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Dan Heng It sa La

タイのアユタヤの遺跡群。もう、破壊の限りを尽くされている。 / Photo by Gucchi

今日は楽曲紹介ということで
Dan Heng It Sa Laについて紹介します。

この曲はラオスの独立を歌った歌。
日本人にとって独立の歌とかいうとなんとなく
政治のにおいがするみたいな感じだけれど、まあ、日本ほど
自由な国はなく、自由を喜ぶなんてあたりまえのことを歌うって
ことは不思議に思うかもしれない。
それでも、ごく一般に世の中で生きることは大変であり、その中で
少しでも自由に、希望を、理想的に生きようとすることはとても
大切なことであって意味のあることだったりする。

風邪をひいたときに、健康であるだけでありがたいとおもう気持ちと
一緒かも。

この曲を最初に聴いたのがバンビエンのリゾート。
アルーナの家族が経営するリゾートで僕らがコンサートをやったときだ。

川べりのログレストランはいわゆる屋根だけで仕切りはまったくない。
そこで各国からきたおきゃくさんの前でコンサートをやったのだが、そのときに
僕らと一緒についてきたラオス政府の情報文化省の役人が酔っ払った勢いで
深夜に歌い始めたのがこの曲だった。

これまでほとんど会話はせず、とても笑顔のかわいいおとなしい人だとおもった
彼が飲むと豹変し、(それもかなり飲んでいた)大盛り上がりになった。
ぼくらもそれは大歓迎で一緒になってビアラオをあけまくったのだが、彼が
いきなりギターをもってステージにたった。

大体、ギターが弾けるなんて知らなかったし、後から聞くといろいろな歌手に
楽曲提供をしているという。役人なのになぜ?とおもいつつその歌を聴いた。

それがデンイーサラ。正式にはDAN HENG IT SA LAだった。

この川沿の心地よい深夜の風と銀の月、そして、彼の歌うこの旅情溢れる歌が
わすれられなかった。

歌い終わって僕らの席に戻るともう乾杯の嵐。さらに飲み続けたのだが、
そのときにこの曲の意味を知らされる。
独立を喜ぶ歌なんだよ。
そうか。日本はもともと日本だった。独立なんて考えたことも経験もない国
にとってその言葉は新鮮だし、残念ながらよく理解しきれていない。

でも、彼の話かたから、それが「すばらしい」ことであると感じ取れた。
変に力は入らず、自然体で語るその曲の話をとても印象深く覚えていた。

この局をもっと知りたいね。というと、明日CDに焼いてあげるよといった。

そうして、翌日。泥酔していたかれは二日酔いで結局一言もしゃべれる余裕もなく
ビエンチャンにたどり着く。彼の家のそばで「また会おう」と分かれる。

ぼくらはそのまたあおうの意味を「あとで会おう」と受け取ったのだが結局彼はその後
現れなかった。「CDのことなんておぼえてないよねぇ」半分あきらめていた。

翌日、帰国の途につくとき。イミグレをでて搭乗ゲートにいると電話がかかってきた。
彼からの電話だった。
「今から昨日のCDをもっていくよ」
「えっ、でももう空港だよ」
「大丈夫だよ」

そういうとほんの3分くらいで空港の搭乗ゲートに現れた。
さすが政府の役人だけあって簡単に搭乗ゲートにはいれるもんだ。
今回のたびのお礼とそして先日の約束のCDを持ってきてくれた。
僕らにとってそれがこの時の旅のすべての思い出となる。

そして、その原曲とバンビエンの風景をミックスしてこのアレンジが出来上がった。
いつもこの曲を演奏するときには僕の気持ちはバンビエンにある。
暑いイメージのラオス。その中でも乾いた空気の流れるバンビエン。
Dan Heng It Sa La
自由な国ラオスを思い浮かべるのには最高の歌だ。
ビアラオを飲みながら聞いてほしい曲だ。

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