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2002/09/14-2002/09/26 
日中国交回復30周年記念公演


7.重慶 人の山 霧の涙


17:00上海発 3U572便中国東方航空にて最後の公演地重慶へ僕らは向かった。これが最後の公演地である。もうあとがない、とおもうと自然に緊張感がたかまる。しかも、初めての土地、初めての内陸地だ。その不安を煽るかのようにまたもや、機内は揺れる。読書用のライトがついたり消えたりの不安定な機内ももどかしい。外の景色を見ようとしても窓の外はくもでうめつくされて、初めての地、重慶はなかなかその姿をあらわさない。何を隠そうというのだ。まあ、いいや。今はまだ中国語の勉強が大事だ。時間は18:30を回ったばかり、あせらなくとも、もうすぐその姿を見せてくれることだろう。ある意味予備知識がまったくない重慶。楽しみだ。

そうして2時間。19:20。重慶についた!暑い!広い!世界最大の人口3000万都市。重慶だ。到着したのは夜の空港。ロビーもあまり照明が明るくなく、ちょっとさびしい感じだ。そこに在中華人民共和国日本国大使館 重慶出張駐在官事務所の石割さんが登場した。「お疲れ様です、重慶は初めてですか?」世間話をしつつも機材の積み込みを始める。排気ガス臭い空港前の混雑の中次々とカートを走らせあっという間に積み込みを終える。これはこのツアー最短記録となろう。毎日更新する記録の嵐。積み込み連係プレイはばっちりだ。そし19:50出発。なんというすばやさだ。これは記録ものだ。僕らはバスに揺られ重慶市内に向かう。まっくらでよく周りが見えない。石割さんから会場の状況などを聞く、まだ、決まっていない部分などが多分にあり、心配そうな様子だ。また、僕らから次々にでる質問も多岐にわたり本当にお手数をかけてしまっていることに申し訳なく思う。

途中、とても大きな橋を渡る。ライトアップされていてすごくきれいだ。「重慶の夜景は有名なんですよ」知らなかった。まだまだ僕らには知らないことがたくさんある。いろいろな事をこのバスの中で学んだ。重慶の北緯は28度ちょうど日本で言うと奄美大島と一緒だ。「すごく暑いじゃん」これで解ってくれると思う。皮のコートをスーツケースに入れている僕は何者か?またここは北京、上海、天津について4番目の直轄市であり長江と嘉陵江にかこまれた街である。この二つの川が交わるところでそれぞれの川の色が違いその景色が有名という。明日はそこを見せてくれるそうだ。そんな地形からか霧の都といわれるほど曇り空が多い街だという。

やがて市街地に入り夜のライトにさまざまな町並みが現れる。今まで僕らが知っている中国とは明らかに違う。なんといえばいいのだろう。濃いか薄いかといえば濃い感じ。内陸だからか?なんとも新鮮な町並みを見ながら20:30ホテル到着。本日の宿舎は重慶ヒルトン。すばらしい高層ホテルだ。チェックインのあとみんなでラウンジに集まる。そう、今日はしのんの誕生日。中国での誕生日はきっと何もないに違いない。いや、GYPSYQUEENを甘く見てはいけない。ここでサプライズパーティが行われた。なんと、事前に領事館の方がケーキを用意しておいてくれたのだ!領事館の方の粋な計らいとホテルの支配人に感謝。それも見るからにおいしそうなケーキ!本当は最初にそこでびっくりしたんだ。だって、怖そうな顔をした人がこんなに親切にしてくれるなんて。なぜ、マチャがギターを持っているかって?打ち合わせのためじゃないさ。HAPPY BIRTHDAY SONGを歌うためさ。驚きのしのん。でもすぐにほんのちょっとの笑顔。そしてすぐ泣き出した。ほら、思ったとおりさ。そして、日本から用意したしのんの両親からのお手紙。これもアコーディオンの調べに乗せて朗読。しのんにとって両親からの手紙は最高の宝物。残念ながら僕らにそれにかなうものはない。だからこの手紙も僕らと一緒に1万km以上一緒に旅してもらった。大好きな中国で迎えられたバースデーの味はいかがなものでしたかな?甘いって?それはケーキの味だろ。

