Meet in Beijing  
〜中国大陸7,000km 果てしない夢を乗せて〜



Tianjin
朝9:00ホテルを出発。
残りわずかとなったこのツアーの最大の移動日が今日なんてちょっと皮肉だ。
なんとなくもったいなく感じてしまうのはツアーがここちよいためだろうか?
日本から持ってきたガイドブックには15時間かかるといわれる瀋陽〜天津。スタッフに言わせると7時間という。
その差は何?とおもうが、まあバスに乗り込む。

眠って起きて、また眠って。
日中の7時間は長い。しのんは昨日のステージのMDを聞き、また感動して泣いている。とおもったら寝ていた。
見渡す限りの大平原、これもまた退屈なものである。
右も左も地平線まで見えるこの大平原。

日本なら絶好の観光ポイントじゃないかとおもう。
時折激しく黄砂が吹く。真っ黄色の嵐。
農耕用のロバが砂嵐に耐えている。
ここは厳しい。
この広大な大地に生きるには耐えなければいけないものがたくさんある。

陽も傾く頃、ようやく天津の文字が目に入る、でもおかしいもう8時間たっている。
唯一の成果はまだ着手していない中国語曲の発音をチューヤンにチェックしてもらえたこと。
ネイティブにチェックしてもらったのでばっちり、「ものまねこざる」のしのんはきっちりマスターするだろう。
次の中国公演では披露しようとおもう。

ま、公演があれば、の話だが。

結局18:00、延べ9時間のバスの移動は終わりホテルにつく。
地図をたどってみると、このツアーも7,000kmも大陸を移動してきたことになる。

天水大酒店。中国最後の宿舎だ。
天津の街は欧米、それもイングランドの田舎の雰囲気というのだろうか?
とても洋風な建築が多い街だった。

      
街中は雰囲気がいい        混成チームも自然と     毎回ドラムセットには苦労しました。

天津の演出公司の代表に連れられ晩餐会。
いずれもその土地の最高の料理を振舞われる。
また、代表者に女性が多いのは男女平等の証しか?
そして、英語。
この国でも英語ができないと上にはあがっていけない仕組みらしい。
最近の日本でもそういった傾向がみられる。

特に海外と接するとなると英語は必須なのだろう。
自分自身の語学力の無さを反省。
しかし、海外に半年住めば話せるようになるというのはほんと。
実際この2週間程度で多分半年分の英会話スクールに通ったくらいのボキャブラリは増えた。
ただし書けはしない。


そして天津の本番の朝が来る。
快晴。

中国ツアーの最終日、準備から入れると半年かかりの大プロジェクトのフィナーレだ。
主催者側から選曲を指定してきた。「moonlight&sunshine」「never」「花心」。
「never」を気に入ってくれたのがうれしい。
日本語曲だけれど僕らの気持ち的にはもっとも中国に近いことは前に述べたとおりだからだ。

11:00に集合し会場に向かう、会場は天津礼聖堂大劇場。
格式のある建造物でキャパシティは3,000人という会場。
今回もチケットはすべて売り切れ。準備は万端だ。

ちょっと力んでしまっているのだろうか?
久しぶりに本番前に緊張が走る。


少し緊張のリハーサル

それもステージに上がればすべて吹き飛んでしまった。
登場からの大歓声。これはすごいぞ。
今回のツアーで感じたことだが、この広い中国。
公演地毎に客層、反応がまったく違う。
ここ天津は客層も若く、拍手もそうだが歓声もおおかった。

天津の副市長が慰問にきてくれた。
各地区そうだが政府主催のためビックリするほど偉い人が多く訪れてくる。
みな、非常に今回のコンサートを楽しみにしてくれているようだ。
その気持ちに応えたい。
僕らにできることなら何でもしよう。

ここ中国での締めくくりで「花心」を演奏し終えたあと、楽屋に戻る。
泣き虫なしのんはいつもより多く泣いている。
何を言ってるのか分からないが喜びの涙とはすぐにわかる。
自分もそうだからだ。

メンバー全員で握手を交わす。長いツアーとおもったが今では、「明日からまた全国をまわろうか?」という勢いだ。
日焼けしていたこともあってメンバー全員なんとなく頼もしくなった気がする。

