Wings
2003/2/13-02/16 


2.音楽は文化だ


スタッフや酔客の声援でステージに上がる。打ち合わせもあまりしていないが、まあ乗りで、という感じでのステージ。オリジナルの日本語の歌と広東語の歌で構成しようと思った。さあ!一発やりますか!今まで演奏をしていたバンドの楽器をかりてスタンバイ。そこでトラブルが発生。ベースの音が出ない。なんだか怪しいワイヤレスに接続されたベースがなぜか音が出ないのだ。それを察知してか同じベーシストのMartinが駆け寄ってくる。彼はとっても気の利く男だ。「うーん、なんでだろう??」このトラブル解消までには思ったより時間がかかった。結局、ワイヤレスをはずし、設置されているエフェクターをすべてはずし、シールドでつなぐ。「ボボーン」。よかった音が出た。中国に来るようになってからというもの、こういうトラブルにまったく緊張しなくなった。日本だったらきっと「どうしよう、持ち時間は?場つなぎは?」なんて考えてしまうのだろうけれど、ここではそんなこといちいち考える必要はない。でないからだせない。それだけだ。

そして、準備が整い何事もなかったかのように演奏はスタートする。しかし、メンバーは僕のトラブルのせいか、かなりテンションが落ちていた。場の雰囲気にのまれている感じがする。たしかにずっと何もせず、待っているのは辛いよね。申し訳ない。でも、どんなトラブルでも対処できないといけないと思う。ベースボールもそう。見逃し三振をするなら初球からすべて振っていこうよ。ぶんぶん丸がGYPSYにはお似合いだ。雰囲気にのまれるなんてGQらしくないよ。やったもん勝ちで行こうよ!そうして、ステージは進む。中国側のみんなが、僕らに演奏の機会を与えてくれたことは明らかだった。この遠い広州の地にやってきた日本人グループを少しでも演奏をさせてやろうと。それはwingの気遣いだろう。でなければこんなに遠い場所まできてみんなで飲む必要がどこにある?そんな彼の配慮だけが心に響く。そのために僕らは与えてもらった機会を楽しくまた、見ている仲間にとっても価値あるものにしなければいけないと感じる。

ステージはアンコールもあり好評で終えた、決して満足いくものではなかったが、それなりにみんなの暖かい絶賛の声をもらった。それはそれでいいとおもう。あとはバンドの中のことだ。またがんばればいいさ。そんなナイトクラブLIVEも終わり、帰路につく。みんなかなり酔っている。ホテルに帰ると思ったバスはなぜか、会場に着いた?ん?どうして?最初はみんなに会場をみせてくれるのかとおもった。それにしても立派なスタジアムだった。以前、南京の五台山体育館でやったことがあるがそれをコンパクトにしたような体育館だった。4000人は入るだろう。そして、wingがそこではリハーサルを続けていた。モニターの調子が悪いらしく、なにやらモニターをけっている。どこの国でもおなじだなぁ。とほほえましく思う。「どうすればいいの?」と座ることもなく立ち尽くすGYPSYのメンバーに比べ、ファンキーさんはすかさず横のベンチで寝ていた。この余裕が中国に住まう力になるのだろう。尊敬に値する人だと思う。結局、スタッフの一人が会場に用があるために寄ったことがわかり、僕らはホテルへ戻ることになる。ホテルに戻り、屋台でファンキーさんと主催者のさんの弟である小余さんと一緒に飲む。

深夜1:00amそれでも寒くないこの季節。でも夏になったらどうなっちゃうんだろう。ここでは適当に好きなものを買ってお金を払うシステム。一本10円に満たない羊の串焼きをほおばりつつ、中国の文化について語る。途中、大阪のラジオ局FMCOCOLOのファンキーさんの番組の電話インタビューの時間になった。すごいものである、ここ中国で今ファンキーさんは電話でラジオ番組に出演しているのである。急にしのんが振られた「ここにGYPSYQUEENのボーカルしのんちゃんがおるんですわー、中国にきてただ飲んでるだけですけど」緊張してしのん「もしもし」。すかさずファンキーさん「ということで〜」。一瞬のしのんのラジオ出演は終わる。そして、続けてももにも出番が回ってきた「もしもしぃ」はい、これもここまで。FMCOCOLO出演はトータル2秒で終わる。きっと将来僕らの中で語り継がれる最短出演記録となるであろう。

そんな中、ギターを持った女の子二人がやってきた。特に聞きたいとも思わなかったが、中国のネイティブの発音にふれられる良い機会なので「花心」をリクエストして10元(150円)を渡す。抑揚もないリズム。どこか遠くに行ってしまった視線。おそろいのGジャンで歌う小柄な二人の歌声にはどことなく寂しさともう一ついい知れない何かがあった。なんだろうか、その場のみんながこの素朴な声に呑まれてしまった。決してうまくないのに何事にも変えがたい何かがある。人は生まれつきの環境で生き方が変わるという。そうであればこの子達はこの中国で歌うことが生きていくための術だ。なけてくるメロディ。ぼくらの演奏した「花心」にここまでストレートに抑揚もなく、かつ心に訴えるものがあるものだろうか?そもそもそういう対象として歌を捉えていただろうか?生きるために歌うということを。ぼろぼろのギターでしかもワンコードだけで花心を歌う二人。最高に質素でかけがえのない魅力。きっとこれは「中国」なんだ。音楽ってすばらしいよ。音だけで文化を伝えられるんだから。その夜、ナイトクラブで酒と大音響にまみれて、文化を示せなかった僕らと深夜三時にふたりで酒場で歌う少女達。(確実に20才前だということは確信できる)それぞれの文化だが少しだけ僕は恥ずかしい気持ちになった。

