費やした。ちゃんとやってみよう。そこからの始まりだったが、まあまあなんとかできたかな?そしてステージトークショウではviviちゃん登場。プレゼントなどもあり大盛り上がり。コンサートの中の企画としてとても面白いのでこれからにGYPSYのコンサートには必須のコンテンツかもと思った。そして貴州民謡。日中の合作は歌だけでなく楽器もコラボをしてまさに共同制作となった。

一緒にいい音を出す瞬間は本当に価値のあるものだ。それまで緊張ばかりしていたキンキンが演奏途中で見せた笑顔は見違えるほどきれいなものだった。幸せ溢れる彼女の顔を見てこの交流の大切さを知る。そしてその尊さを知る。もっとやっていこう、そんな気にさせる瞬間だね。公演は無事終了。そしていつもの記念写真。興奮した学生たちは中国語、英語、日本語で話しかけてくる。アンプを貸してくれた若くんがの見に行こうと誘ってくれる。それも面白いね。と快諾。ホテルに荷物を置きに行き22:10。ロビー集合する。バンド関係の学生たちと学校の外の場末の飲み屋へ。

なんともアンダーグラウンドだがここはもう僕らの仲間の店。怖いことは何もない。たまたま若くんが誕生日ということでみんなでお祝いをする。「かれはGYPSYの曲演奏できるんだって」。ドレッドヘアのギタリストは僕らのファンで是非一緒に演奏したいという。うれしい事じゃないか?来年は一緒に演奏しよう。そしてその場で一曲演奏しようということになりドレッドくんのギターでBeyondを歌う。いつまでも終わりのない夜。お酒が飲めない辛さだがGYPSYの豪傑たちがことごとく学生に飲ませて盛り上げてくれる。キンキンもとても盛り上がっている。不思議な空間だね。今なんで僕らはここにいるのだろう。こんなに打ち解けているバンドマン達がみんな中国人であり、そしてその真ん中に僕らがいてお互いを尊敬しあっている。Beyondを生で見たことのない学生は目をキラキラさせている。

ピュアな彼らはこれからのこの国を担う大切な若者だ。最初、この店に入るのを躊躇していた僕はすっかりこの雰囲気が気に入っていた。01:00。名残惜しくもホテル戻る、まだまだいけそうな彼らだがツアー中の僕らが持たないかもね。会計をしようとすると「こっちが誘ったから」と若くんが支払いをしようとする。大の大人が学生におごってもらったとなるとそれはよくない。会計カウンターで押し問答。一度払ったお金を取り戻し若くんに無理やりつかませて、viviちゃんが支払いをすることに。
「今日は誕生日だから」といったかどうかはわからないが若くんは泣いていた。それをなだめるviviちゃん。帰り道viviちゃんに手をつないでもらって大学に帰る若くん。とても素晴らしい誕生日になったことだろう。もう、門限を過ぎていたのでキンキンを先生の寮まで送り僕らもホテルへ。良かったな。素晴らしい一日だった。コンサートもそして、彼らとの貴重な時間もすべてだ。
4月 3, 2012
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2012/03/25
07:00起床。寝不足気味は毎度のことだが気候がいいのでそんなに苦にならない。08:30、朝食兼ミーテイングで今日の動きを確認する。今日はあわただしくも移動日だ。09:30にチェックアウトをして出発。今日も林さんが同行してくれることになった。休日なのに本当にありがたいね。バスで黄鶴楼へ向かい10時に到着。長江のほとりに立つここは過去何度も改築されているので建物自体は古くない。

中はコンクリートだったりして大阪城を思い出す。林さんの流暢な日本語の説明で時代の感覚や建造の歴史がよくわかった。思えばいつも観光なんてほとんどできていないのでこうしてじっくり町の史跡を歩けることがとてもうれしい。カートに乗ってあっという間に一回りをしてきた。うむ、満足。そして空港へ。本当にあっという間の滞在だった。それでも妙に充実感というかまるで古い友人のように感じられるここの人々。呉さんや林さんに会えたことが僕らにとっても最も大切な出来事だったんじゃないだろうか?お役人として付き合ってくれるのではなく、心から時間を共にしてくれることが分かる。だからこそ僕らにできることはこれからもずっと続けていかねばならないと思った。そして、恩返しに来ないといけないという気持ちにもなった。13:00。空港でランチをとる。林さんともここでお別れ。楽しい時間はあっという間に過ぎる。

