
「カウントダウンコンサートは大評判だったよ。今度僕のソロコンサートがあるのでそこにゲストに出てくれないか?」 こんな素晴らしい事をwingにいわれた僕たちは最高のお年玉をもらったように喜んだ。そして急遽の訪中を決めた。 そして、出発も直前。一本の電話が入った。 「ごめん。日本人の出演許可が取れてなくてもしかしたらGYPSYQUEENはステージにでれないかもしれない。なんとかしているがGYPSYQUEENからも文化局などに聞いてくれないか?」「えっ!!」そうおもった直後に波が引けるように気持ちがすっと抜けていった。そうだった。僕らは日本人。僕らが何を考え何をしようとそんなことが所詮ちっぽけなこと。伝わっていないし、つたわった所で何が変わるだろう。その全ての担当者と酒を酌み交わせる頃にはきっとなにかが変わるだろう。 でも、それにはどれだけの時間を必要とするのだろうか。長江の流れをせき止めるような気の遠くなるような作業。国境を越えた僕らの小さな事業は窮地にたたされた。 そして、僕らと中国の関係を理解しない人はそれを「だまされた」とか「最初から適当にやられた」とか、とかくネガティブにいわれた。でも、断じてそうではない。wingやpuffinの仲間はもう僕らの朋友なのだ、もう、個人と個人の関係であり、外野から彼らの悪口を聞くのは耐えられなかった。それはややもすると中国人に対する批判の声にも聞こえる。だから、これ以上雑音は聞きたくないと思い、僕は口を閉じた。 出発は明後日に迫っている。どうしようもない僕らは僕らの知る限りの方面に助けを求めた。「GYPSYならできるよ」そういう応援の声に励まされた。positive thinking!僕らには大勢の友人が中国にいる。その結果、「行ってみなければわからない」状況まで好転した。わからない状況が好転なんてよくも言えることだが同じステージに立つファンキー末吉さんと会話したときに思ったんだ。ファンキーさんは一言「ワシも出演できないみたいだけれどまあ、現場処理ということで。出演をキャンセルという手もあると思うよ」とのあっさりとした言葉だった。ファンキーさんはまったく慌てていない。我に返りそのどしっとした姿勢に頭を殴られた気がした。あがいても仕方ない。そんな迷宮のような中国の仕事の仕方にはその中に入って実際に触ってみるしかない。問診が最大の解決方法だろう。それを思い出した僕らは少し落ち着いてものを考えられるようになってきたのだ。メンバーは言う。「ま、行ってみて考えましょうか」成り行き任せの旅にGOを出した僕ら。困難な旅ほど想像力をかきたてるものはないさ。 2003/02/13 5:30am起床。まだ、夜が続くこの時間。外は物音一つしない。遅れないように家を出る。今回は6度目のツアーにあたる。ここのところなんとなく自然になってきたツアー。しかし今回はそうではない。うまくいっていない?いや、そうではなくて、久しぶりの「中国式」ツアーなのだ。主催は中国の会社。その名前もわからない。宿泊するホテルもわからない。僕らはただ、広州の空港に待ち合わせのスタッフと会うために向かう。そんなツアーなのだ。思えば、3回目までこんな状況だった。それも、少しづつ語学を覚え、学習機能でなんとかこなれたツアーを行っていると思っていた。それは錯覚であったことを再確認する。今回は手ごわいぞ。気持ちが引き締まる。決してハッピエンドでは終わらせてくれないツアーがはじまろうとしているのだ。6:35am日暮里を出発して成田に向かう。今回はいつもより少し早めに集合をかけた。前回のように全員ばらばらでは打ち合わせも出来ない。少しでも席を寄せるために30分はやくに集合をかけたのだ。それは予定通りとなり僕らはある程度まとまった席を確保することができた。最初の乾杯もできるくらの距離。JASの少し小さめのA300の機内に乗り込み旅はスタートする。フライト予定の10:00amを30分遅れてTAKE OFF。いよいよ中国に向けて出発だ。今回は広州に飛ぶことになる。初めての土地広州。5時間も乗るなんて久しぶりだ。大連が二時間ちょっとということを考えるとその倍。遠い感じがする。まちゃは家を3:30amに出たせいか乗り込むとすぐ寝てしまった。しのんは広東語のおさらい。それぞれ必要なことをこなしている。ぼくはレポートつくりに明け暮れる。これがGQのツアースタイルだ。 3:00pm広州時間では2:30pm広州空港に降り立った。空港は国際空港というにはとても質素な空港であった。あとから聞いた話だが来年の年末にそれは巨大な空港に生まれ変わるという。上海しかり、香港しかり、いまは中国にとってとても大きな転換期であるという事が伝わってくる。その新空港は中国でも最大級のものということ。上海の蒲東空港とおなじような感覚になるのだろう。そこにはじめてきた人にはもはや、想像の中国はそこにない。最先端と広大なイメージのみ残る新中国の入り口に降り立つ事になるのだろうと。 空港が質素なおかげですぐに入国審査も済みゲートを出る。そこにはMartinとサミュエルが迎えにきてくれていた。約一ヶ月ぶりの再開。