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2002/09/14-2002/09/26 
日中国交回復30周年記念公演


5.長春に学ぶ
2002/9/19 Beijing-Changchun

北京を飛び立ち僕も含めメンバーはあっという間に眠りにつく。シートに座った瞬間から眠るメンバーもいた。国内線の移動もなれてきた。大連から北京、北京からモンゴル、モンゴルからまた北京、そして北京から長春。移動が全て飛行機というのが国の大きさを物語っている。僕も一眠りし、機内食を配られて目がさめる。体調を考えて移動中のビールはやめた。もちろん、すぎやんは必ずビールを飲む。毎回違う銘柄のビールをのむことになり「このビールうまいっすよ」が定番のセリフ。何でも美味いわけだ。コンサートの資料などをみているとしのんの隣の席に座っていた女の子がいろいろ話し掛けてきた。片言ながら会話になる中国語と、英語で話をする。僕らのノートに「長春はあなた達を歓迎する」というメッセージを書いてくれた。嬉しいよね。こういうことって。通路を隔てた僕にもそのメモを見せてくれた。すると、僕の隣に座っていた男の子も話し掛けてくれた。長春の大学生という彼は英語も堪能だった。うーむ、ここでも英語はポイントとなる。中国語と英語を織り交ぜ機内講座はすすむ。実際凄く勉強になる。長春についていろいろな事が分かった。機が着陸態勢になるときに「困ったらここに電話を下さい、僕が通訳をするよ。初めての長春だから心配でしょ?」と携帯電話のメモをくれた。長春に到着する前に好きになった。こんなに親切な学生達がいる町だからね。そうして地上が近づく。畑が広がりのどかな農耕地帯ということがわかる。緑の多さで豊かな土地であることも分かった。12:30。長春着。ウランバートルとはまた違った、さえぎるもののない平坦な地平線の広がる広い空港に着陸し、まもなくタラップを降りる。これまた広い空港をターミナルビルまで歩く。新鮮な感じ。いい雰囲気だ。風も心地よい。初めての長春は穏やかな長い春のような土地だった。

こじんまりとしたターミナルビルに入り、すぐに荷物をピックアップ。そこに今回の長春の窓口である長春政府の方のおうさん、薄さん、そして在瀋陽日本国総領事館の本保さんと李さんだった。今回のツアーは基本的には日本国の手配によるもので、現地の政府の人と接点を持つのはここが最初である。これは瀋陽と長春が距離的にも離れている事もあり、主に現地の方が動いてくれたという背景らしい。また、中国ではそれぞれの市がとても大きくまた自治としてもかなりの権限があるようだ。なので、中国では一般的にその街の政府、たとえば長春なら長春政府といういい方をするのだ。おうさんは日本語も堪能でちょっとほっとした。さっそく機材を積み込むために空港の外にでる。空港の外では歓迎の花束がまっていた。朱珠さんというかわいい子がしのんをおで迎え。嬉しいね。

空港を出て初めての市内へバスは走る。広い道、豊かな緑はモンゴルの平原や北京の雑踏とも異なる風景である。宿泊するホテルに到着し、昼食。今日と明日の予定を聞き会場に向かう事になった。また、今晩政府の方との会見と会食があることを聞いた。せっかくきたのだからなるべくその土地の人たちとの接触がしたかったので、この話はとても嬉しく思った。バスは市内を抜けて会場に向かう。市内は中秋節(月見ね)の賑わいだ。中国では月見に月餅を家族で食べるらしい。月餅ってそういういみだったのか、と恥ずかしながらこのときに知った。そして14:30、会場となる吉林省文化活動センター東方大劇場へ到着する。会場の外にはGYPSYQUEENの文字が大きな垂れ幕となりそびえている。歓迎されている。がんばらねばとおもう。

会場につき、楽屋の場所を紹介され、早速アンプのチェックを行った。ギターアンプの電源が入らなかったり、ドラムのスネアスタンドが壊れていたり、かなりのトラブルだった。だが、それもおうさんの努力によってあっという間に解決。アンプは新品のものに変わり、スネアスタンド手配されていた。こうして現場で何とかなってしまう力強さ。うーん、またもや力を見せつけられた感じだ。

