
2002/12/31 am8:00起床。2002年最後の朝だ。思えば今年は長かった。 今年の春に今日のこの場所にいる事を想像できただろうか。人にはいろいろな思いがある。夢、希望、想像。それでも、今日ここ香港で朝を迎えているなんて思わなかった。今年一番の万馬券。そんな感じだ。 まあ、そんなことをゆっくり思う暇もなく集合時間が迫る。今日は午前中にリハーサル、夕方まで時間があり本番へという流れだ。頑張らないと。終りよければ全てよし、2002年の総決算はあと15時間程度で答が出る。昨日の酔いも少し残る朝。それでも1人も遅れることなく集合し会場に向かう。 会場はコンベンションセンターの野外にある広場。海沿いの会場だ。そして上海の外難のような大きな川のような内海を挟み九龍がある。そんな会場だ。周りを見渡すと高層ビルの壁面に2002年と2003年のサインがうっすら見える。きっと、カウントダウンで2003に表示が変わるのだろう。海をはさみ、両サイドの湾岸には日本の主要企業名のカンバンが乱立する。ここは大都市香港だ。それを痛感させられる。会場の後ろにはこれも年越しを祝っての花火があげられる会場が見える。きっとステージ上からも見えるだろう。そういえば中国で花火はどんなかんじなんだろうか?日本とは違うのかな?花火好き(というよりも祭り好き)なメンバーは今からわくわくしている。緊張のステージというよりもみんなで盛り上がるパーティのような今日のステージ。とにかく楽しみな事が満載なのだ。 海風の中、リハーサルの用意が進む、機材も問題ない。ちょっとの時間を使って僕等は朝食を取る。といってもコンビニで食べるカップめんだ。なんとここでは「出前一丁」がカップめんの代名詞になっている。それもものすごく沢山の種類がある。辛そうなもの、健康っぽいもの。日本では見慣れない種類にビックリ。香港に行ったならみんなもコンビニに行ってみよう。結構楽しめるよ。そのコンビニも「サークルKだ!」とおもったら「OK」という香港のコンビニチェーンだった。うーむ、面白い。そうしている内に音だしができるようになってきた。待たされることに慣れっこになっているメンバーは時間の使い方を知っている。不要なときには自由に出歩いている割には、必要なときに必ずスタンバイできている。日本では団体は全て団体の中にあるがここでは違う。必要なときに、それはいろいろな意味において必要と思われるときにその場にいるということが重要であって待つことに美学を持たないのだ。そういう風潮は本当に僕らに肌が合うことだと思う。 リハーサルが始まるとももがいなかった体調を壊していったん部屋に戻ったという。昨日も自分のプレイに納得していなかったようだ。でも、それは仕方がない。落ち込んでも意味がない。責めるべきはその時の自分ではない、そこに至るまでの自分である。後悔はいらないんだ。偶然のトラブルでないかぎり過去を悔やんでも仕方ない。お客さんはステージしかみていない、ステージの上のメンバーの状態、実力、育ち方、人種、心情。。。すべて関係ない。大事なのはお客さんが見ているところで何が出来るか。ということ一つだ。初めての体験で大変な事だろう。それでも、お客さんにとっては「はじめてかどうか」なんていうことは関係ない。若いメンバーの辛そうな顔にも声はかけなかった。声をかければ責任のない慰めの言葉しかいえないと思った。自分で自分のベストを作れるようにならないといけない。きっとここが頑張りどころなのだろう。部屋を一歩出たら本番と思って行動できる日がいつか来るだろう。その一つの答は今日の本番でわかると思う。頑張って欲しい。 リハーサルをなんなく終え問題点もなかった僕等はかなり早くにフリーになれた。リハーサル中何故かお客さんが見ていたりするのも中国では良くある事だ。それはそれなりにリラックスしつつ反応を試したりして出来た。一度ホテルに戻り昼食に出る。