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HUE FESTIVAL3

簡単な打ち合わせの後会場に向かう。

とりあえずセッティングに時間がかかると思ったのでメンバーのみで向かう。

最初、バスが会場に入れないというのでそれは困ると交渉してステージまで行けることになった。

しかし、昨日大混雑をしていた道を行くと今度は通行止めのゲートに差し掛かりここからは歩いて行けという。

そんなことはしたくないので、運転手さんにゲートを開けてもらう。

結局自分でゲートを開けて自分で占めるということで通過。

よかったね。

車が会場に入ると昨日のステージはすでに解体中であった。

ん?僕らのステージは?

車が観客席脇を入ると何やらフラッグタワー前に仮設のステージが作られつつあった。

「ここ?」と聞くと「ここです」といわれる。

昨日の話と違っていたがそれを悪びれる感じでもない。

うむ。まあ、仕方ない。

とりあえず車を降り解体中の当初のステージのわき目にステージに上がる。

ステージ上にはドラムしかなくアンプがなかった。

しばらくするとギターアンプが届いたがベースアンプが届かなかったので聞いてみると「昨日の雨で壊れてしまった」という。

なにぃ?と怒っても仕方がないので。

「絶対にベースアンプを探してきてください。アンプがないと音は出せない」と告げる。

最悪どんな環境でもできる。

でもこの規模のステージになってしかもサンプラザ中野君のバックの演奏となるとアンプからの出力は必須だ。

とにかくないとダメということをはっきりわかってもらいほかの準備を始めた。

すでにリハーサル時間を過ぎている。

当初の予定であればもう音が出ていなければいけない時間だがここは我慢も必要だ。

中途半端にやって何とかするのではなく、まずはとことん交渉して進めたい。

アジアでやるには交渉がとにかく重要なのだ。

機材が来ない間はあえて遊んでいた。

おかげでちょっと歩き疲れモード。

そして17時。

ベースアンプが届いた。

Ampegのアンプで出力もばっちり。

言ってみるもんだね。

そうしてかろうじてRHをやっているとベトナムTVの取材が入った。

もっと派手に弾いてくれというのでバラードなんだがオーバーアクションで弾いてみたりした。

妙に気に入ってもらえたのでオンエアされているかもね。

ステージの横では照明機材と格闘中でまだまだ、始まる気配はない。

楽屋もない状況でどうなるのだろうと気をもむ。

音が鳴っているので人が集まり始めた。

告知不足と昨日のステージの解体中の後ろという環境はあまりよくないがあとは本番を待つのみである。

そのころ一つの事件が起きていた。

サンプラザ中野くんを迎えに行くバスの運転手が「なんどもいきたくない」とごねているという。

日本ではありえないことだがここではありえる。

それにしても迎えにいかないとステージは始められない。

結局viviちゃんがお金で解決してすんなりともう一度迎えに行ったがこのバスの手配自体フエ政府側の作業である。

それを個別にお金を取って迎えに行くなど日本の旅行会社のツアーでやったら信用ガタ落ちであろう。

というかこれは犯罪に近い。

そのエリアのレベルではないのかもしれない。

個人的なことかもしれない。

でも観光ビジネスは一期一会。

その時に出会った人や出来事でその国の価値を決めてしまう。

単に出演者ということではなくて、これからの日本との交流の上でやってはいけないことということを理解してもらいたいと思っている。

このことは後日フエ政府側にきちんと報告しようと思った。

そして、数十分。

会場側ははやくステージをはじめろと催促をする。

しかし移動中の車に僕の衣装が乗っているので始められない。

「もう始めてください!」場の雰囲気が緊迫してくるのが分かる。

お客さんも待ちくたびれて帰ってしまう人もいる。

そして、ステージ後方ではまだムービングの照明を設置中というアンバランス。

何度かのあおりを受けるが衣装もきないでステージにでるならここまできて音楽はやっていない。

演奏曲を削ってでも自分たちのスタイルを貫きたい。

急きょ演奏曲を3曲カット。

それでもいいと思っている。

納得ができないことは何一つやりたくはない。

そしてもう限界かと思った時にようやくバスが見えてきた。

そして僕の衣装も。

バスが止まるな否や衣装に袖を通しそのままステージにかけ上る。

40分ほど押してステージは始まった。

今回の演奏曲はベトナム語を中心としたもの。

フエはまだ大都市ではないし、英語も話せない人も多い。

日本の魅力は氏神さんと中野さんにまかせて僕らは交流をメインとしたベトナム語の曲を中心にやった。

また、日本を伝えるという意味で今回参加してくれた大プロデューサ角谷さんのプロデュース作品「夜桜お七」GYPSYQUEEN版を披露。

中国では中国語にしたがここでは当然ベトナム語に翻訳してやる。

サクラという日本を象徴する花を題材にベトナム語で歌ったのでかなり受けた。

ベトナムの国の花はモモなので今度はモモに関する歌をやってみようとも思った。

演奏していると何やら楽屋らしきものが運ばれてくるのが目に映った。

運ばれてくるのは大きなテントでそれが移動してくる。

「なんだ?」楽屋というのはわかるがもうステージは始まっているのよ。

そんなことよりも曲目変更で構成にも影響があるのでステージに集中。

急きょの曲変更で構成はバラバラになりつつあったが、なんとか長年のメンバーの「目でサイン」で乗り切り氏神さんにつなぐ。

本当に助かったね。

歴戦のメンバーに感謝だ。

氏神さんは歌舞伎の装束。

みるものに日本を伝えるのにわかりやすい。

そしてサンプラザ中野くん。

言葉を超えたパワーは毎度さすがと感心する。

環境がよくないことに加え告知不足もあって大変なステージなのにいつもと変わらないテンションでステージを盛り上げてくれた。

そしてあっという間のフエフェスティバルJapan music dayは終了した。

19:30。

ホテルに戻り夕食、そして21:30オープンエアの地元の飲み屋で打ち上げとなる。

ちなみにフエで多いビールがフェスティバルビールという名前。

いろいろなビールがあるのが面白いね。

まだ二日目の夜ではあるがこれで僕のお役目もほとんど終了。

いろいろな課題を残したが解決の糸口はある。

忘れないうちに次への教訓としてドキュメントを残していきたい。

打ち上げ後ホテルにもどり足裏マッサージへ。

アジアの楽しみの一つでもある。

その後メンバーの部屋に戻り反省会をして就寝。

お疲れさまな一日であった。

 

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