今日は17時より政府関係者との会見がある。それでも機材の遅れからか準備がはかどらなかった。特にリハーサルについてはかなり遅れがあり、16時の時点でまだ、MC打ち合わせが行われていなかった。今回は2時間のステージ。ただ演奏しているだけでは持たないのでいろいろな趣向を凝らす事を考えていた。そのためには現地の司会者との打ち合わせとステージ上でのリハーサルが必須となる。僕はかなりあせっていた。何よりもこのステージを大事にすべきだ。でも、さっきからおうさんはしきりに時間を気にしている。それはそうだ、多忙を極める副市長や文化局長をアサインしているのだ遅れることは許されないだろう。でも、どう見てもこのままでは2時間以上は遅れてしまうだろう。スタッフと調整をして楽屋での打ち合わせを重視し、また当日の打ち合わせでの対応を検討して早めに終れるよう、話をした。僕らだけの都合は許されない現場。それがたとえ機材トラブルだとしても、世の中には「予定」がある。その予定を何があってもこなしきれる事も必要不可欠な要素となる。とはいえ遅れに遅れている進行。なんとか、一時間だけ会見を延ばしてもらい大急ぎでリハーサルを終える。だらだらしないで動けば20-30分の隙間は埋められる。メンバーもそれに応えてとても機敏に動いていたと思う。明日のステージは成功するだろう。今のこのコンビネーションは今までのGYPSYQUEENになかった調和が備わっていると思う。メンバーに感謝、そして、スケジュール調整をしてくれたおうさんにも感謝である。

会場を出た僕等はマイクロバスにのりホテルにダッシュ。ホテルについて「10分後にロビー集合です」という流れだ。もちろん、ある程度キッチリした格好に着替えてくるわけだからこれはウルトラダッシュであろう。でも、みんながみんな当事者意識があるせいか、誰一人不満顔をするものもなく動く。現地の人の好意に応える姿勢がみんなにある。ホテルを出たバスは長春の有名な格式のある会場に向かった。おうさんが今日これから会う人について説明してくれた。とっても偉い人だった。なんだか緊張する、だって偉い人にあって僕らの中国への思いが本当に通じるかどうかが見えるでしょ。その答も反応で帰ってくる。だから、なんだか緊張なのだ。会場につくと大勢の人が出迎えてくれた。その真ん中の赤いじゅうたんをまっすぐ進む。その先に副市長は待っていた。また、長春政府の外務省にあたる人や文化局長など今回のコンサートを支えてくれる要人だ。もちろん、本保さんも李さんも一緒だ。がんばらなくちゃ。変な事をいって領事館に恥にならないようにと。

会場入り口で挨拶をし、名刺交換を行う。うーん、やっぱり偉い人だ。ひえ〜。そして、真っ赤なじゅうたんの会場はよく小泉さんが会見をするTVでみなれた会場であった。真ん中に日中の国旗があり、マイクがある。そしてTVカメラがある。表敬会見だ。センターの国旗をはさんで僕と副市長が座る。中国側には政府関係者と領事館の人たち。日本側にはメンバーとスタッフが座る。最初に司会を務めるおうさんから挨拶と出席者の紹介があった。そして副市長の挨拶が続いた。そのあと僕らから答辞を述べなければならない。もちろん、その打ち合わせなんてしていない。ここは勝負どころだ。中国の人に言いたい事はたくさんあった。でも、それをどういえばいいか僕は知らない。とりあえず、ようようやじんじんに話したいことを中国語に訳してもらった。なんとなく意味のわかる漢字の羅列。発音こそデタラメだが「大丈夫しっかり話せば分かってくれるから」という慰めともつかない言葉を信じてここに辿りついた。食事のときに照れまじりで中国語を話すことはあっても、公式の場で、しかもこんなに静粛な場で一人ではなすなんて、そりゃ緊張するよ。

トークをしなければいけないと分かってから話し始めるまでの短いシンキングタイム。その大半を中国語で話すか、日本語で逃げるか迷った。だから最後の最後まで何をいうか決まらなかった。結果として逃げ道は取らなかった。きっと後悔する。明日後悔する。日本に戻ってから「こうすれば」と絶対に思う!そうおもったから中国語で勝負した。「僕達は日本からきたGYPSYQUEENというバンドです。」「今日は副市長に会えて嬉しいです」「僕らは中国の人ともっと友達になりたいと思っています。」「そのためにもっと勉強して皆ともっと交流を持ちたい」「今日はこのような機会を設けてくれてありがとう。僕らは日中友好の為に明日、うたいます」「長春は素晴らしい街ですね」まあ、おおよそそんなことを話した。一言一言相手の顔を見て話す。副市長の顔はどんどん笑顔になってくる。おうさんが僕の中国語を復唱してくれる。受けている。まあ、受けねらいではないが。しのんに「加油!(がんばって)」言われますます、受けた。無事終了。助かった。なんとかスピーチはできた。急に打ち解けた会見場。「中国の方言を話す人よりもあなたの中国語は分かりやすいよ」またもや爆笑の会場。よかったとりあえず盛りあがった。