まわりの人の暖かさに触れ、ひと時の宴は終わる。何しろこのあと明日の対策を考えるミーティングだ。そう、飲んでもいられない。23:00僕らはいつものように部屋に集まり反省会をかねた明日の対策会議を行った。100%満足できるステージを120%盛り上がれるフィナーレを。それも今日と明日の準備しだいだ。どちらに転ぶかは全ては僕らの中にある。01:30am解散。明日も早い。02:30am就寝

2002/9/24 Chongqing
7:30起床。8:30朝食。寝坊したスタッフとメンバー。おいおい最終公演を前になんという気の緩みよう。そんな今日は午前中Freeになった。僕らは市内を探索した。門さんの案内で各所を回る。ホテルから長江沿いに降りていく。本当に山城という言葉がぴったりの街。山腹に広がる住宅の数は数えようのない数。川岸から高台まで民家は折り重なるように斜面を埋めている。その間をまるで迷路のように這う階段と坂道。これが3000万人都市重慶なのだ。圧巻としか言いようのない街にパワーがみなぎる。武者震いだ。まだまだぜんぜん想像もつかないような中国がそこにあるのだ。川岸の二つの大河が交わる地点に出た。茶色い川と黒ずんだ川が一つになり大きな川として流れていくこの先をずっと下っていけば上海にでれる。まさに長江なのだ。二つの異なった力が一つになりそしてさらに強力な力を持った川になる。

日本と中国もこうなればいいのだ。アジアの大きな力として。力をあわせて、同じ目的に向けて。だって、求めるものは同じところにあるんだから。「できないことなんてないよね、やろうと思えばこの川のようにお互いのよいところを身にまとってさらに大きくなれるさ」誰に言うわけでもなくでてくる言葉。そう、みんな平和を願っている。仕事も国もそして人々も。行きにもうすぐたべられちゃうウサギをみてかわいそうと思っていたら帰りにはいなかった。。。生きると事は尊く厳しい。一度ホテルに戻り昼食に出る。超辛いファーストフード店で久しぶりにバーガーっぽいものを食べる。

帰りにはCDショップにもよった。基本的にCDはアルバムで一枚10元が高くて20元だ。高くて300円というこの物価。日本人がCDをリリースしたらまず売れる分だけ赤字。そんな感じだ。どうして成り立っているか本当に解らない。午後。機材を持ち明日のコンサート会場に向かう。今回の会場は重慶の西南政法大学である。そこの体育館で行うスタジアム形式のコンサートだ。バスで30分ほど走り会場に到着。なんと大学の正門にまず僕らを歓迎する垂れ幕があった。これはすごい!そしてゆるやかな坂道をバスは登っていった。正面に体育館が見える。アーチ型の歓迎のバルーンがあった。最終公演にはもってこいの会場だ。会場に入ると左右にスタンドがあり、そこの真ん中にステージはあった。立派なステージだった。

今回は実施の10日くらい前に急遽会場が変更になってしまった。公演自体が危ぶまれたこの重慶。まさかこんなにしっかりした会場が用意されていたとは!きっと超バタバタの準備だったろう。それでもこんなすばらしい会場を用意してくれた。ただ、感謝である。リハの間石割さんは今晩のライブをすべき会場と交渉に当たっていてくれた。昨日到着したときもこの話題が出たがなかなか日本人がいきなりそれも飛び入りでコンサートできる場はないらしい。金色時代という最新のディスコライブバーらしが、オーナーがだめだ!といっているらしく許可が下りないそうだ。コンサートをフルタイムやるわけではないのに、とおもうが、それが重慶のしきたりなら仕方ない。「うーん、でももうちょっと聞いてみますよ」ほかの会場も含めできそうな場所を探しにいってくれた。公式行事ではないのに本当に申し訳ない。

