
21:00。北京時間20:00。再び北京首都空港にたどりつく。モンゴルからの機内は相変わらず大きく揺れて気持ち悪かった。でも、そうもいってられない。これから明日の朝にかけて恐ろしいスケジュールが待っているのだ。時計を気にする。まさに時間との戦いが始まる五分前。機内アナウンスがありいよいよ中国に再入国となった。タラップをおり、急いで荷物をピックアップにむかう。なぜか早足になっている。時間との勝負はみんながわかっていた。よほど鈍い人間でない限りギャグをいう余裕もない。広い空港を駆け抜けて20:40空港をでる。これは最短記録か?空港には河野さんが迎えに来てくれていた。2日振りの再会もなぜかとても懐かしさを感じる。「モンゴルはどうでしたか?」「いやいやいや、寒かったですよ、あと羊がですねぇ」そんな会話の中でも駆け足だ。職人芸ともいえるような全員での積み込み作業。あっというまにきれいに無駄なスペースを出さず楽器や荷物を積み込む。僕らは積み込み職人になれるとおもう。仕事がなくなったら空港に常駐して稼ぐのもありだな。そう思えるくらいの芸術技だと思う。 バスに乗り込むとほっと一息。「いやーなつかしいっすよ」すぎやんは相変わらずオーバーだ。ちらちらと時計との競争。そうなのだ、この後僕らは北京のホテルで会食をして、そのあとライブを行うために三里屯にむかわねばいけないのだ。それは明日の予定ではない。今日これからの予定なのである。当然ものすごく限られた時間しかない。モンゴルから長春に向かう北京での乗り継ぎ滞在。それでも、その合間を使って僕らは音楽をやる。それはなぜかって。どうしても会いたい人がここ北京にはたくさんいるからさ。およそ40分。21:15にホテル到着。もうダッシュでチェックイン。でもホテルの人がゆっくりしている。なかなか動かない荷物。それならもう自分で持っていこう。そして、お客さん。僕らの到着を待っていてくれた企業の方たちともそこそこの挨拶しかできずに申し訳なかった。こういうとき体がもうひとつあればと思う。でも、そんなことを言っても仕方がない。時間がないからといってなおざりにするのは大嫌いだ。だから自分の作業を削っても対応する。それでも、不十分な部分は許してもらうしかないが、まずはちゃんと挨拶もできてほっとする。よかった。 そして、その直後、まずは最初に僕らの会いたかった人が現れた。宮家さん。思えばひょんなことから今年の五月に知り合った方だ。その方が僕らにこんなにすばらしい場を踏めるきっかけを提供してくれた。大きなチャンスを与えてもらったのだ。そして、僕らはそのチャンスをものにできた。いろいろな人のいろいろな苦労。それでも、最初のきっかけは北京であった宮家さんであった。「ありがとうございます。頑張ってます」語れば語り尽くせないがまずはお礼を述べる。そして、今までの経緯、渡航してからの現在までの活動を説明した。いろいろ大変だろうと気を使って頂いた感謝の気持ちの連続。ようやく会ってお礼を言うことができたのだ。古い人間と思われるかもしれないが、礼には礼を尽くす。それが僕なりのROCKの基本だ。 北京の方たちとの食事会もあっという間にすぎ、ライブに向かうことになる。もっともっとたくさん大連とウランバートルの話もしたかったが予定がせまり中断。「がんばってくださいね」応援の声がうれしい。もちろん、今晩のライブは非公式である。夜の空き時間を使ってのライブ。とうていスケジュールには組めない短い時間の中をフルに使ってのライブだ。場所は三里屯のもっとも人気のあるライブハウスのひとつBOY&GIRLS。約300席くらい、いやもっとたくさん入っているようなライブハウスだ。そこにリハーサルもなにもなく出演する。でも、大丈夫。オーナーの小東は前回からの友人だ。顔を見ればすぐわかる。彼も僕と会えばすぐわかる。朋友との再会はステージでしたい。僕らはツアー中のバンドだからね。そう,心に決めてここにきた。でも、時折よぎる不安。本当によかったのだろうか?僕らの決定により、いろいろな人に迷惑はかけてないか?ワガママが個性だとはおもわない。やりたいことを最大限にやりたい。その差はなんなのだろう。できる限りのことを自分で把握してやることしかいまの僕らには答えがなかった。