音楽は芸能だ盛りあがって一番、楽しんでもらってなんぼ。そうしてあっという間に僕らGYPSYQUEENの歴史的会見は過ぎて行った。会見後別室で会食となった。きらびやかな会場の真中に大きな円形テーブルがある。給仕をしてくれる人が僕らの数ほどいる。これまた緊張の中、多分恐ろしく豪華であろう会食に望んだ。残念なことは食べたことがないものばかりなので、その素晴らしさがわからないことでもある。とてもおいしかった、緊張も飲みこんだ夜。僕らは会見場を離れホテルに向かった。今日のこの行事がうまくいったことは本保さんやおうさんの表情で分かる。なもしれない日本のロックバンドはお行儀良く公式行事をこなした、というわけだ。ホテルに戻り解散し、21:00。恒例のミーティングを始める。ここのところハードスケジュールが続いたせいか、確認したいことがなし崩しになっていた部分がある。安心は最大の敵。一瞬にして、その行為をすべて台無しにする悪玉菌だ。楽器を持ってみんなでビデオをみて、おかしな所は修正に入る。曲のつながりの部分や、構成もみなおす。毎回の課題であったステージング、MCの部分もみんなで検討する。明日は2時間のステージ。音楽とトークが一体にならなければ持たない。入念なチェックを行った。ミーティングも2時間を過ぎ終了。

今日はステージがなかったせいか久しぶりにこんなに早い時間に全作業が終わった。移動につかれた体。まちゃをつれだし足裏マッサージに出かけた。2時間で80元という安さ。80元といったら1200円だよ!思わず寝そうになってしまう。おもえばツアー初めての自由な時間だった。マッサージ中恒例の中国語教室も勉強になる。なんたって相手は日本語どころか英語も話せない。そんな人との会話はチャレンジ精神しかない。でも、日常使う言葉が多く出てくるのでとても勉強になるのだ。1:00過ぎ。すっかりリラックスした僕らはホテルに戻る。気持ち寒いくらいの町並み北の国ということが分かる気候だ。街は静まり返っている。さあ!明日はがんばるぞ。2:00am就寝。

2002/9/20 Changchun
6:30am起床。長春の町並みを見下ろすこのホテルの窓からの朝日で目が覚める。ホテルのレストランで朝食を食べているといつの間にか全員が集まってきた。朝のミーティングを行った。今日は特別な日だ。キーボードのトマが帰国をする日。このツアー最後のステージとなる日なのだ。リハーサルからなんどもだめだしをして、「ほんとにだいじょうぶなんかなー」と思われていたトマ。テクニックの問題はない、最大の課題である、回りの音を聞く、客席の状況を把握してプレイする。すなわち会場で人に音を聞いて楽しんでもらうのが音楽であるとすれば彼にはその部分が足りなかった。というよりも経験がなかった。技術的にはしっかりしたものを持ちながらもいまいちしっくりこないのはそういうところからだった。しかし、みんなの心配をよそに彼は無事勤め上げた。日中国交30周年記念事業をだ。きっとたくさんのプレッシャーを超えてたどり着いた今日の千秋楽。その最後のミーティングなのだ。しかし、僕らはまだ先がある。まだまだ途中に差し掛かったばかり「今日しくじったら返さないからな」結局トマはだれからもやさしい言葉をかけられずにツアーの最終日となったのだ。ま、勉強勉強。まみちゃんが言った。「うらやましいよ。その年でこの経験ができるなんて」うーむ。実感こもる言葉だ。

8:00に再びロビーに集合し、会場に向かう。途中、演出公司によった。さらに楽器屋によった。昨日足りなかったものを全て「借りてきた」のだ。売り物を意図も簡単に借りる。うーん、また尊敬。この国には「余計な理由」は必要としない。困っているから協力するのはあたりまえなのだ。権利はそのあとだ。それにしてもどんどん準備が整ってきた。すごい。それしか言葉がない。人よりも少しは大胆だと思っていた自分が小さく見える。うん、まだまだ、常識にとらわれている。僕ももっと大胆にストレートに生きよう!そう思った。

バスは朝の市内を抜け、9:00、会場入りする。さっそくリハーサルに入るがドラムやキーボードを載せる平台が来ない。なんでも昼までほかの興行で使っているらしい。な、なんということ。ステージは14時スタートなのに。。大丈夫なのだろうか。まあ、気にしないようにしよう。くれば間に合う、なけりゃそのままやればいい。と、とたんにキーボードの音が出なくなる。変圧器が壊れてしまったらしい。「ものすごくあつくなっちゃってるよぉ」まみちゃん、冷静に困っている。そのあと変わりの変圧器を用意するも電圧が不安定なためか結局3個の変圧器を破壊。もう、あとがない。とりあえずあまり熱くならないように常時電源を入れることはさけ、演奏するときだけ電源を入れる方向で調整。MCのときも極力電源を落とそうということになった。