13:50 出国、ああ、まだ帰りたくないな。そうだ、必ずまたここにこよう。そしてその時はRockのコンサートを披露しようじゃないか。14:45貴州に向け中華南方航空に搭乗。気持ちを切り替える。機内では揺れる&満席の中貴州の交流会の準備をする。寝ている間はない。16:10貴州着。一年前の場所に戻ってきた。約束通り戻ってきた。空港には日本語学科の学生2人が迎えに来てくれていた。最近本当に思うのだが本当にこちらの学生は礼儀正しい。日本が忘れかけている美しさを彼女たちから感じ取る。

空港から貴州大学まで40分程度。きれいなそして広大な菜の花畑を横目で見ながらバスは行く。いいね、目に優しい色だよね。そして、山間を抜けるといきなり貴州大学のある花渓についた。橋を渡りすぐに貴州大学に到着。空港から近かったんだね。今回はここのホテルに泊まることにしたので二日間ずっとこの界隈で過ごすことになる。懐かしい風景。宿舎の前に到着すると文先生が待っていた。

懐かしいね。そう、去年の3月。本当に僕らの元気のきっかけにもなったかもしれない出会いだったよね。そして、この一年のすべてのスタートはここからだったんだ。そうおもうと感慨深い。昨年実施後からずっと連絡を取り合っていたこともあり本当の老友人のような関係。そして、だからこそできるのだろう、今回は貴州の楽器とコラボレートすることになっていた。そして、その人が僕らのアテンドのキンキンだった。一石二鳥とはこのことか。一緒に演奏をする前にコミュニケーションからということで食事中いろいろなことをヒアリングする。貴州料理を食べながらいろいろな情報を得る。東京を出る前の情報なんてもう古い。日進月歩というがまあ、現場主義ということだろう。話も盛り上がりつつ今日はこのあと19時から交流会があるためにサクッと出発。交流会会場に向かう。この道もなんだか懐かしい。昨年、みんなにとっても評判だったおいしいチマキを売っているコンビニがなくなっていてちょっと残念。そこは小奇麗なレストランに変わっていた。学内を10分ほど歩くと外語学院が見えてきた。今日の交流会はここでやることになる。

会場に入ると既に学生たちが待っていてみんなに見つめられながら準備を行う。うむ、なんとも小恥ずかしい。舞台裏を見られるのは恥ずかしいものだ。そんなこともあり準備不足も否めず交流会に突入。中身は書かないが学生たちと本当に知りたい事、関心のあることについて話ができたと思う。そして、夢ハンカチにみんなの夢を書いてもらう。富士山であつまったみんなの夢を焼こうという企画面白いね。一人一人一生懸命書いている姿はうらやましくもある。そうだ、ここにいるみんなの未来は夢に満ち溢れている。いつまでもそうであってほしいと僕は願った。

あっという間の二時間が過ぎ交流会も終了。このプログラムを取り入れるときはどれだけの反応があるかと思っていたけれど思いのほか好評だし、なによりも僕らがみんなの事を理解するに十分な活動だ。むしろ僕らが勉強になっているという感じでもある。ずっとやっていきたいね。終了後、琵琶を持ってきたキンキンとリハーサル。緊張もあってなかなか思うように合わせられない。琵琶独特の譜面と元の曲の構成や休符など実際に合わせるとかなり異なるので苦心する。それでもステージは明日。まだまだ時間は山ほどある。1時間ほどしてなんとなく骨格はできた。あとは寮に戻って自分でおさらいをしてもらい、明日改めて朝やろう、ということで終了。

よかったな。なんとなくGYPSYQUEENに琵琶が入った感じがしてきた。結構いいかもね。人の喜ぶことをすることはとても楽しい。そして、それは自分にとっても楽しいことであったりする。ホテルに戻り打ち合わせ。交流会の反省会。そして、明日の公演の打ち合わせ。特にキンキンの琵琶の入れどころなどを細かく調整する。喧々諤々とする部分もある。適当に和気藹藹とやりたいわけじゃない。やる以上責任がある。日中関係のね。本当にそう思うんだ。このステージ一つで日本を好きになったり嫌いになったりする人がいる。だからこそ見た全員に日本を好きになってもらう。そうでなければ来た意味がない。深夜2時半。ようやく最終調整ができた時点で解散。それでも、masaoたちは詳細の確認を続けていた。今日眠らないことが明日の美酒に変わればそれでいいのさ。一足先に部屋に戻り僕は僕のやるべきことをやる。3:30就寝。