会場では順調に準備が進んだ。重慶テレビの最も人気のあるアナウンサー、陳さんと打ち合わせをし大体のセッティングを確認して会場をあとにする。ここは現地の日本語のわかる大学生などがスタッフとして協力してくれたおかげで何もかもスムーズに進んだ。うーん、これは頑張らないと!18:30再び市内に戻って食事に出る。今日はみんなのリクエストもあり、重慶の火鍋を食しにいく。ここは食べておかねばね。でも、甘かった。。。まず一口目。舌に触れた瞬間汗がどっとでた。本当にこの人生の中で最も辛い。辛いというよりも痛い。これはやんばい!すぎやんだけ、うまいうまいといって真っ赤になったなまずを頭から食べている。尊敬。めったにしないが重慶ではあなたが一番適応しているよ。

そんな食事中もなんども石割さんは席を立っていた。今晩の交渉がまとまらないらしい。これ以上お手数をかけるのはしのびないと思って「無理ならあきらめますので気にしないでくださいね。」と言った。無理という言葉は嫌いだか、これ以上迷惑をかけることはできない。無理かもしれないという勢いとビールと火鍋は全員のテンションを高めた。「よしそれじゃとりあえずそこに行ってみましょうか」やったーもうどうでもいいや、演奏ができなくてもなんだか楽しいぞ。やけっぱちの僕らは芸術的な長江の夜景を眺め、オープンエアで食事をする人たちを冷やかし勢いいさんで会場に向かった。

金色時代につくとやはりちょっと緊張する。「なんでもやったもん勝ちが中国なんだよね」誰かがそう言う。そうだ、それで今まで来たんだ。ここの例外じゃないだろう。とりあえず店に行かないことには話にならないということで勝手にずかずかと進むメンバー。入り口には手配したドラムセットが止められている。会場のなかでドラムを使っちゃだめだということでとめられているのだ。まあいい。とりあえず奥に進もう。会場はとても大きくまたきれいなところだった。最新の設備が備えられたステージがあった。でも、案の定機材らしきものはない。うーむ、厳しいか。でも、何とかしたい。

「ほら、この人がオーナーだよ、頼んでみて」そう押し出された目の前の相手に満点の笑顔。僕らは友好に来たのよ。一緒に楽しみたいのよ。ここで最高のステージをやりたいのよ。ほら僕らのCD。プレゼントするよ。ぜひきいてみて。。そして「すごい!みんなOKだってよ。さあ、はやく用意して」石割さんの目が輝く。ドラムを持って行って良い事になった。ほんと??ほんとなんだ。何で?きっと直接会って話したからだろう。そうなんだ。現場主義の中国、現場で全てが変わる中国。ようやく僕らはそんな中国のすばらしさの意思部を感じることになる。「おそるべし重慶がこれからの合言葉ね」誰かが言う。本当にそのとおりだ。僕らのテンションは最高潮。火鍋の汗と一緒にたっぷり40分のステージをこなす。もちろん、中国語曲のオンパレードで会場の人とのコミュニケーションもばっちり!これだけ盛り上がればオーナーも喜んでくれるはずだ。ステージを降りると「よかったよ!すごくよかった」と絶賛の声。何よりもこれが有難いしうれしい音楽をやる僕らにとっては最高の言葉だ。

程よく酔って帰ろうとするとオーナーが出てきた。「とっても良かった!今度はいつ重慶にくる?必ずきたらここに来て演奏していってくれないか?」ん??ほんの1時間前とは180度違うこの反応。これには石割さんもびっくりだ。もちろん、僕らもびっくり。止められないようにと必死で入ってきたこの店を出るときには大勢の見送りと握手の山となった。素敵な瞬間だよ。本当に。興奮したまま僕らはバスに乗り込む。バスは大騒ぎ。

「いやーいやーほんとうにすごいよ、こんなによろこんでもらえるなんてね。行く前まで煙たがっていたオーナが言っていることが180度ちがっちゃうんだから!」そう、本当にびっくりなのです。でも、それがこの中国の力と僕らは気づいたのです。嫌いになるか好きになるかは実は自分しだい。きっと断られて「しかたがないよね」って思っちゃう人がおおいんじゃないかな。でも、本当にいいことだとわかったらこの国ではもう一押ししてみよう。いや、もうふた押し。そうチャレンジすることができればきっと君も本当のこの国が見えてくるはずさ。結果、もうぼくらは重慶に活動拠点ができたのだ。