2003/02/14 曇り気温19度
8:00am。二日酔いでもなぜか早くに目が覚める。集合時間の9:30にロビーへ。午前中は待機のため、ファンキーさんと朝食へ向かう。広州の朝はにぎやかだ。食堂でいろいろな飲茶を選んで食する。どれもうまい。また、菊茶が最高に二日酔いの体を癒してくれる。あさからこんなに食べちゃまずいと思いつつ、帰りに公園で運動。ファンキーさんはランニングへ。うーん、ちょっと太ったからといってウエイトトレーニングをしているようだ、なんともパワフルな人だ。

僕らは午前中の時間を使い昨日の反省を行う。このまま香港ではまずい。特に気持ちの問題が多かったので、その辺の整理をする。12:00amスタッフ全員と昼食へ。ここも到着すると大きな垂れ幕が掲げられていた。この町は至る所にBEYOUNDとwingの名前を書いた垂れ幕がある。食後、会場へ。地元のTV局のインタビューを受けることになった。これもwingの計らいか。明日には全国放送されるという。出演できるかできないかの瀬戸際のインタビューはちょっと硬かった。だって通訳がファンキーさんなんだ。本当は逆の立場でないかい?そんなこともしのんを硬くしてしまったのだろう。ちょっとギクシャクしたインタビューを終える。もっと中国語がはなせないとな。と思う。もう何度目だろう。いまだに僕らは一人じゃ生きていけない。きっと、今のファンキーさんと同じレベルにしのんが到達し、今のしのん程度に僕が話せればよいのだろう。ではいつ?そのときそのときに達成されていない事は言うものではないね。ひそかにがんばるしかないのだった。

あっという間にまた時間をもてあました僕らは主催者に言って足裏マッサージに向かう。1時間やっても68元(1000円位)これは破格だしなんといっても日本のそれとは比べ物にならないほど気持ちいい。この国ではマッサージ師はとても立派な職業だと聞く。ここでもワンポイント中国語講座が始まる。1時間じっくりと中国語を堪能するのだ。気持ちよさとお勉強。一石二鳥である。すっかりふにゃふにゃになったメンバーは再び会場に戻り夕食へ。近くの料理屋に入る。ここでカエルを初体験(といっても僕は食べなかったが)うーん、姿はわからないけれど、いわれると食べられない。なんかぷりぷりしていて。。保守的な私。。。そうしているうちにライブの開始時間となる。急いで会場に戻るがまだ始まっていない。

僕らはファンキーさんと一緒にVIPシートに案内され(ここがすごくえらそうな席でした)鑑賞となる。もう出演はできないか?それでもメンバーは衣装をきてスタンバイしている。最後の一曲が終わらない限り、僕らはあきらめない。それはファンキーさんも一緒だ。8:30pm。コンサートが始まると会場は熱狂の渦に包まれる。wingバンドはとてもうまく、いいステージをこなしていた。酔った姿しかみていないウイリアムも絶妙のソロを弾いている。かっこいいじゃん!そしてなんといってもwingだ。彼はまさにスーパースターだった。Beyondの名曲が続く。イントロだけで会場の声援はピークに達する。見ている僕らも感動だ。上海で初めて会った時、日本であった時、ともに僕らはBeyondがどんな大スターであったか実感がなかった。でも、今回の歓迎ぶり、そして、このステージを見て、彼が「今も」偉大なスターであることを理解した。
コンサートも終盤。ファンキーさんがスタッフに呼ばれて走っていく。いよいよ乱入か?僕らは?少しだけ緊張。でもしのんはそれどころではない、wingの歌で涙ぐんでいる。最後の曲が始まる。僕らに出番はなかった。でも、僕らの気持ちは充分満たされていた。Wingと一緒に同じ気持ちでいることができたと思う。wingもステージで何度か僕らのほうを見ていた気がする。コンサートはそれだけでは終わらなかった。アンコールの大声援にあおられて再びwingが登場する。そして、なんとファンキーさんがドラムに座った!足裏でふにゃふにゃになり、夕食のビールで酔っ払っていたファンキーさんは亜州鼓王として完璧なドラミングを披露していた。

