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乗り継ぎ待ちの時間も上海の刺激的な町並みで過ごしたせいかあっという間だった。
いつしか闇に包まれ、再び空港に向かう。
夜の空港はライトアップされとても綺麗だ。僕らの向かう珠海に行きの便は一日に2便しかない。
僕らはアモイを経由する南方航空に乗り込んだ。B737の小さな機体は上海を後にする。
いよいよ出てきた「日本ではない」機内食。見たことの無い食べ物。半分も食べられず少し眠る。
ツアーの時はほんの少しでも寝れる時に寝ないと生き残れない。いつ寝れるか分からない。
全体と一緒の時にはいつも気持ちを尖らせておかなければいけない。自分の時間は団体行動には存在しないのが中国なのだ。
アモイでの乗り継ぎも予定より10分早く搭乗となり、慌てて機内へ。さらにゆれて11:00pm。
ようやく珠海空港に着陸した。
多少疲れ気味のメンバー。
それも空港に迎えにきてくれた老朋友、徐軍さん、富昭さんの顔を見てメンバーみなすっかり元気になった。
老朋友といっても昨年知り合ったばかりだ。
だけれども、今回の訪中に際してのきっかけ、調整もろもろ全てを担ってくれたこの二人。
僕らの心の中では日々この二人の事があった。
今は現実に二人が立っている。それだけで、疲れなんて吹き飛んだ!
深夜の道を市内に向かう。恐ろしいスピードでがたがたな道を行く。対向車は殆ど無い。それでも一時間はかかった。
ここで、いろいろ変更事項を聞かされた。
本番が31日になった。最初30日だったのに。。危なかった。
当初は31日に上海入りする予定だった。しかし、中国の事だ。何があるか分からないため、31日は予備日としておいた。
昨年の知恵が生きた気がする。さらに「演奏はカラオケを作って当て振りにするかもしれない」。
メンバー絶句。昭和30年代の歌謡ショウではよく見た風景。
そういえば夜のヒットスタジオでも外タレがかっこよく演奏していて「すんごい!」とおもってみていると
最後の方でフェードアウト。
なんだよレコードかよ!なんだか損をした気分になった事を思い出した。
結論は明日になるらしいが嫌な予感だ。中国でレコーディングする羽目になるかもしれない。
環境だけが心配だった。1:00amホテルに到着しそれぞれの部屋に分かれる。 疲れた。移動距離も長かった。
明日から頑張らなければ。
1月28日7:00am朝食。
久しぶりの中国風朝食は美味しかった。
豆乳っぽいホットミルクも格別。
きっと日本でこんな味の飲み物をのんだら中国を思い出すんだろうな。
朝食後今回の製作元、北京テレビの櫨プロデューサーとミーティングを行う。
今回の番組は中国ではとても有名な外国人による音楽番組。
旧正月の大晦日にやるこの番組のプロデューサはきっと相当な実力者に違いない。
宿泊ホテル 君悦来酒店
この番組は他のキー局やCCTVでもオンエアされる。という事は凄い人なんだ。
どんな怖そうな人が出てくるか、とおもいきや、とっても普通の人が部屋に立っていた。
センスもよく「荘厳」なイメージを想像してたからちょっと安心。たぶん、しのんはもっと安心したことだろう。
富昭さんの進行で打ち合わせが進む。演奏曲は一曲となった。
月色陽光ではなくNEVERになった。
この曲は出発ぎりぎりまで程波さんにレッスンを受けていたので実は幸運だったかもしれない。
ただ、予想外のことはやはり現場で起きた。ます、基本的にカラオケにする。
しかしNEVERにはイントロが無い。
それをここ珠海の放送局、珠海電視台のスタジオにてレコ−ディングをする事になった。
「それでいい」そういうスタッフ。しかし僕の心の中は「できるの?これから?」。
また、中間部のギターソロのところには中国語のせりふを入れることになる。
急なことばかりだが僕らにはYESしかない。言葉がまともに話せないのは僕らだけなのだ。
中国語だけが共通語の「この集まり」のなかでは言っちゃいけないNOもある。
今後の予定を聞き、午後は会場でリハーサルを行うという。いよいよなんだ。
さっそく部屋にもどりしのんは徐軍さんたちと台詞の決め込みとNEVERの発音チェック。
まったくありがたいものだ。
二人ともしのんの成長のために全てを賭けてくれる。こんなにも。
今は感謝としか言いようが無い。
この旅が終わるときにせめてこの二人に喜んでもらえればいいと思う。
バンドメンバーは曲の構成の整理に入った。
中国ならではの演奏も考えなければいけない。アクションももっとハデがいい。僕の部屋で全員で相談。
日本にいるときよりもみんなまじめだ。「やればできるじゃん」不謹慎ながらそう思った。
旅をするなら信頼できるパートナーがいい。