感激はすでに溢れまくっている。こぼれ落ちる「感」の雫をすくい取ってはこのPCに文字にして打ち込む。この気持ちを少しでも長く保存できるようにと。いつかは色あせてしまうだろうこの気持ちをなるべく原色のまま保存したいと思った。24:00ホテル着。明日も早いので今日は解散、メンバーは三々五々に別れ、それぞれの準備へ。感激の夜。思いで深い夜。フィナーレに導かれる一本の線は長江を照らす川岸のラインのように明日へと続く。3:30就寝。

2002/9/25 Chongqing
7:30起床。さあ、今日が最後の公演日だ。自然と気合が入る。何度も迎えたメンバーとの朝食もこれが最終日となる。みんな引き締まっている。自分に何かを残そうと。僕らは朝食を済ませ、9:20にロビーに集合した。石割さんも元気だ。昨日からの勢いは確実に全員に残っている。疲れているはずのメンバーに疲れの色はない。9:50会場着 歓迎の垂れ幕がさらに多くなっている。ステージ裏のコンサートタイトルも完成した。電光掲示板には円満成功GYPSYQUEENと表示されている。ツアー最後の10回目の公演はあと8時間後だ。

リハーサルの合間を縫って昼食を食べに行く。今日は会場である大学の李副書記との会食だ。今回の公演に関して尽力を頂いた方という。また、領事館の蒔田さんもいらっしゃるという、いろいろお礼を言いたいことが沢山あり、ちょっと緊張してしまった。なんと言ってもこの人たちが僕らのステージを作ってくれているのだ失礼があってはいけない。僕らは御礼を考えた。とはいっても気の利いたプレゼントがあるわけでもない。ぼくらにできるもの。それは音楽だけだ。食事の合間を縫って僕らの思いを歌に乗せた。「ここ重慶は僕らは初めてです。ですが、昨日からとても親切にして頂いて感謝しています。この感謝の気持ちをこの唄にしてみなさんに送ります。」その時に歌ったのが「康定情歌」だった。僕らのバンドのレパートリーでもあるこの歌。昨年、長いツアーの僕らの心の支えだったモニカが歌い絶賛を浴びた曲。この歌は四川省、康定の民族音楽だ。この地で歌うことがもっとも適当である。この曲に感謝の気持ちをこめた。歌い終わると大きな拍手をもらった。それは先ほどまでとは違う表情をしている李さんからの拍手である。ここにしてきっと本当に僕らの気持ちが通じたとおもった。僕らが心から中国を愛し、本当に友好のためにここに音楽をやりに来たという事を。良かった。

食事も終わり再び会場に向かう。15:15リハーサルは再開される。途中で友好の企画としてこの大学生や近くの大学生シンガーをステージに向かいいれる事になった。そのリハーサルにはいる。もちろん、バンドなどで歌ったことのない子だったがステージ度胸はものすごかった。普通はちょっとは遠慮をするとおもう。もしくはそのそぶりをすると思う。でも、何者にも動じないというかなんというか。天晴れという感じの歌だった。この遠慮のない強さはもっと学びたいと思った。リハも終了しいよいよ本番が近づく。客入れが始まり楽屋にメンバーはこもる。「すごいよー沢山のお客さん入ってるよ」石割さんも興奮気味だ。

開演5分前衣装に着替えたメンバーで円陣を組む。最後の円陣だ。「今日上手くやれば全ての成功につながる。みんなの力を合わせよう!」気合を入れる。「そろそろいきます!」スタッフに呼ばれてスタンバイする。通路をでると満員のお客さんが見えた。3000人以上入るスタンドが満員だ。アリーナも満員になっている。早足でバックステージに駆け抜ける。それだけで大歓声だ。司会者が流暢な中国語で進行を始める。「GYPSYQUEEN!」いくぞ!メンバーはステージに駆け上がった。同時に湧き上がる大歓声。これは気持ちいいもんだ!「西南政法大学的朋友イ門!イホイ門好!」MCにお客さんが応える。このまま最後まで飛ばしていこう。もう明日の事は考えなくていい。できることを全て出し切ってやろう!19:30。最後のステージは始まった。

