The Bridge
2002/12/29-2003/01/02 
New Year's eve in Hongkong


2.香港にむけて


「ところで香港って英語でいいのかな、北京語通じないときついよね。」
「広東語でしょ。ニーハオはネイホウだよ。」
「上海語とは違うのかな」
「ていうか上海語もあいさつくらいじゃん。」
「これから覚えるって事だな。つまり」
「これから。。」
「北京語でも平気だよね、標準語だし」
「いや、だめだな。だいたい元じゃなくて香港は香港ドルだよ」
「レートは違うのかな、物価はどうなんだろう」
「わからんなぁ」
「寒いのかな〜」
「まあ、年末だしな〜」
「衣装は冬物で大丈夫かな」
「ま、ステージでれば熱いしなんでも大丈夫でしょ」
「お金いくら持っていこうかな」
「おみやげ代くらいでいいでしょ」
「ニセモノ市場ないのかな」
「そんなの知らん!」
おおよそ僕らの知っている香港はこの程度であった。そして、交わされる会話もこんなもんだった。特にショッピングに興味がある女性陣がいるわけでもない僕らの周りはこの有名な香港をしらなかった。あっという間に決まってきた話はあっという間に急展開で動き出す。そんなある日、マーチンの紹介でアイリーンという彼らのボスと出会うことになった。ボスというからには三角めがねをかけたスーパーウーマンか、頑強な怖そうな人が。。と思っていたが、会った瞬間しのんは打ち解けていた。

「私この人ととっても気が合いそうな気がするよ」笑顔で振り返るしのん。そう、しのんの母親にも似たアイリーンはとっても聡明な「香港のおかあさん」だったのだ。彼女の笑顔と声を聞いてしのんはやること満載の不安も吹き飛んだらしい。急な角度で香港に向かい始めた僕ら。これはうまくいくと思った。だいたいうまくいくかどうかなんて判断の基準なんてない。自分達がどうおもったかが大きなファクターであったりする。もっとも精神的な部分を重視するしのんのこの好感触に僕らがほっとしたのはいうまでもない。
そして、語学担当のしのんが間に入ってつぎつぎに僕らの予定が見えてきた。実施に関する細かい事は実はかなり面倒くさい事が多い。それはコンサートの時間とかそんなことではなくて、いつ何時の飛行機で行くとか、メンバー構成とそれぞれのプロフィールの手配とかなんだか小さい事が山ほどあるのだ。世の中にはその処理だけ行う仕事がある。そういう細かい事はとても大切でそれを専門に仕事が成り立ち、そして音楽を作る人とスタッフとよばれるそれらを行う人の二人三脚で事は進むのである。でも、僕らの場合は得てしてそれら全てを自己責任で行う。今回はその役目がしのんに回ってきたのだ。決定後のあわただしさは今回も半端ではなかった。忙しいメンバーのスケジュールも取れないままEmailだけでの連絡と確認が続く。不安も多い。なんたって年末年始のことなのだ。年末の忙しさが輪をかけてしのんを追い立てる。

僕はといえば、語学担当をしのんに任せて涼しい顔。いやいや、そうでもない、楽曲の再編が必要なため、構成変更に忙殺される。年末のイベントならではの楽曲。なにがいいのか。日本のカウントダウンだっていろいろ考えるだろう。はじめてのことばかりの選曲は頭を悩ませる。香港に詳しい友人や今までお世話になった中国関係の人たちにヒアリングを続ける。
「香港ってなにがうけるのかなー」
「基本的には中国というよりイギリスの文化だよ、だって、1997年までイギリスだったんだから」
そうか、だから香港ドルで英語もOKなのね。あたりまえの事がすこしづつ紐解け、イメージも膨らんできた。そこで僕等は「第九」を演奏する事にした。「第九」をロックアレンジしてそこにゴスペル風な楽曲「joyful joyful」の歌詞を載せていく。そこから一気に僕らの比較的ハイテンポの曲にメドレーとしてつないでいく。

これならいけるだろう。きっともりあがるぞ。大丈夫か?だいじょうぶかなぁ。用意された見えない大舞台に慎重さは重要だ。イギリスの文化が生きているのならR&Rだ。だってBeatlesが生まれた国じゃないか。そんなことを意識してR&Rの新曲「Without you」を急遽書いた。単純明快ロックンロールを地で行くこの曲はきっと香港人にもうけるだろう。あとは構成だ。今回はMCをなるべく少なくしてその分メドレー形式を多用した。カウントダウンの酔客を盛り上がるにはとにかく音だ。僕らの主張を言葉で伝えるより今回は盛り上がりを優先してみよう。これもいいケースとして今後に生きるだろう。実験をする余裕はないがいつもほんのちょっとのテストを兼ねて進んでいったほうが良い。一回一回が真剣勝負であるからこそこの大胆な小さな実験が「次」に活きるのだ。

コンサートもカウントダウンだけではなく香港の有名なライブハウスでもやることになった。受け入れ先はV6やジャニーズのコンサートを香港で運営するPuffinmusicが全て取り仕切ることになった。香港での音楽活動を考えればここは天下の牙城であろう。何の不足もない。そして、香港に行けばアイリーンやマーチン、そしてwingが待っている。これほど頼もしい事はない。そして、何度か会場の変更やホテルの手配にとまどりながらも、僕らの「スケジュール」はきまった。4日間で2公演。会場は野外で1万人から2万人もくるコンベンションセンターの広場だという。出発日もきまった。12月29日に香港に向かう事になる。そういえば年末年始に海外にでるなんてはじめてじゃないか。帰国は1月2日。「紅白録画しなくちゃ」心配する事はそんなことばかり。香港について知っている事はまだまだ少ない。ツアーにも少しなれてきた僕らの心配はあまり多くない。「行けば何とかなる」という事が染み付いていた。
唯一、一番大事なことは「絶対にパスポートを忘れるな」という事だろう。
これはしつこいほどメンバーに言った。あと、「乗り遅れるな」。飛行機は待ってくれない。機材を車で成田まで運ぶ僕らには交通事情は関係なかった。実は結構大事な話なのである。特に前回は首都高速の事故でかなり危ない経験があるだけにね。
細心の注意を渡航の入り口に絞り準備を進める。時は忘年会も最中の12月半ば。つきあいの酒と楽曲と準備に終われ師走ならぬ「バンド走」。バンドは走りつづける。

出発日を間近にして香港情報を探る。中国のほかのエリアにくらべ実は情報はたくさんあった。世の中の感覚と少しずれた僕らの中国感覚。それでも、今回は嬉しい誤算だ。演奏中に着ようと思った分厚いコートもいらない事がわかった。これはラッキーだ。あっという間にスーツケースに入れるものがなくなってくる。若干の着替えを除けばなにやら怪しい電源とシールドばかり。半分も埋まらないスーツケースは転がすと前輪のタイヤが浮くくらいだった。(ほんとだよ)ここ数回長期のツアーが続いたので4日間、しかも大都市香港となれば確かに持っていくものを探すほうが苦労する。
歯ブラシからドライヤーまで現地にあると思われるものは全ていらないのだから。そして、いよいよ当日の朝が来る。今回はとまるところも分かっている。公演会場も分かっている。初日の公演先は名前だけわかっている。それで充分じゃないか。
いよいよ香港カウントダウン公演の旅がスタートする。