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Vietnam Tour 6

16:00。

終了後すぐさま次の学校に向かう。

雨季のこの時期は天気が安定していなくて、いつも小雨が降っている状態。

 

傘も差さずに僕らは移動する。

次の学校にも子供達がたくさんいた。

ここでのパフォーマンスは予定していなかったので、machaとshinonとmasaoにお任せして2曲ほど披露。

空もだんだん暗くなり一度ホテルに戻る。
18:30。

現地の教育省の役人の人たちの懇親会ということで出かける。

場所はどこかな?

とおもったら最初の昼食を取った場所であった。

 

ベトナムの役人はお酒に強くやたら一気をしようとすすめにくる。

合図は「モッハイバーヨー!」だ。

そして一気(全部開ける)は「ジャンポンジャン」この二つの言葉はmasaoもすぐに覚えた。

懇親の場は盛り上がる。

しばらくすると「今日は村の秋祭りの日で子供達が日本からきたみんなに踊りや歌で昼間のお礼をしたいといっているのでいきましょう」といわれた。

それはおもしろい。

子供達がどんなことをどう楽しんでいるのかを見ることはとても参考になるので会場に向かった。

 

会場に到着するといわゆるお祭りの熱気にあふれていた。

なんだか凄いぞ。

昼間あった子供たちだけではなくこの村の人たちもたくさん来ている。

いわゆるお祭りなんだな。

子供たちの芸を見るまもなくステージに上げられる。

ステージにshinonが上がるだけでみんなのボルテージは上がり花束が次々にやってくる。ものすごい熱気。でも。。

 

そう、今回は見に来ただけなので楽器を持ってきていないのだ。

一方ではステージに上がってベトナム語の曲をやってほしいといわれ、さっきやった曲以外のベトナム語をやってほしいといわれている。

盛り上がっている場だけにやりたい気持ちはやまやまだ。

しかし、不完全なセットで不完全な環境でステージに立ってしまってその後痛い思いを幾度したことか。

アドリブと無謀は異なる。

最初から楽器が無いという前提で望むことはよいがこの場合はあまりにもイレギュラー。

なので楽器が無いとできないと伝える。

楽器を取りに行くのならばいいのだけれど、そこにいるメンバーだけでチャチャッとやってしまうことはできなかった。

 

しちゃいけないんだよね。

人にはいろいろな仕事があるけれど音楽は僕らにとっても仕事。

シビアな評価をされてしまうものだからいつでも真剣勝負。

勢いづけの酒なら飲むけれど、たっぷりくつろいでメンバーものんだ後なのでこういうときは危険。

 

とはいえ盛り上がる会。

相手のこともありむげに断ることも申し訳ないし、みんなの進言もあり、FriendshipSongならやる意味がある、ということで「Chung Ta La Ban」を演奏をする。

 

これはベトナム語の歌詞をつけているしバッチリだろう。

もともとこれはギター一本で演奏できる曲だからね。

きっと現地のNGOからすれば固いことを言ってと思うんだろう。

でも、きちんと向き合って一緒に何かをやろうとするには真剣さが必要なんだ。

それをわかってもらえたとすれば僕らの未来は少し進歩しただろう。

 

そして、一応ステージをこなし盛り上がったところで僕らは会場を後にする。

ホテルにもどりまだ寝るには早いということで近くのバーに。

バーといっても川沿いのオープンカフェでなんとビールが売っていない。

ふと見渡すと町はまっくら。

飲み屋なんて無い世界だ。

もちろんTVの騒音や車の行き来も無い。

ただ虫の声と時たま聞こえる遠くの橋を渡る車の音だけが響く。

ここではベトナムチームが勢ぞろい。

一緒に飲むことになった。

 

ビールの無い店で何を飲む?

なきゃ買ってくればいい。

ということで「333」を1ケースかってきてくれた。

ということはこれを全部飲まないといけないのね。

まあ、いいでしょう。

今日はみんなにつきあいますか。

ということで「モッハイバー ヨー」となる。

 

外務省のMr Buはやたら積極的でどんどんビールを注ぐ。

朝まで行こう!

みたいな意味で「モッハイバーライライ」というらしくやたら盛り上がっていた。

またこちらの教育省のマネージャーのMr Phoはmasaoのお父さんとなり、masaoもまたこの地でも子供となった。

 

SCCのMs Giangの名前が覚えられなかったのだが 「英語でいうとriverよ」というので一気に覚えられた。

そして、ちょっとたよりなさそうな好青年Mr thanh。

そしてGYPSYQUEENチームという会になる。

そこでriverがいろいろスケジュールを教えてくれた。

驚くことになんと15分単位でのスケジュールをくれるのだ。

それも微妙に時間がかかるところには予備の時間を組み込むなんていう気配りも入っていた。

到底大雑把なスケジュールで動いていると思ったのにこんなに細かく時間わけされているとは思わなかった。

日本人と感覚は一緒だ。

だとすると今日の夜のステージはなに?

とおもうがそれは単になれていないからであろう。

きっとベトナム人ともっといろいろ会話してお互いを尊重し合えればいい仕事とができるのではないか?そう思った。

こういうときにいろいろな言葉を学ぶ。

それが僕らの肉となり血となる。

どうしても車の移動中は酔ってしまうことをおそれてあまり話せない。

だからこの時間はとっても貴重だった。

24時も近くなりとりあえずシメのphoを食べに行く。

広場まででると屋台が数軒残っていてそこで食事。

おいしい!日本じゃシメのラーメン。

そう考えると健康にいいよね。

今日は朝HCMCをでてここまで来て3ステージやって飲んで。

 

長い一日だった。

部屋に戻り蚊帳(なつかしい)を吊って就寝。

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