悪いと思っているのかどうか心なしかサミュエルの表情が妙に笑顔だ。きっといろいろ気にしているのだろう。いいのよきにしなくて、どうなるかまだわからないんだから。そして、その奥になつかしい顔を発見。真っ赤なドレスを着る黄さんだ。黄さんも今回はまったく仕事ではないのに、OFFの時間を利用して空港まできてくれていたのだ。Martinとは英語のみの会話なので黄さんの合流は心強い。いつでもピンチの時には何故か黄さんがいた。珠海でもそうだったように。いろいろ話を聞くうちに僕らは明日TVの取材を受けるという事。wingも今日広州入りするということ。ファンキーさんも一緒に広州に入るということなどを聞いた。空港を出て一行は今日の目的地佛山に向かう。広州から1時間弱の土地。はじめてだし、きいたこともない町だが、黄さんいわくそれでも日本の地方の大都市に匹敵するという。いってみなければわからないがどんなところだろうとおもう。 佛山に向かう途中日本総領事館に向かい、川田主席領事に表敬訪問を行う。広州の現状をいろいろ聞くことが出来た。僕らの公演の話もご存知であり、いろいろ心配をして頂いた。また、ちょうどこの時期に空気感染をする風邪のような病気が流行っており死者も出ているということで、注意を呼びかけられる。うん、怖い。気をつけないとね。広州は大学も多く、文化交流にも積極的と言う話を受けていつかこの広大な土地でのコンサートが出来ればいいなと思い、忙しい時間の中会ってくれた領事のもとを後にする。昨年もそうだが、日本への窓口である領事館の方々との接点はとても勉強になる。何よりも最新の情報をもっているのでその土地で何かをやるにはとても勉強になる事が多い。 巨大な広州駅の人の波に驚き、高層ビルの豪華さと急に瓦礫の山となった街角の差を感じつつ、がたがた道を揺られ僕らはようやく佛山に到着した。ふーちょっと酔った。ロビーでのんびりしていると急に周りが騒がしくなった。そう、wing一行も到着したのである。 その集団の先頭には金髪のwingがいた。ぼくらと目があうと真っ先にこちらに向かってくる。目と目があい、お互いに何かを言おうとしている。wingとの再会10秒前。僕らの心は一足速く通じ合っていた。 僕らの元に駆け寄るとwingはしきりに今回のいきさつを説明してくれた。もうここまできたのだから僕等はなんの後悔もない。そこにwingとの再会があるだけで充分だった。日本語で「おはずかしい」という彼。彼が何故スーパースターであるか、そして、これだけの人気を今も維持している理由がわかった気がした。香港での活動と中国での活動はまったく異なる。それを彼も今回再確認したという。これが僕らのスターターになるとすればとても面白いエピソードの一つになるだろう。そんなもんさ。たいした事はない。だいたい僕等はまだステージに出れないとは思っていないのだから。 ファンキーさんも合流した。「ああ、ご苦労さんですねぇ」そう微笑むファンキーさん。「とりあえずこのあと飯に行くみたいなんで一緒にいきましょか」公演がどうのこうのなんてことはまったくでない。ぼくらもする気がない。追い込まれている割には不思議な集団かもしれない。向かう先は「食為先」。wingがいう「食べる事が全てに優先するって言う事さ」そう、ここは広州。食の広州だ。会場につくととてつもない大きなタレまくがある。その内容は「BEYONDのwingを歓迎します」といったもの。ものすごくでかいんだよ。それが。そして、コンサートのポスターの巨大なバージョンのものも掲げられてある。そうなのだこの店は提携しているみせみたいだ。入り口を入ると大勢の出迎えがいる。wingが「はーい」と笑顔で手を振るとみんな大喜びだ。wingなんだかすごいぞ。そんなことがひしひしつつたわってくる。彼はスーパースターなのだ。そこにくっついていく僕等はなんともVIP待遇である。会食の席につくとwingにはサインを求める店員の列が出来る。それも何か紙のキレッぱしをもってくる子もいてそれがまた中国らしい。一通りの騒ぎも終わり、乾杯だ。主催者や主催の演出会社のメンバーが勢ぞろい。大きなテーブルを3つ使っての歓迎の席は始まった。wingはこのときにもいろいろ気を使ってくれていて、僕らをいろいろな人に紹介してくれた。 ファンキーさんの通訳もあり話は楽しく進む。でも、僕らだけでは話が通じない事も事実。黄さんの助けも必要な僕ら。もっと勉強しないとだめだよ。じゃなきゃ本当に中国で音楽なんてやっていけない。そうおもった。その店はお開きとなりwingは一度会場に向かう。そして僕等は30分ほどかけてナイトクラブに向かった。ここではライブもできる。GYPSYQUEENに演奏の機会をという事で主催社が用意したとおもう。いや、きっとwingが言ってくれたのだろう。会場につくとここにも歓迎の垂れ幕と巨大ポスターがあった。「なんかすごいね」そう、この街の主たるホテルや飲食店がすべてwingを歓迎しているのだ。さいころゲームに熱中するファンキーさん、とっても甘いワインをがぶ飲みする僕。そして、その怪しいナイトクラブで僕等は広州最初のステージを踏む事になる。 |