一曲目から飛ばしていった。途中でばてるか?いや、なんだか最後まで乗り切れると思った。僕らに力をくれている誰かがこの会場にいる。スタンドは人で埋め尽くされている。ほんのちょっとの拍手も大歓声に変わる。今回の中国ツアーでステージングはかなり向上したと思う。今まではどう動くか?という事にこだわったりしたがもうこの頃になると無意識で体が動くようになっている。マチャと合わせるタイミングだけ決めておけば後はお互いに「あおりに」前に出ている。ボーカルを左右から支えるように、なんたって20mのシールドは効果的だ。スタンド側に走るとスタンドがざわめく、この「山城」重慶のような「人の山」。演奏が終わるたびに大きく揺れる山波だ。

あっという間に中盤に差し掛かりトークコーナになる。メンバー一人一人の中国語も上達してきた。ツアー最後に参加したトモもなかなかの度胸だ。こんな大観衆を前にして緊張するどころか楽しんでいる。凄い子だ。そしてもっと凄いのがここの大学生。なんと「フェイウオンのニー快楽所以我快楽を歌いたい」といいだす。、それってもしかして。。。さっき僕らが演奏した曲ではないか。とりあえず伴奏をつけてあげることにした。というよりも演奏してって感じだったので。嬉しそうに歌う子。生オケ大会さながらのステージは更に盛り上がった、まあ結果オーライか。更に地元の大学生が歌うONLY YOUもバックで演奏をしてあげた。これは今日のリハーサルの時にいきなり頼まれたものだ。

「学生が歌うから演奏をしてくれないか」と言われたとき二つ返事でOKをした「没問題」と。とはいえいつも言われたからといってバックを勤めるわけではない。でも、ここでの競演はとても貴重なものである。きっと今日のことをこの子は忘れないだろう。そして、いつかどこかでほかの日本人と出会った時に今日の日を思い出し、もしかしたら困っている日本人を助けてくれるかもしれない。そして、親切にされた日本人は僕らのように中国を好きになってくれるかもしれない。友情の連鎖はいつしか全国に広がるだろう 。それは遠い先のことじゃない。また、気づいたことだが中国には裏拍子がないんだな、と実感した。このすばらしく声量のあるこの歌い手でさえリズムを表で取っているのだ。これは発見だった。環境、習慣からくるものでよく日本人がいくら黒人のまねをしても所詮黒人のもつリズム感には及ばないということと一緒なんだな。と思った。だから、僕らも日本人として元来体に染み付いたリズムがあったりする。それはイコール文化ということではないかな。と思う。

余談になるが僕らはかなり多岐に渡った楽曲を演奏する。ラテンテイストもあればブリティッシュロック的なものもある。でも、自分たちでも言っている事は「GYPSYQUEENのラテン」だったり「GYPSYQUEEN流ロック」なのだ。ようは僕らはラテンの専門家じゃない。コンサート会場に溢れるラテン好きのイベントでなぜかみんな怪しくリズムを取っている光景を以前見たがなんかこっけいであった。だって、あってないんだもん。でも、人間の悪いところでなぜかちょっと玄人好みのこととかをかっこいいと思ってできもしないのに気取ったりする。たとえは悪いけれど納豆を食べてレゲエのライブハウスで踊るようなもんだ。個人の嗜好に対してとやかく言う気はなく誤解はしてほしくないのだが、要は「音楽は楽しめれば良いということ」よく僕らの曲「ラテンおどろ」を聴いて、これはラテンではなくロックですねという輩がいるが、「そのとおりロックだよ」ということにしている。ラテンテイストの良さを取り入れた僕らなりのサウンドなんだ。だから、「ラテンはさー」と語りかけられるのは本当にたまらないことだ。話は脱線してしまったがだからこの中国なりのリズムは中国のリズムとしてとても大事にしたいと思った。「裏打ちできないね」なんて笑うやるがいたら僕がやっつけてやる。まあ、リズムの神様に言われたら、気も引けるが少なくとも他人のリズム感に口出しすることじゃない。まあ、そんな感じでステージはどんどん進んでいった。