あとはその時の最高の気持ちで演奏する事。悔いを残さないこと。あとは良くも悪くも結果がついてくる。そんな事を考えているうちに街は喧騒に包まれてきた。 すでに23時を回っている。それでも、この街は眠る事を許さない。北京の東。三里屯。きっと君もここにくれば北京若者が何をしているかが、分かるはずだ。駐車できるスペースはないため一瞬バスを止めてもらい急いで荷物をおろす。遠慮なく鳴らされるクラクション。それを気にもせずバスを止める運転手。付け加えていうならば、全てを無視して機材をおろす僕等。これは北京の夜の日常だ。荷物を降ろし終わるとすぐにバスは闇に消えていった。僕らは交差点から20mほど路地をはいった「boy&Girls」に向かった。久しぶりの三里屯。以前より人通りが増えた気がする。歩道一杯に広がるバーやレストランのテーブル。こんな所にテーブルをおいていいのかい?とおもうがそんな事はお構いなしだ。 昼間のような明るさの照明の中、店にたどりつく。そこには笑顔の徐軍さんと小東が待っていた。「好久不見!(ひさしぶり)」心からの言葉だ。笑顔で迎えてくれる北京の朋友がここにいた。僕らはさっそくライブハウスの中に入る。まるでハウスバンドのように勝手に入り込みそして、勝手に機材チェックをする。でも、ここではこれがあたりまえだ。「機材見せてもらえますか?、ステージにあがってみていいですか?」なんていっている内に日は昇ってしまう。てっとりばやいこのやり方は大好きだ。面倒くさくないからね。機材のチェックは1分で終った。アンプがあった。電源を入れた。音が鳴った。それで終了。意外にもトマの準備も同じタイミングで終っていた。あっという間に僕らのテンポについてこれるようになっている彼を見て感心。やはり人間、鍛えようと思ったら遠慮はいらないんだなと、あらためてGQ流スパルタ教育を正当化する自分。いや、スパルタでもないかな。だって筋の通ってることを普通に言っているだけだからね。 そして、会場到着後20分がたった23:30。短い北京の夜の熱い一曲目は始まった。流れる視線の中での小さなアイコンタクトでスタートできるのはここ数日のコンビネーションからか。「それじゃあいい?じゃーいくよー」ではあまりにものろすぎる。ステージ衣装こそ着ていないがそれでも、僕らのステージにはかわりない。北京を意識しての乗りのよい曲とあまりにも有名な中国歌を織り交ぜて演奏する。ここ北京でもお客さんたちは一緒に歌ってくれた。歌詞こそ中国語だがコードの割り当てやリズムアレンジは完全にGQサウンド。それでも、喜んでくれるのはバンドマンとして至極の喜びだ。5月にきたときも盛り上がってくれていたと思う。でも、今日のほうが反応は大きい、メンバーもよく目が見えている。客席は遠く後ろのほうまでは見えない。前の30列くらいまでしか視界は開けてないが、それでも真剣に見る人、口づさむ人、まったく無視して笑っている人、いろいろな表情が読み取れる。そして、その中に、宮家さんがいた。なんと僕らのTシャツを着てきてくれていた!なんという優しさ。こんなに偉い人なのになんという心配り。きっと僕らが喜ぶと思って着てきてくれたのだろう。純粋にうれしい。あっという間の45分。「うん、たのしかったぞ!」客席を潜り抜けて外に出る間に何人ものお客さんに声をかけられた。握手を求めてくる人もいた。北京でも僕らの音楽は通じていた。 ライブハウスの入り口前、後ろから明らかに中国なまりの日本語が聞こえてくる。「しのんさん!非常好!(とってもいいよ)」振り返ると満面の笑みを浮かべた王さんだった。北京テレビに勤める王さん。前回のツアーの時はいろいろ曲を教わったりした。今回はすでに北京に戻ってきていて、ここで待ち合わせをしていたのだ。どうしても会いたい人とここでも再会できた。「しのんさんの中国語はとても良くわかりました。うまくなったね。回りの中国人もみんな盛り上がってたよ、ジプシークイーンは最高だよ」本当の笑顔、溢れてこぼれそうな言葉には僕らと王さんの友情が詰まっている。王さんも友達を連れてきてくれた。もちろん、日本語は話せないが僕らのへたな中国語で問いかけると、とても喜んでくれた。ここでもまたひとつの交流が始まる。