中国の昼食といえば、そう飲茶だ。本格的な飲茶にみんな大満足。大晦日の雰囲気がまたまったく異なった香港の昼食。なんだか街の人はみな明るい。ファミリーで過ごす大晦日はクリスマスとつながった年末のイベントの最後の盛り上がりなのだろう。 僕らは部屋に戻り最後の確認と修正を行う。さすがに皆、疲れが出てきている、それは個人で解消しなければいけない。あと10時間だ。頑張るしかないよね打ち合わせのあとのほんの少しの時間で休憩、そして18:00、再び会場に向かう。衣装を持ちロビーに集合。「忘れ物はないよね」。さあ、出発だ。会場につき楽屋に入る。寒い。でも、冷たい飲み物が用意してある。 最初のバンドDSCの演奏が始まった。香港でも有名な3人編成のハードフュージョンバンド。見覚えあるメンバーがギターを弾いていると思ったら昨日までスタッフとしていろいろ動いてくれていた人だった。この次が僕らで最後にはイギリス人のブルージーなバンドがフィナーレのカウントダウンを飾る。最後は出演者皆でステージにでて、カウントダウンとなるようだ。段取りはだいたいわかった。控え室を出てバックステージ側に回るとすでにものすごい熱気だった。何故か立ち入り禁止のエリアなのにお客さんが入り込んでいる。そして、今まで大陸では見たことがないノリでお客さんたちは盛り上がっている。今年最後のお祭りなのだ。みんな楽しみにきているんだ。会場は入り口からステージの方向へ、人が流れるように入りこんでうねっている。僕らのことを訪ねてくれた香港の友人がいう「ここまでくるのに一時間かかったよ」。細長いこの会場に入るにはかなり列が出来ていて並ばないと入ってこれないようだ。そうか、なんだかいい感じだぞ。 そして、21:30いよいよ僕らの出番となった。 「よ〜し、2002年最後のステージ!このステージで今年は終り。大成功で2002年締めくくろうぜ!」 「うお〜っ!」円陣を組んで気合を入れる。さあ、香港の人たちにGYPSYQUEENを見てもらおうじゃないか! MCの呼びかけでステージに上がる。ステージに上がるとかなり遠くまで見える。会場は縦長い海岸際のためか横幅はあまりない。一曲目withoutyouはこのコンサートのために作った新曲だ。GYPSYQUEENには珍しいロックンロールナンバー。勢いが大事な一曲目。だいたいこういうステージで一曲でずべてが見えるもんだ。曲に勢いがあるからステージ上でもかなり自由に動き回れる。これはいけそうだ。香港のお客さんもノリが良かった。今回、前半は全て日本語のオリジナル中心で勝負した。反応は良かったと思う。何よりも僕らが充分勢いを保ってプレイできた。今年最後としてはいい締めくくりになるのだろう。 中盤「花火が入るから中断」というメッセージがディレクターからだされた。なに??花火ってもっとあとじゃなかったの??当初の打ち上げよりも何故か(理由はわからないし、良くある事といえばあることだ)花火がうちあがったのだ。急遽休憩とし、僕らもステージ衣装のまま花火を見に行く。日本の花火と違って小さい花火が沢山打ちあがる。それもなんだか生きているかのように動き回る花火が中心だ。夜空が昼間のように燃え上がる。綺麗だ。「そろそろスタンバイよろしくお願いします。」そうだ。ぼくらはライブ中だった。花火の終わりに合わせてステージが再開する。後半は中国語の曲を中心に展開する。康定情歌、但願人長久など中国の人ならだれでも知っている曲のGYPSYQUEENアレンジ版だ。知っている曲のせいか、観客の歌っている顔が目に入る。大陸の各地で起きた事と同じように香港のオーディエンスにも受け入れられてもらった。最後の曲が終わりステージを降りる。最高だ。アイリーン達がステージ下で出迎えてくれる。絶賛を受けて楽屋へ。 そして再びアイリーンが呼びに来る。「アンコールできる?ステージに上がって!」ん。