I Wanna be born in china
2002/01/27-2002/02/03 珠海〜上海


1.舞い込んできた幸運

いよいよ2001年も終わる。今年は中国にいけて自分の世界観が変わった。いい経験だった。
「ふーん、いい経験ねぇ。」
いつの間にか年寄りになったもんだ。もう、過去を思い出して感慨に浸っている。
そういえば、また、中国にいけそうな話があった。どうなったのだろうか?まあ、そういい話があるわけない。
宝くじ1億円が二回あたったやつがいるかい?

でも、僕らは二度目の宝くじを当ててしまった。。。


「中国にまたいけるかもよ。」そういわれた日からすでに2週間。
まあ、こんなことは良くあることと思えるようになった自分をほめてあげたい。
バンドも5月のツアーを経験しパワーアップした、何よりもメンバー間のコミュニケーションが以前とは
比べ物にならないほど硬いものになってきた。
中国での音の出し方も見えてきた、できるならまた行きたいよね。
しかし今だ僕らの中国は霧の中。

ある日「テレビ局の人と会います。答えが出ます」とのメールが中国から届いた。
ほんと?半ばその気になる。でも、分からない。
もう祈るしかない。今はそれしかできない。祈ること。
それが少しでもぼくらの長城へ、長い長い道のりを経て辿りつく万里の長城への道なのではないかと。

幾千の部族の侵入を防いだ長城へはなかなか辿りつけないだろう。
でも、僕らには音楽という武器がある。通用するのだろうか、ということはまだ先のことではある。
しかし、今は一生懸命音を磨き、楽曲を掲げていつしか長城にたてることを夢見るしかないのだ。
夢の辿り口よ、どうか長城に届け!

そうおもいつつ数日、もうさすがに「どうですか?」と聞きづらくフェードアウトしかけていた。
まあ、中国のTVにでるなんて、ちょっといきなりだよね。
いろいろ忙しいし、無理だよ。
自分へのいいわけは年をとった分だけうまい。
正当な理由なんていくらでも考えられる。
そんなときに1通のメールが届いた。
僕の携帯に1通のメールが。

「結論がでました。。。」
この「。。。」がとても気になった。
やっぱりだめかねー、と思ってすぐには開かない。仕事中に気分を落ち込ませたくなかった。
そんな我慢も1分もつづかない。「すみません」とその場を抜けだし、踊場にたった。
開いたメールには!そう!中国CCTVの出演がきまったというお知らせだった!!
いつものように細かいことは何も決まっていない。
ただ、出演がきまった!と!

すぐにしのんにメールをした。

アナタノユメマタヒトツカナイマシタ、ガンバリマショウ。

そうぼくらの夢がまた一つ叶ったのだ!

さらに上海から2月1日(金)〜3日まで、3日間程度での公演はどうか?
という打診が来た。
「スケジュールの段取りと共に、ビザの問題・出演して頂く状況等の打合せをさせて頂きたく思います。」
そんな話もほぼ同時進行。
急転直下とはこういう事をさす。

さて、僕らにも大きな課題があった。僕等のバンドにはギタリストがいない。
こんなことになるなんて思っていないからね。

もちろんライブを行うときにはその都度助けてくれる仲間がいる。
でも、メンバーとしてはずっと空席なのだ。
(ここでいうメンバーとは、面倒くさい事抜きで、おもうままに会話でき、なんでも共有しあえる仲間と言う事)
固定のギタリストがいればいいに決まっている。
それでも、あまりにも個性の強い4人に囲まれるとなるとそれはそれで難しいことではあった。
まあ、協調性のある僕は別として(^.^)、
イケルプレイをする人を見るとすぐにハイテク争いに走って脅す潤坊。
縄張りに入った猫をじっとにらみつけるように最初は警戒心がやまないすぎやん。
強いんだか、弱いんだかわからないしのん(ぼくは最高に強気な女だとおもっているが。。)

もちろん、メンバーはみな友好的な人間であることには変わりない。が、メンバーとして一緒にプレイするためには
やはり気軽に「いいよ!OK!」とはいかないようだ。そうして、今に至っている。