「さ、最高っすよ!」メンバーが叫ぶ。いつ、どんな時でもステージに上がれる。そしてあがる以上最高のプレイのみ演じる。それがアーチストというものなのだろう。僕も感動した。そのあと、wingとドラムソロの競演。驚いたのはwingのドラムプレイ。はじめてみるドラマーwingはめっちゃかっこいい。歌もうまい、ビジュアルも良い、そしてドラムも最高だ。こんなwingと僕らは一緒にいる。この音と感動をより多くの人に伝えたいと思った。日本でももっと広がってほしいと思う。朋友wingのために僕らにできることはなんだろうかと強く気持ちを揺り動かされた気がした。

ステージが終わり楽屋に行く。ファンキーさんに話しかけると「日本語はだめだよ」といわれる。そうか、ファンキーさんがステージに上がってもだれも日本人とは思わないよね。僕らだとさすがにばればれだけれどね。そうして、佛山体育館のステージは終了する。会場には無数の蛍光ペンが散乱していた。宴の後。そして、僕らは再び宴の席に着く。

会場はこれまた巨大な垂れ幕のあるディスコ。そのVIPルームに通される。F1の表彰式でみるようなシャンパンとビール。ここは香港最大のスターの打ち上げ会場だ。途中、wingがDiscoのフロアに呼ばれていく、みんなついていくとステージに黒山の人だかり。ここでwingが打ち上げをやっていることを宣伝して一曲歌ってもらおうということらしい。それでDiscoは充分にペイできるという仕掛けか?まったく身動きできない状況。そこでwingはヒット曲を歌う。なんとも形容しがたいその状況は誰がわかってくれるだろうか。フロアがゆれる。wingに合わせてすべてがゆれる。すごい状況にwingの笑顔が優雅にも光る。見ていて幸せな気分になったんだ。VIPルームに戻ってから打ち上げは開始。シャンパンを開けて、乾杯。またもやwingは僕らのところに来て、今回のいきさつを説明する。

僕らはファンキーさん同様、彼が好きになった。だから応援したくなる。そういうもんだ。いろいろスポンサーや、亡くなった彼女の両親(このおかあさんが良く飲む人でなんども乾杯をさせられた)を紹介してくれる。まるで旧友を紹介するように。すべてを飲み込んで本当に来て良かったと思う。中国でもうひとつかけがえのないものを得ることができた僕ら。いろいろな形で何かを得てきた僕らだが、今回も格別な出来事であったと思う。宴は続き4:00am。部屋に戻り明日の準備をする余裕もなく一瞬で眠ってしまった。

2003/02/15
8:30am集合。さすがに辛いがそんな顔もできずに早々と荷物を車に積み込む。今日は列車で香港に向かう。フェリーでの移動かと思っていたので、少し、ほっとした。なにしろ僕はものすごい船酔いをするのだ。「船酔いする人はさ、乗ったらすぐ酒を飲んでねちゃえばいいんだよ」無責任なやからは必ずどこの世界にもいるがGYPSYの中にも存在した。「途中で起きちゃったらどうするんだよ」「あ〜それはやばいっすね」やばいですむのが他人の苦しみ。とにかく難は逃れた。佛山のターミナルへ到着し、ここれ佛山組ともお別れ。僕らはMartinと単独で香港に向かうのだ。簡単な荷物検査を受けていざ、列車へ。始めて乗る中国の列車はちょっと豪華な装いである。

11:00am。検査にとまどった僕らは今回も走ることになる。列車のベルが鳴る中、僕らののる2両目まで走る。ただただ、ひたすら長い駅のホームとほとんど人の乗っていない列車。なんとかぎりぎり全員乗り込んだ。乗ってみると1等のためかシートも広く、きれいな車両だった。この車両には僕ら意外誰も乗っていない。車窓からみる景色にしばし感慨深く時を過ごした。広州を通過し、おなかがすいてきた。そういえば朝ごはんを食べていない。交代で食堂車に向かう。初めての列車で初めての食堂車。なんとかオーダーをして食べるがこれはまた、南京に向かう高速道路の食事を思い出した。決してまずくはないがおいしくない。初めてだからの気分で食した後は思いっきりインスタントのコーヒーを20元(300円でも、これは中国では超割高なんだ)で飲む。窓の外はのどかな田園風景。それも香港に近づくにつれ建物が増えてくる。

深センにつく頃には景色は日本と変わらない都市空間となっていた。そこからは早かった。一ヶ月前に見慣れたような景色が広がり1:30pm。一月ぶりの香港へ到着した。審査を終え、出口を出るとIreneとみんちゃんが待っていた。久しぶりだ!懐かしい友人に会うような気持ちを覚え僕らは再開する。Ireneも今回の件について誤っていた。ぜんぜん関係ないのに気を使わせて申し訳ない。ターミナルを出ると目の前に香港コロシアムがある。「5月にはここでBeyondが再結成ライブをするんだ」そう思うと嬉しくなる。なんだか一気にBeyondファンになってしまったみたいだ。

それにしても香港は暑かった。ちょっとの電車酔いと二日酔いでけっこうへろへろになる。僕らはホテルに向かい(この時点でもなんというホテルかはわからなかった)Ireneは仕事に向かった。わざわざ、出迎えのためだけにきてくれたなんて。。。感謝。感謝としかいいようがない。