そして押し迫った後半にはこの重慶でもっとも人気のある日本のTVドラマ「東京ラブストーリー」のテーマソングをやった。これは現地からの要望がすごく強かった曲であったが、そのとおり、イントロでもうおお盛り上がりに。日本の有名なドラマのテーマソングを初めて見る日本人バンドが演奏している。それだけで「非常好!」なのだろう。カバー、オリジナルを含めた怒涛のロックナンバーが続く。重慶の大学生はロックが好きみたいだ。いつしか客席は総立ちになりスタンドのお客さんも上のほうの席の人がみんな降りてきて欄干にいっぱいになる。アリーナのお客さんは興奮して花を持ってステージに駆け上がってくる。一人が来るとまた次の一人が来る。中にはトモのマイクを奪って歌い始める人も、おいおい、盛り上がりすぎと違います?それくらいの状況だからもう、このコンサートの成功は確実だった。

そして、終盤。会場のスタッフ、政府関係者、そしてお客さんたちにお礼。「最後にみんなにプレゼントしたい曲をやります。康定情歌」このしのんのMCがおわるやいなや、会場全員が立ち上がった。スタジアムが揺れる。そうだ、四川省の歌を僕らがやるとは思っていないだろう。おおよそ原曲とはかけ離れた派手なイントロにしのんが続く。「ぱおまーりゅーりゅでぃしゃ〜んしゃん」しのんのソロの声は会場にかき消されていた。すごいんだ。だって多分全員が歌っているよ。モニターよりもお客さんの声が大きくてしのんの声が聞こえないんだから。エッジの効いたすぎやんのソロ。そしてまた次のメロディにうつる。この想像し得なかった空間。今まで交流といっても甘かった。もしかしたらこれが本当の交流なんだろう。

日本人が中国で中国語で中国の民族音楽を日本人独自のアレンジで歌い、その伴奏に合わせて会場に来ている中国人が全員で大合唱する。言葉にするのは簡単だしこれはこの場にいないとわからない異常な光景だと思う。実際本当に僕らは今どこにいて、そして何人なのかわからなくなるくらいなのだ。「思い出した!ぼくらはアジア人だった!」同じアジア人の島出身と大陸出身のものが音楽を楽しんでいるんだ。同じ民族だから意思疎通ができて当然。そう考えればいいんだね。大合唱は最初から最後まで続き、ステージを駆け巡る僕らも限界に挑戦。そしてすかさずマチャは「但願人長久」のイントロに入る。まさにこの公演のためにアレンジされたようなもの。全員が歌い、手拍子をするには最適のリズムだ。長い長いリフレイン。何度も繰り返し何度も会場のみんなで歌った。もうへとへとだ。足はがくがく。きっと今日は3kgくらいやせたな。

「謝謝!我愛イホイ門!」感極まったしのんは涙声で会場に御礼をする。細長いペンライトが容赦なくステージに飛んでくる。これはブーイングではなく感激の象徴だ。鳴り止まない拍手に全員で挨拶。手拍子もやまない。アンコールでは「朋友」を演奏した。朋友。そう、ここにいるみんなとは昨日までは他人。でも、今日から僕らは朋友になったんだ。だかがみんなで歌おう。しのんはほとんど歌っていない。でも、会場の3000人がボーカルとなり僕らの演奏に乗って絶唱する。最高だよ重慶の皆!名残惜しいステージは終わってしまう。もう一回、もう一回。しのんはこのステージを降りたくないんだ。曲を終わらせない。メンバーも同じ気持ち。そしてお客さんも同じ気持ちだろう。それでもエンディングはきた。

「謝謝!再見!」しのんは涙を隠さない。そうだ、完全燃焼できた。最高だった。すばらしいステージングだった。今までいつも悩んでいたのに今日は完璧だった。それでいいのさ。自分が本当に楽しむことがステージなんだ。そして、ありがとう!みんな!ありがとう!スタッフのみなさん!ありがとう重慶!ちぎれるくらい手を振り、抱えきれないくらいの花束を抱いてバックステージに戻る。終わった。中国ツアーの最後の幕は閉じた。最高に幸せな幕を閉じさせてくれたみんな。ありがとう!警備の公安も笑顔だ。製作スタッフも領事館の方々も階段を下りてくる僕らに笑いかけてくれた。「大成功だよ!」って。役目は果たせた。