グランドフィナーレを前に司会者の中国人に話し掛けられた、内容がわからなかったのでチューヤンに聞いてみた。
チューヤンはけげんそうな顔をして「わからない」といっていた。
なぜ、わからないの?とおもったが打ち上げのときに教えてくれた。

彼は「私のおじは大連で日本軍にころされた」といった。
チューヤンは言いずらそうに、そして悲しそうに僕らに告げた。
21世紀僕らは新しい時代に向かって今を生きていかなければいけない。
しかし、現実に「過去」は生き続けているのだ。
タイムマシンが無い限り僕らには何もできない事実。
僕らが取れるのはこれからをいかに友好的な環境にするか。ということ。
まったく無力な自分に少し悲しくなる。
それ以上にいつも元気なチューヤンの表情がさえないことがショックでもあった。

「過去」は現存する。

打ち上げ。僕ら日本チームの最後の夜。
17日前、北京で初めて会った偶然の組み合わせの仲間たち。
今では10年来の旧友のように毎日行動をともにしている仲間。

とうとう別れの時がきてしまった。

僕らが得たもの。かけがえの無い仲間、中国という国の本当の姿。
もちろん、その素晴らしさ。

僕等が考えなければいけない事。
まだまだ、世界のほんの一部しか知らない自分の小ささ。
アジアもまだまだ広い。歴史も深く複雑である。
中国ももっともっと知りたいし伝えていきたい。
そんな不完全な思いがなんとなくグラスのペースを速める。

胃も痛いが、ここは飲んでおこう。と。

打ち上げは自然と別れを惜しむ場に変わる。
ここではドイツ、アメリカ、オーストラリア、中国そして日本という国籍は皆無だ。
ドイツ人の涙をはじめてみた。きれいだった。しのんはいつものとおり号泣であった。
会場からホテルロビー、エレベーター、そして部屋の前まで。
別れの儀式は続く。

そして長い一日が終わる。

    
Miaとお別れ           天津副市長と記念撮影        メンバーも最後の夜を満喫

しのん
   「長いツアーの間、ずっと娘のように可愛がってくれたモニカと別れを交わしました。日本から持って来た二つの髪飾りの
    片方を彼女にあげました。『テキサスで使ってね。片方は私が日本で使うから。忘れないでね。』そう言って渡していたら
    涙が止まらなくなりました。そんな私を抱きしめて『あなたは良くやったわ。あなたのようなかわいいレディに会えて、
    私は本当にラッキーよ。』と言ってくれました。コンサートの前に、ステージパフォーマンスのスキルについて、色々
    アドバイスをくれた彼女。いつかテキサスに歌を習いに行きます。待っててね。」


Beijing
5:30am天津を発つ。
早朝にもかかわらずチューヤンは見送りに出てきた。
本当にやさしいいい子だ。

北京首都国際空港まで2時間。空港が見えてきた。
移動に慣れてきた僕らにとって2時間はあっという間であった。

いよいよ、いよいよ北京ともさよならだ。
Goodbye Beijin。

ゲートでMr Leeと分かれる。
最初は無愛想と思っていた彼も今では仲間。
なんだかちょっと悲しい。
もう一度ゲートまでもどって最後の握手をする。
「また、帰ってくるよ。リーも海を渡っておいで」それしかいえなかった。