どうしよう。何をやるか??迷った挙句勢い優先で康定情歌を再び演奏する。お客さんを巻き込んでのアンコール。良かった。2002年の最後にこのステージに立てて本当に良かったと思う。そして、あっというまに2002年は終ろうとしている。カウントダウンが始まる。僕等は今日の出演者全員とステージにいる。5.4.3.2.1Happy New Year!!!!2003年。香港で迎えた2003年。客席は大騒ぎだ。ステージ上も収集つかなくなっている。ジャムセッションが始まった。なぜか、真美ちゃんはセッションに混じってキーボードを弾き始めた。2003年今年も頑張ろう!巨大なオフィスビルの綺麗な装飾も2003年に変わっていた。 「さあ、みんなで打ち上げよ!」1:00ステージも全て終えイベントは終った。僕等はイボンヌに誘われてアイリーンのいるスイートルームに向かう。おなかがすいた。のどもカラカラだ。到着するとすでにパーティは始まっていた。僕らも早速参加。今日は大晦日だよ。いや、元旦の朝か。どうでもいい。カウントダウンの打ち上げだ。いろいろな人と会話する。酒を酌み交わす。一緒に何かやったことだけを楽しむ空間。楽しい夜は更けてゆく。 2003/01/01 とりあえず、あけましておめでとう。どうも似合わない。大晦日の延長の元旦。日本ではお雑煮と年賀状を見ているだろうこの時間。僕等はおかゆを食べている。猪肉とかいてあるあやしいものは豚肉だったり、どうしても読めないメニューを頼んでみるとサンドイッチが出てきたりしてそれはそれで楽しかった。当て字を使っていると言えばそうだが,本当に文字って面白いと思う。この日、はじめて九龍の街などを歩く。今日はアイリーンが一日案内してくれることになったのだ。メンちゃんは流暢な日本語でいろいろな事を教えてくれるので特に困ることもなく僕等は充分に楽しむ事が出来た。辛かった事といえばビクトリアピーク。さすがに寒かったよ。 あっという間に夜になり最後の晩餐となる。いつものようにすぎやんはチャレンジャーだ。なんでも食べる。僕には出来ないから尊敬。DSCのメンバーも一緒。すぎやんとマーチンとなにやら盛り上がっている。「GYPSYQUEENはとってもいいバンドね。きっと香港でも人気が出ると思うよ、何よりもGYPSYQUEENのメンバーは皆中国語で話をしようとしているでしょ、それがきっと受け入れられる理由だと思うよ」「僕らの中国はまだまだだよ。もっとがんばらないとね」「またきてくれるなら私がサポートするから香港にきてね。」 ここの人は自分で生きている。自分で判断し自分の責任で自分で生きている。男でも女でも関係ない、国籍も関係ない。力のある人がその力でこの社会で生きている。だから言葉に力がある。「OK、聞いてみるよ」なんて他人任せの会話はぜんぜん出てこないんだ。自分が知らなければ「流行っていない」って言い切れる中国人。自分が気に入れば「あんたたちは成功する」っていいきれる中国人。ありがとう。また一つ僕らに力をくれた。頑張れば何とかなるってね。この気持ちを日本に帰ってからも大事にしたい。 社会の中に生きていけばいくほど、満員電車の中に身を任せるように、僕等は1人で生きていくことを忘れてきた。その必要はないし、得てしてそれはスタンドプレイにみえて歓迎されないものに待ってしまうことが多い。人は人に溶け込まない人をはねっ返りだといって排除したがる。同色に塗られた壁がいつしかグラデーションの弧を描いて虹のようになるような予定調和の美意識が僕らに1人で立つ事をし難くしているのだろう。 僕等は1人で立てるようになったのだろうか?GYPSYQUEENは本当に中国でたっていけるのだろうか?その補助輪をはずして走るだけの力があるのだろうか。最初は転ぶかもしれない。それでも、もう僕等は補助輪を頼ってはいけない時期になってきている。今までも充分過ぎるほどの経験をつんできた。