なんだかめちゃくちゃだが、みんな妙に納得して進めている。生き残りゲームの「サバイバー」にでたらこのメンバーは結構いいところまでいくかもね。なんとなくサウンドチェックは済み、司会の朱珠と打ち合わせを行う。彼女は杭州の大学生で日本語を勉強しているという。この国にはほんと勉強熱心な学生が多いと思う。そうして、MCの打ち合わせをおえ、心配していた平台も無事届き(僕らははらはらしていたがおうさんは大丈夫、くるから、と平気な顔をしていた)本番前となる。最初は主催サイドの挨拶とメンバー紹介だった。幕が開く前に人前に姿を現すのもどうかと思ったが、そういう進行であれば仕方がない。ステージ前面呼ばれ一人づつ紹介されて、挨拶をした。今日も満員のお客さんである。この異質な日本人たちがこれから何かをやろうとしている。変なことをしなければいいけどな。という警戒した顔つきだ。それも、いい。あと5分後には変えてしまうさ。そのギャップが楽しいんだからね。そして、14:00本番が始まる。

いつものように幕の開く瞬間に僕らはスタートする。すぎやんのドラムの大音量に驚いているざわめきが幕の先にある。幕が開き、一日の休養のせいか、新生GQのようにステージを駆ける、お客さんに訴えかける。一人でも多くの人とこの機会に仲間となるために、自分のプレイに専念するなんてもったいないことは考えもしなかった。途中、お客さんとの掛け合い、質問コーナーなどを行い演出も盛り上がる。メンバーの動きもモンゴルで開花したように今では僕が何も合図しなくても、客席に飛びだす。それを受けたように最高の盛り上がりだった。二階席の人が異常に盛り上がっている。このウエーブは日本でのコンサートのようだ。全17曲中、中国語が8曲。約半分が中国語でせめる。センターの主賓席にはこの長春の要人でいっぱいだ。喜んでくれるだろうか?喜ばないはずはないと思う。だって、僕らの演奏でお客さんがみんなでうたっているんだから。後半の「朋友」はまさに朋友の仲間に歌うもの。この曲でピークを迎えた。いつまでも続くリフレインの嵐。感激で涙が出るよ。

2時間はあっという間に過ぎた。ほんの一瞬の出来事のように。終了後、副市長からねぎらいの言葉を頂いた。お客さんもいつまでも帰らないのでポストカードをプレゼントしたらあっという間にまたパニックが起きた。怖い。でも、それでも誰も怪我をしないということはこの国での表現方法はこれでよいということになる。16:00公演終了。みんなが口々に絶賛の声を送ってくれる。ありがたい。交わす言葉は仕事じゃない。友情だ。そしてみんなで打ち上げに。あっという間の長春での出来事は僕らにとってとても大きかったのだ。宴会も半ばに差し掛かったころ。このツアーの中で感じたことを綴った曲を歌うことになった。まだ、一番までしかできていないが、この長春での出来事も歌詞に含まれている。いろいろ言われたことを思い出した。「始めはバンドのみなさんとどう接していいか解らなくて心配でしたが顔を見たときに話やすそうだと思って安心しましたよ」そうかそれが一番じゃないか。一番のほめ言葉だと思う。ありがとうみんな!うれしくなり、乾杯の数も最高潮に。そして、もう一曲康定情歌も歌った。今度は席に座ったままだ。この曲は中国では本当に有名な民族音楽である。そのアレンジを僕らでつけた曲だ。

薄さんも涙ぐむ。しのんも負けずに涙ぐむ。音楽は音を伝えることではない。文化の伝達だ。GQは文化だ。そう思い切った。本保さんにもたくさんお礼を言われた。いやいや、お礼を言いたいのはこっちのほうだ。瀋陽からこんなに離れた長春にわざわざ来てくれている。今度は瀋陽で会いたいですね。そう思う。李さんも間髪いれずうなづいてくれている。夢は夢の中でさらに広がる。名残惜しい宴もあっという間にすぎ、部屋に戻る。恒例のミーティング。一部の人間は最後のミーティング。いつものように部屋で今日のVTRをみる。これまたおもしろい映像だ。良く動いてるな、とおもう。これがどんな場でもできればすごいことになるだろう。最後にトマの挨拶が入った。自然と送別会モードになってきた。彼も成長した。だって僕らの前でちゃんとものがいえるようになっている。急成長カプセルを飲んだかのように一人前ちょっと手前に近づいている。とにかくここでさよならだ。お疲れ。また、一緒にやることもあるだろう。それまでミュージシャンとしての力をつけておいてほしい。3:00am就寝。疲れたが最高の一日とよべる日がまた、今日追加されたのだ。