お互いの力が分かり合える仲間でないと厳しい旅は出来ない。
僕もそれをメンバーに求める。
それに応えてくれるよき仲間と今珠海にいる。
昼食は会場に付帯するレストランで取った円明新園。
明の時代の皇帝が愛した円明園を復元したというテーマパークだ。食後にいよいよ会場入り。
外は「一年で一番寒い」といわれるほどの寒波も影響してとても寒い。底冷えってことばはこのことだと思う。
会場はとっても大きな野外劇場であった。それにしてもスケールが違う。
日本だとどこだろう。よみうりランドのイーストをもっと大きくした感じだろうか。ここが僕らの舞台になるのだ。
一通りのんきに写真を取ったり会場をうろうろして過ごす。
一時間もすると疲れてみんなでベンチで話す。二時間もたつと。。。
いっこうに始まらないリハーサル。
そういえば昨年もそうだったが、僕らの入り時間と舞台のスタッフの入り時間が相違ない。
一緒に造り始めるのだ。ADもいない環境であれば一同に動くのがいいことは確かだが。
寒さに耐え切れなくなったメンバーからは「どうなってる?」の声が聞こえてくる。
誰に問い掛けても答えが出ない質問。
だからぼくは言わないようにしている。
そして、夕方。3時間まってようやく舞台によばれた。立ち位置を確認する。
もちろん楽器はなく、ドラムはまだ会場にも届いていない状態。それもあっという間に終わりまた待ち時間。
まもなく夕食の時間となった。疲れながらもまだまだ元気な胃は食欲がある。
ビールものみ、さあホテルで打ち合わせだ!とおもっていると「予定がかわりました。」とのこと。
リハーサル会場に全員でまた向かう事になる。「ぼくらはなにかやるのかな?」紅白のように応援合戦があるのだろうか?
不安だ。なんせしのん以外の中国語は恐ろしく怪しい。
別の大きな建物に全員が移動し、合同リハのようなものを延々と見させられる。
それなりに楽しいのはおどりのクオリティの高さかもしれない。
華麗な舞いというのだろうか、非常に滑らかで美しい動きは中国の伝統的メロディにのって華やいで見える。感動!!
そこにまたもや連絡「これからテレビ局にいってレコーディングの打ち合わせをします。」
えっ!
とりあえず僕としのんだけテレビ局に向かう事になった。
時間は9:00pmをまわっている。
これから何をするというのか。いわれるままにタクシーにのり珠海電視台に向かう。
ついた先はフジテレビを巨大にしたような出来たばかりのテレビ局であった。
すごい!なんでこんなところにこんな素晴らしいテレビ局が!そうおもった。
局の中にはいると製作スタッフが待っていた。音楽用語となれば問題ない。
スムーズに会話が進む。なんとVAIOをつかってレコーディングをしている。
進んでいるのだ。
そんな様子はきっとここにきて見ないと分からない事だろう。
珠海電視台
友好的に打ち合わせは進み、日本から持ってきている音源を取りにホテルに戻り、またテレビ局に向かう。
この道はもう慣れてしまった。きっと次に来るときには案内できるかもね。
ホテルに戻るとメンバーが待っていた。テレビ局で決まった事を報告する。
次々に変わるこの中国式の進み方。二度目とはいえ戸惑いは隠せない。ただ、なんとかなる。
という事だけが過去の経験で分かるだけだ。今回初参加のメンバーは少なからずもいい気はしていないだろう。
でも、そういうものだ。今は掘り返すよりも流れに任せよう。きっと分かってくれる日はくる。
中国で何かをやるということはこの中国式のやり方を理解し飲み込まなければやっていけない。
中国式は絶対である。
他の逃げ道は無い。
ただ、中国式の良いところは最後までついていけば答えは必ず導かれるということ。
思いっきりゆだねようじゃないか。日本からはるばる珠海にきたんだ。
もしかしたら、一生知ることが無かった街かもしれない。そこにこれた事だけでも感謝しよう。
感謝していれば明日は開かれる。
予定が変わるということは進歩しているという事。
急成長を続ける中国にとってはあたりまえの事なのだ。
みんないい方向に持っていきたいと思っている。その気持ちを理解したい。
でもどうしてもダメだったら、そこで帰ろう。自分が後悔しないと心から思えるならそれでよい。
だからギリギリまでがんばろう。
メンバーは長い拘束時間に参りきっている。
本当は上海のリハーサルもやっておきたかった。しかし、今日はここが限界かもしれない。
一日中会場にいた体は疲れきっている。きっと明日はどうにかなるだろう。明日も集合時間は早い。
1:00amビールも飲まずに就寝。
この行程が気にならなくなるまで、理解できるまで僕らはなじめない。
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