20:30公演終了。やった!大成功だ!みんなありがとう!抱き合うメンバー、石割さんも一緒だ。楽屋には重慶政府の偉い方たちがきてくれた。みんな笑顔だ。とってもよかった。今までにない成功だ。と言ってくれている。最初はあまり好意的でなかった人も絶賛してくれていると言う。嬉しいよね!「みんなよかったよね、また、重慶に必ずきてよ」「まあ、乗りかかった船だからしかたないなぁ」そういう石割さんの暖かさが伝わってくる。興奮冷めやらぬステージのあと。そのときふと思った。石割さんの顔がとてもやさしくなっている。

「懐かしい顔に見えてきた あなたの笑顔が私に力をくれる」僕らのツアーの曲。ツアー中ずっと作ってきた曲。出会った人たちの顔と気持ちが溢れてくる歌詞に最後の1行が急に出てきたんだ。ようやく完成した。すべての公演は終わってしまったからこれを今回のツアーで表現はできない。でも、この歌は大切にしていきたいと思った。僕らの今回のツアーのすべての凝縮だからね。歌えばすぐに思い出すよ。この日のことを。だからこの歌は日本に帰って演じたいと思う。日本で待ってくれている皆に聞いてもらいたいんだ。僕らがどういう事を経験してきたかと言う事を。何さんが控え室に戻ってきた。

「みなさーん、何さんは今回の公演で広報から大学との交渉まですべて動いてくれたんだよ」何さんの努力をメンバーに伝える石割さん優しさが分かる。決して成功を自分の手柄にしない人。スタッフの頑張りを照れずに伝えられる人。重慶にはこういう大きな人が僕ら日本人を守ってくれているのか。さあ、撤収だ。「うちあげだー」「ビールビール」「わーい」ステージのテンションのまま僕らは撤収に入る。最後の機材の片づけを丁寧にしながら疲れもきにせずどんどんバスに荷物を移動し始める。会場の外にはまだお客さん達がいた。握手やサイン。こんなときにも交流を大事にするメンバー。そうだよ、僕らは日中国交正常化30周年の記念公演を行ってきたんだ。もっと交流をしないとね。

21:30僕らは会場から数十メートル先の打ち上げ会場に移動した。とはいってもこれだけの大量の荷物。バスに機材を積み込み、30秒ほどのバス移動となる。「何さん、GYPSYQUEENってこんなにすごいバンドだとおもわなかったよ、なあ」先にバスに乗り込んだ僕を知ってか知らずか、石割さんの会話が聞こえてくる。「今一だなーって言われたらどうしよう。ドキドキする」でも絶賛の言葉ばかり。うれしい。本当に成功だったんだ。みんな喜んでくれたんだ。音楽は聴く人に評価基準を持つ。うまいへたなんてどうでもいいことはすでにあたりまえで、どうすれば相手に気持ちいい音楽を伝えられるかだと思う。それも一人一人と。今日の3000人の重慶の人たちの心に同じ印象を感じ取ってもらえていればそれは成功なのだろう。

打ち上げ会場には先程楽屋をたずねてくれたVIPの方々が集まっていた。これはまったく予定にないハプニングだった。昼食のときに「重慶の白酒はおいしい」という話をしていたら、李さんの好意で打ち上げを設定してくれたのだった。しかも「五料液」という最高級の白酒を僕らに飲ませてあげよう、という事で主催してくれたのだ。予定にないことが多い中国だが、僕ら日本人に対してこういったもてなしをしてくれることは、多分異例だとおもう。ただでさえ、日本人が少ない街だ。有難く白酒を頂く事にして、また、今回の公演を支えてくれた方に御礼をしたいと思い参加させてもらった。李書記、卓学長、文化局長、そして、蒔田さん夫妻等の歓迎を受ける。うれしい。石割さんに聞くと特にこういうときに歓迎をしてくれるのは本当に相手が気に入ってくれたときだけなんだよ。と教えてくれる。良かった。重慶の人にこんなに喜んでもらえるなんて最高だよね。「来年はこの会場より全然大きくて立派な場所を作るのでそこでぜひまた公演を行いにきてくれますか」何さんがそんな通訳をしてくれている。本当に気に入ってくれたんだなと実感する。