ただ、最近はそれが少しストレスに感じるようになってきた。
当たり前の話だが、音楽は全ての楽器が揃わないと100%にはならない。
一緒に出している音はそのマインドに宿る。そのためには共通の認識を持つ仲間が必要になってきた。
「いまさら」とおもうかもしれないが、常に走りながらものを考える僕にとって、これは一つの課題であった。
そのためかメンバーも「新しい個性」を敢えて求めようとはしない雰囲気もあった。
それでも、サウンドを確立させるために正式メンバーが必要だった。
必要な時にあなたはいない。そう、いないから困っている。
とりあえず、メンバーに相談することにした。

「やっぱりさー、5番目のGYPSYさがそうよ」いつもながらに政治経済について
4時間ほど安い居酒屋で語った後、僕はすぎやんに切り出した。
「で、だれか当てはいるんですか?」よっぱらったすぎやんの目が、急に据わる。
「いないけれど探そうとおもってね」
さすがに20年近くリズム隊を組んでいない。
僕の意向はわかってくれたようだ。
「うーん、いいすよ」あっさりとした返事。
「じゃ、さがしてみるわ」さ、今から朋友探しだ!

「コードワークはさー、潤坊が支えているわけだけれどリードになったときに薄いんだよね。
また、サウンド的にもキーボードに偏っちゃうからきっちりと主張ある音を出す人いれようと思ってるんだよ」
とあるファミレスで潤坊と語る。
チョット話ていてもすぐに脱線してしまい、これまた更に支線に入り話は長くなる。
おかわりのカフェラテも4杯目。
「そうですね。ちょっと聞いてみましょうか?センスもいいし、音楽が本当に好きな人なんですよ」
「ほう!連絡できる?」
さっそく潤坊が電話をしはじめた。
なんともせっかちだが、そこが機転のはやさにもつながる。
そして、今回、その速さが決めてになった。
「大丈夫です、やりますって!」
少し自慢げな潤坊。

そして、少し、緊張しながらも僕は電話を変わった。
一通りの挨拶をして、会話をした。印象的にはとても大人。
そう、子供のツッパリがないし、自分はすごいのよ!という虚勢もない。
ちょっとばかりギターがうまければ何でも許される「俺様」になってしまう人は
たくさんみたけれどそういう中途半端な人じゃないことはすぐに分かった。
でも、今までギタリストをメンバーにしなかったのはなぜか。
そんなに簡単には仲間は集まらないと言う事だ。それでも、直感で「この人は違う」と思えた。
よし、きめた!「どうもありがとうございました、是非、一度あいましょう!」

数日後、緊張していた対面式はあっさりと無事に終わり組むことになった。(は、はやいっ。)
音楽と酒でいき投合したぼくらはようやく5星になれた。
五星紅旗にかがやく5つの星に。


そんなこんなでおりしも1月15日成人の日。再度中国公演が確定した!
思い描いていたよりもかなり早く、ぼくらの二度目の中国公演がきまったのだ。
まさに「時より速く飛び立とうよ!」飛びたてるかどうかはわからないけれど、
確かに僕らは時の流れより少し速く走っている。

さあ、たいへんだ!あれしなくちゃこれしなくちゃ!
程さんに中国語のレッスンをしてもらいたいなーと思った。
でも忙しい人。つかまるかな。
大丈夫だろうか?気を病む。
調整がもっとも面倒だ。
まにあうかなー、不安がよぎる。
それでもやることは山ほどある。無理かなー。
どうしよう。

あれこれ考えながら駅のコンコースを歩く僕はかなり難しい顔をしていただろう。
それも、三秒後(本当に!)その問答はいとも簡単に終わる事になる。
目のまえにいた!
だれが?
程さんだ!
なんで?!?!?!?!

絶対的に宣言する!!!
これは縁だぁ!そう叫んでもよかった。

きっと駅の構内の人が皆振り向くだろう。
拍手がくる?いやつかまる?ドラマの撮影?
時期がらそれは危険だ。
「あーあー程さん!」息をきりながらめちゃくちゃな順序で説明する。
(したとおもう)程さんはよろこんでくれた。そして、いろいろ話をした。
あまり覚えていない。でもよろこんでくれていた!別れぎわに程さんが

「アナタハチュウゴクニエンガアルカモシレナイネ。」

そう。

おもっていたとおりなんだ。縁は必ずある!
幸運は僕らの窓に舞い込んできた








 
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