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Raising sun 1

GYPSYQUEEN Road to Asia#52  -Raising sun-
2019/09/06-09

2019/9/5
20時に東京駅を出て成田に向かう。明日の早朝8:10発のフライトに乗るには朝からでは間に合わない。ということで前泊をする。成田前泊。嫌な思い出だが、こうして更新することで記憶も更新される。今回はよい旅にしたい。いろいろ考えることもあるが明日は早い。

2019/9/6
5時。まだまっくらな成田。6時のバスにのり空港に向かう。出発は第三ターミナルの春秋航空だ。LCCではあるがハルビンにいくにはこれが一番早い。眠い目をこすり集合場所に向かう。今回は総勢14人のアーティストチームを引率。黒竜江省チームも含めると23人の大所帯だ。事の流れは1年前にさかのぼる。

17年にチャイナフェスを立ち上げて、日本での開催がスタートした時にすぐに考えていたのが中国での開催だ。日本と対になる形のイベントを実施する。それが本当の意味で日中の交流になると思った。それはとても難しいことではあることはわかっている。でもやりたかったのだ。それが本質だと信じているからね。難しいことは一つ一つ紐解けばいい。とはいえ簡単に解けるものではなかった。

18年の秋に事務局のしきちゃんのふるさとでもあるハルビンでのイベント企画を立ち上げた。だが、なかなか話は進まない。その中でしきちゃんのおかあさんの張さんからジャムスでの開催の話をもらった。そこには任さんという人がいて非常に力がある人という。ジャムスがどこかはわからなかったが中国国内ということはなんとなく分かったので即答でOKをだし、昨年のジャムス公演に至った。

そして、話はそこから始まる。ジャムスから帰国後にまずは当初の予定どおりハルビンへの交渉を始める。しかしハルビンでの交渉もど真ん中を貫くことができなかった。そしてなによりもジャムスでの出会いは僕らにとって大きく、そして強力なものであった。

僕らは今年の開催についてジャムスに視点を置き作業を進める。今回はジャパンフェスだ。出展者や協賛をつのらなければならない。しかし、それも厳しいものがあった。ジャムスに進出している日本企業は一つもなかった。経済の発展もまだまだでビジネスになる土壌が少ないため日本企業の投資はままならなかった。任さんを仲介として現地側との話も進まない中で再度現地での打ち合わせをすることになる。それは実施への大きな機会であった。そういったこともあり、今年の4月にジャムス、ハルビンのミーティングが行われる。

ハルビンでの外務省とのミーテシング。そしてそのあとにジャムスのミーティングであった。しかし、そのタイミングで、翌日ジャムスに移動する直前に母の危篤の連絡があり、私だけ帰国をすることに。張さん、MCIPの清水社長、viviちゃんに任せて一人帰国するのだった。断腸の思い。まさにそんな思い出の帰国そして大切な母の死。もっとできたことがあったのではないかと自分を責めることばかりの日々は続いた。

それでも世の中は動き、仕事は日々覆いかぶさり夏を迎える。ジャムスのフェスについても進んでいるようないないような感じであった。もしかしたら、もうないかもね。そんな雰囲気も漂っていた7月。最終打ち合わせといえる場で開催は決定した。そこからは急ピッチで動くことになる。

まずは出展者などはないため二日間の音楽イベントにということだけきまっており、あとはこれから。参加してくれるアーティストたちに打診をして説明をして、なんとか体裁を整えてここまで来た。初めての人にはずいぶん乱暴な話だと思う。それでもここに一緒にたってくれた仲間のために自分のできることはすべてやろうと思っている。前回のハルビン渡航以来のこのターミナル。さあ、出発だ。

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