ちょっとだけ、と思った宴席も何時しか大盛り上がりになってしまい、ある酒をすべてのみ尽くしてしまいお開き。40度以上の白酒を数十杯乾杯した僕はかなりダウンしている。飲んでもツアー中は飲みすぎないようにしているだけにかなり効いてしまった。なんでそんなに飲むかって?乾杯を求めてくる重慶の人たちって嬉しいじゃないか。断れるはずはないさ、一緒に飲もうといわれて飲めないやつは中国では生きていけないな。しのんはウーロン茶で乾杯をしてたしね。一緒に何かをやることを大切にしたいんだ。すっかり酔った一行。大学側の方たちやゲストの方たちを見送り、バスに乗りこむ。22:30。ぜんぜん一杯じゃなかった。それもいいさ。さて、次に行こう!二次会は市内の店に移って行われた。

白酒の飲みすぎでダウンの僕。さらにバスに揺られ気持ちが悪い。メンバーはカラオケを歌いまくっている。みんな上機嫌だ。明日は何もない、かえるだけなんだ。ツアーの緊張がの解けたせいか、いつもより盛りあがるメンバーたち。途中でまみちゃんといろいろ話した。「こういう経験はなかなかできないとおもうし本当に感謝してるんです。ありがとうございました」なになにこちらこそだよ。急なスケジュールで頑張って調整して参加してくれたまみちゃん。多からず少なからず確実なプレイは支えになりました。感謝です。一行はホテルに戻り最後の反省会に望む。楽しいツアーだった。最後くらいはバカ騒ぎでもと思う気持ちもある。でも、最後の最後で恥を掻かないために気を抜いちゃいけない。作り上げたものを崩さないために。そして、みんな本当にお疲れ様でした。全員の力、総力の結果を受け止めて最後の乾杯をしよう!そうして、3:00解散。最後のレポートを書く。でも眠くて漢字が分からない。ひどい乱文だ。4:30就寝。集合時間ももうすぐだ。

2002/9/26 Chongqing-Shanghai-Tokyo
5:20起床。窓の外はまだ、夜が続いている。眠い。起きたというよりも、起きていたといったほうが正しい早朝。二日酔いの頭も痛い。かなり深刻に、時間に追われながら、なんとか6:00ロビーに集合。すでに石割さんは待っていてくれた。夜遅くまで、そして、朝早く申し訳ない。時間通り全員がそろい霧の中、空港に向かう。

石割さんも眠そうだ。もっとたくさん、たくさん話をしたいのだけれど疲れのため言葉が出ない。静粛な時間。そして、あっというまに6:40空港についた。バスの中では結局一瞬だけれど眠っていたみたいだ。空港では早朝の便を待つ人で思ったよりもごった返していた。機材を落とさないようにバスから下ろし(こういうときに忘れ物や機材を壊してしまうことが多いのだ。力がはいんないからね)カウンターに進みチェックインをすませた。

お土産何にしよう?なんて悩んでいるうちに楽器はバゲッジチェックを済まして搭乗機に向かっていった。うーむ、スムーズ。なれたもんだよね。毎回かかる日本円にすると3万円くらいの重量オーバーの超過料金を支払い手続き完了。まずは一安心。上海で国際線に乗り換えるためにここでは国内線のチェックインだから簡単に進むのだ。カートによっかかってしのんが寝ている。潤坊はタバコを加えたまま動かない。うーん、みんなお疲れね。朝の時間は流れるように早い。いよいよ、ここで石割さんとはお別れだ。

「またきてね、本当にまってるよ」名残惜しいきもちでいっぱいだ。この人の笑顔ってこんなに優しかったのか、とおもったら泣けてきた。振りかえれば、さっきまで寝ていたしのんも涙で一杯だ。「またなくのかよー」と思うが今日だけは好きにしなさい。僕も悲しい。霧の都で流すしのんの涙はきっと今日1日この街を霧で埋め尽くしてくれることだろう。




 
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