だからこそもっと大きな変化に挑戦していこう。宴は終った。さんざん楽しんだ。本当にこんな元旦ははじめてだった。感謝。非常感謝! スタッフと解散をし、部屋にもどってもう一度昨日のVTRをみる。カウントダウンとしては一番マッチしたコンセプトでステージが進んでいるのが見える。疲れもピークに達しているせいか、みんな眠そうだ。最後にマチャとすぎやん3人となりVTRも終了。もう一本のみたそうなすぎやんの顔を見ないようにして解散。今日も3:30。でも、明日はちょっとだけゆっくりできる。香港で迎えた初めての元旦。2003年の始まりは香港。初夢はどんな夢になるのだろう。 2003/01/02 9:00起床。今回は午後の便で帰るおかげでゆっくり寝れた。毎回、ねたというよりも荷物を持って逃げ出した!みたいな帰国日が多いので今回はなんだかうれしい。初夢は見れなかった。みなかったのかな?おぼえていない。なんだか残念だ。12:00ロビーに集合してホテルを出る時間になった。今日もマーチンが見送りにきてくれた。今回は何から何までお世話になってしまっている。本当に優しい男だ。また、「これは昨年香港で一番はやった曲だよ。きいてみて広東語を勉強するといいよ」としのんにCDをプレゼントしてくれた。うーん、香港の男はみんなやさしいねぇ。僕にもなんと彼のバンドZENがリリースしたCDを全部くれた。そしてこう言うんだ「ちょっとよごれていてごめん」。そんなことないよ。マーチンありがとう。彼らとの別れも近い。空港のチェックインもあっという間にすんでしまう。広い空港のロビーでみんなで写真を撮る。 もうお別れだ。すでにしのんはなみだ目。こういうシーンに弱いすぎやんも言葉がない。「また会おう!約束だよ!」一番最初に僕はゲートに入った。最後はつらいからね。もう見えないくらいのところまで来てもまだ、手を振っている。マーチン、めんちゃん。いい友人ができた。なんど味わっただろう。出会った喜びの半分だけ別れの寂しさがある。そういうもんなんだよね。まあ、またくるさ。きっと、メンバー全員そうおもっていることだろう。搭乗ゲートに着き、あっという間にフライトの時間になる。帰りもまた、ばらばら。席は立てならびにつながっている。全員C席なんだ。飛び立つときに写真を撮ってもらったら面白いだろうなぁ。とおもいつつ、このご時世だけに目立つことはやめておく。縦一れつに乾杯。帰りは乾杯ができて幸せだ。このレポートを書きつつ、いまさら香港のMAPをみたりして時間を過ごす。少し眠くなってきた。時計を日本時間にもどし、気づくともう日本の上空になっていた。機内の「シュー」という音だけが聞こえる。窓の外はまっくらだ。もうすぐ20時になる。 これで、今年のツアーはおわり。いや、2003年最初のツアーはおわり?どっちとも取れるしどっちも正解だ。日本と中国を結ぶカウントダウン。2002年と2003年をつなぐコンサート。Bridgeのようなツアーはあっという間に終わってしまった。コンサートは本当に成功したのだろうか?僕等の喜びとお客さんの心の温度は同じくらいにたもたれているのだろうか?手放しに喜べないのは自分の性格かも。でも明日に向ける目はいつも楽しい。今回もいろいろなひとにであえた。あえてよかった。今日のぼくらがどうであれ明日はやってくる。だから明日もまたなにかがあることを信じてがんばろう。明日もまた誰かに会えるだろう。そうおもって走る。それが一番このバンドにあっている。終わりなき連鎖、日中の掛橋。こんなに続くなんて!とおもってはや第五幕。多分、きっとこういうふうに続くことを願って、そのために何かをしてきたのかもしれない。その結果が今こうしてここにいることにつながるのかもね。 さあ、痛快な六幕がくることを楽しみに終わりにしよう。 2003年は始まったばかり。 皆様にとって素晴らしい一年でありますように。 |