2002/9/21 Changchun-Shanghai
6:30起床。昨日の乾杯のラッシュで頭が痛い。寝不足だ。そして、約1ヶ月ぶり異常の二日酔い。そうだ、このツアーにくるまえは酒が飲めなかったのだ。それが今ではどうだ。ツアーは音楽だけではなく余計なところまで成長するもんだ。今日は9:00に集合。かなり時間に余裕があるがとまが8:30に出発してしまうために見送りに出ようと思った。「ま、東京であえるからいいか」と4,5回枕に抱きついたが結局死にそうになって8:25amロビーへ到着。おうさんに昨日のお礼をいい、とまの出発を待った。昨晩、あれほど「明日はあえないけれどしっかり帰れよ、間違って乗り違えると日本に帰れないからな」といっていたのに全員集まっていた。政府専用車で空港まで送ってもらえることになり緊張するトマ。

「今日から機材の積み下ろしはだれがするんだ?」すぎやんが冷やかす。のこりのメンバーは一度部屋に戻り9:00am。市内に出た。すがすがしい澄んだ空気。広がる青空。楽器を持たずにのんびりするのは今回初めてだ。この街にはたくさんの日本の建物がある。戦争の傷あとだ。戦前の日本の建築は格式が高く、今でも立派に建っている。これが当時の日本の建築技術だとするとすばらしいものである。現在はほとんどが中国政府の施設や学校、ホテルなどとして現存している。歴史を紐解く時に触れてしまう忌まわしい過去。それも十分承知で僕らはこの国にきた。幸いそれをわかってくれる人はその話題に触れない。触れないことは解決にはならないが今の僕らはお互いにそれ以上の解決をしようとしている。たかが音楽かもしれない。それでも僕らはこの町の、この人たちと心から交流をしたいし、心からの朋友となりたいと願っている。この気持ちだけは誰にも負けないだろう。国交回復30周年は単なる一過性のお祭りや行事ではなく心の底からの国交回復としたい。その気持ちは相手も同じ気持ちであると思う。

ここ長春にきていろいろな事を学んだ.。お互い考えていることは一つなんだと。こんな当たり前のことではあるのだがすごく、すんごく感じたのである。なんとも表現しづらいがこちらの人たちの瞳を見て、確信した事である。とても勉強になった。人間というもの、世の中というもの。そんな感傷に浸りつつも僕らは市内の主要な箇所をまわり大きな広場に出た。文化広場だ。「ここのステージには5万人くらい集まりますよ、次はここでやりませんか」うれしい!そういってもらえる事がうれしい。さらにステージの大きさやその場にいたPA業者にどれくらいの費用でできるか聞いてくれている。口約束の横行する日本とは違いここは余計なお世辞はない。言葉どおり次回の下見を兼ねた市内ツアーであった。昼食をとりいよいよみんなとお別れの時がきた。薄さんの挨拶には涙が出た。また会いたい。また、会えたらもっといいステージをみせたい、もっと大勢の人に喜びを共有したい。いろいろな意味でアクセントのあった長春。ここ長春で今回初めての中国政府側のコーディネートをしてもらった。瀋陽の本保さんをはじめ長春政府とのジョイントで進む企画。まさに、日中友好であった。そのコミュニケーションは完璧であり、僕らから見ていてもすばらしい連携ぶりであり、何よりも公演が成功したのはそのおかげの他ならない。僕らが演奏に集中できるようしっかりとした準備をしてくれた人たちがいるからこそ、この成功はあったのだ。

その思い出深き長春ともあと少しでお別れだ。忘れられない人たち。長春の朋友たち。ありがとう。僕らは空港に着き、今回かかわった人たちみんなに見送られて搭乗ゲートに進む。「再見!」もっと居たい!そんな気持ちに引かれながらも次の目的地、上海に向け一歩一歩進む。そして、14:10。中国東方航空CJ6541便にて上海へ飛び立つ。これまた激しく揺れる機体は、海を越え陸を超え、いったいどこを飛んでいるかわらないほどの下界の風景を変えつつ上海蒲東国際空港にむかう。なんて広い国なんだ。すべてが飛行機による移動。国内移動は航空機でなければできない国。少しづつ気持ちを上海に切り替える。たくさんの朋友の待つ大都市、上海へ。







 
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