バゲッジチェックインでは重量オーバーでもめる。
そのあと追加費用6700元が無くてもめる。

あと15分でフライトだというのに僕らはチェックインがすんでいない。
とりあえず換金だ。銀行に走る。

でもたりない。

しかたがない。
「もう、お金ないよまけてくれ!」

まけてくれた。

不思議な国だ。
メンバーは広大な空港を走る。

最後の最後までぎりぎりに生きていく僕ら。
セーフティチェックでも引っかかる。「すぎやん、いったい何をもってるの?」

搭乗時間は過ぎている。

徐軍さんの顔にも緊張が走る。

しのんがいない。

さっき、お土産をまだ買っていないといっていた。

搭乗カウンターはクローズ寸前。
バスも動こうとしている。
「ちょっとまってくれ、まだ仲間がこないんだ。」
半分怒りながら会話している自分がいる。

ダッシュ。しのんがようやく現れた、半分泣いている。
この涙は道に迷っての涙に違いない。
いろんな涙を流したね。この中国では。

とりあえず搭乗口で「ようやくきたよ、彼女がそうだ」といって搭乗を引き伸ばす。。。

間に合った。
予定時刻9:25を10分押して無事搭乗。
嵐のような30分間。

ものすごい汗だ。
よかったこれで日本に帰れる。
そして五分後。
僕らは日本に向かって飛び立った。

機内ではなぜかモニカの声が聞こえる。
「しのん」と呼ぶ声がきこえる。そらみみだ。
まだ脳細胞が切り替えられないのだろう。すべてが現場主義の中国。
自分もそろそろ頭を切り替えなければいけない。

そうだ、時計を日本時間に直しておこうか。
あと一時間もすれば成田に降り立つのだ。

。。。。。。。。。。。。。。。。


自分は比較的型にとらわれない方だとおもっていた。
そうおもうことが自分を殻にかぶせていることがわかった。
世界は広い、考え方も未曾有にある。
まだまだ自分は小さい。
大きくなれるよう受け入れることの大事さを謙虚に身につけていきたい。

人の気持ちをわかる人間になりたかった。
それが出来たかどうかはまだ、わからない。でもそこに「考え方が異なる」人がいるという事も学んだ。
それが自分にとって今回の最大の成果だったかもしれない。

そして、ここにたどり着くまでに本当にたくさんの経験をした。
現地との調整、折衝。
忙殺される仕事を縫ってのリハーサル。
カラオケボックスでの中国語学習。

きっと誰しも途中で妥協してしまうだろう。
しても誰にも攻められないような環境。

でも、きっとそこで妥協してしまったら
「サラリーマンだし無理だよね、でも十分やってるよ」
と慰められて終わるだろう。

そうはしたくない。
その気持ちで頑張った。
夢はあきらめられない。そんなわがままなサラリーマン。一つの旅が終わろうとしている。

しのん
   「長い中国のツアーが終わりました。行くまでは、中国語という難しい言葉の壁に悩まされ、果たして中国でステージができる
    のだろうか?と不安に陥った時期もありました。でも、途中からその中国語が各地でほめられ、今まで悩みであった言葉が、
    最大の武器になったような気がして、まさに『ピンチはチャンス』。各地で伝えた『中日友好の証としてこの曲をみなさんに
    ささげます』という言葉。そしてそれに対する大きな歓声は決して忘れることはないでしょう。
    大好きな音楽、人間。それを歌という言語を通して広げていける幸せを、今かみしめています。」





最後に
すべての感謝の気持ちを同行して頂いた大事な仲間たち、中国で初対面の僕らの面倒を見てくれた
すばらしき友人に贈ります。
感謝してもしきれない素晴らしい友人たちのおかげでこの貴重な旅を終える事ができました。

みんなの力99%に僕らのわずかな力1%を乗せて敢行できた「GYPSY QUEEN LIVE IN CHINA」
この成功は単にバンドとしての成功ではなく中国と日本の新しい機軸。
新機軸の一つとして今後の交流変化の起因となって欲しいと願っています。
たいそうな話とも思いますが、文化交流としての音楽。それは素晴らしいものです。
そしてお世話になった人たちへの少しでも恩返しになればと思っています。

そしてしのん、最後までやり遂げた事は人生において最高の財産だと思う。
最後の最後まで頑張ることができた君は、僕らが今までに見たことがないほど輝いていた。
きっとその理由は、絶対にあきらめなかったこと、捨てなかったこと、だと思う。

辛い事は十二分に分かっていたけれど、君はみんなの大きな好意/想いに支えられて
充分期待に応えることができた。
最高でした。最高の歌姫のバックでベースが弾けた事がうれしくて涙が出ました。
ようやくピンクレディになれたね。



果てしない夢の一歩はここで完結。さて、第二章を書き始めなければ。。。
                                                       文責 Akkie





Beijing(北京)編
Kunming(昆明)〜nanjing(南京)編
Dalian(大連)〜Shenyan(審陽)編
Tenjin(天津)〜Beijing(北京)編



 
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GYPSY QUEEN の北京語の楽曲です。現在5曲です。