ライブハウスの外の席で(正式には路上に店を拡大している部分)で徐軍さんは待っていた。「いやーよかったよー」いつもの笑顔。今回もこの手配のためにいろいろ面倒を見てもらった。いいステージをすることしかできないからこの反応はうれしかった。小東も「また北京にきたら必ずうちによってくれよ」という。もちろんさ。僕らは三里屯が好きなんだ。硬い握手。そして、norishiさんも会場に来てくれていた。前回あまり会話できずに分かれなければいけなかった北京在住の日本人。彼ともどうしても会いたかった。だって、また会おうって約束してたからね。今回はじっくり話をすることができた。留学生の現状など興味深い話もきけた。中国の価格としてはべらぼうに高い一本40元のビールを飲みつつ話に花が咲く。 あっという間に過ぎていく時間。それでも僕らの予定はまだまだ終わらない。ライブが終わるか終わらないかに駆けつけてくれたファンキーさん。僕らの憧れのミュージシャンだったファンキーさんとはひょんなことから前回の中国ツアーの時に出会った。もちろん予定をしてではない。同じ三里屯のライブハウス「POWER HOUSE」に僕らが出演したときに、ちょうどファンキーさんが育てているバンドが出ていたらしい。らしいというのはあとで聞いた話だからだ。そのときは演奏を終え、何気なくステージ横の席にずいぶん長髪の人がいるなぁ。と思った。それがファンキーさんでびっくり!そこから一緒に飲んで現在に至る。気づけば僕らの中国の関係者はみんなファンキーさんをご存知でしかしながら世の中は狭いと思うのであった。そんなファンキーさん「ごめんごめん、きたらちょうど終わっていたんだよ」と笑っている。どうしても会いたかった人。そう、たくさん話すことはあるのだ。「JAZZ−YAにいってるよ」とファンキーさんと三宅さんは先に行ってしまったので、僕らもそろそろ追いかける時間となった。世間は平日すでに1:30を回っている。あまり遅いとぶっ飛ばされそうなのでまだまだ人通りの絶えない町並みを早足で向かう。5分ほど歩いた路地を曲がり、JAZZ−YAにたどり着いた。この店に来るのは初めてだ。ファンキーさんの本で読んだこの店の開店秘話。そのイメージがわきあがる。何にも足がかりのない時にいきなり日本人が北京に店を出す。なんていうパワーだろうと思う。誰かがやったことをまねすることは簡単だ。第一、経験値というドキュメントがある。ゼロから始めたファンキーさんはさぞかし大変だったんだろうな。とおもう。まあ、いいや、今はみんなで飲みたいのだ。 「おそいよー」すっかり出来上がったファンキーさん達。いろいろな方を紹介してもらった。きっとこれからもくるだろう、この店。場所を良く覚えておかないと迷ってしまうから気をつけておきたい。そして、再び乾杯。思えばツアーが始まりすでに5夜連続のライブをやっている。飲んだ酒の量の倍汗が流れる。きっと健康的だ。もともと酒は体にはいいはず。だけれど、運動もせず飲んでいたらそりゃ、体によくない。今は毎日とってもハードな生活。だから毎日飲んでもよいのだよん。正当化した酒は本当にうまい。2:00amファンキーさん達と別れる。長い時間お付き合い頂いた宮家さんにも感謝。明日は朝から仕事だというのに。。。ありがとうございます。こうして北京にみんながいるから僕らの原動力となり、ライブもできるんです。誰のためにという大げさなことではない。ただ、会いたい、会って音を聞いてもらいたいという人が僕らには幸運にもたくさんいるということ。それも北京に。そういうことなんだ。そしてぼくらの音楽はその連続なのだ。JAZZ-YAに残るはメンバーのみとなり、恒例の反省会に突入する。もう、モニターがどうだったとかそういういっても仕方ないことは誰も言わなくなってきた。それは同時に「文句を言う」人がいなくなったに等しい。よいところは絶賛し悪いところはフラットに指摘する。長年求めていた自分の中の「バンドとは?」の答えがこの姿だともう。時間のない北京の夜は短い。 あっという間に2:30am。「そろそろ帰りますか」だれかがいう。もうちょっと居たい気もするが、明日も早い。勢いで飲んで翌日がだめになるのは最低な人間のする事と、いつもけたたましく言っている手前、ちょっと自分に自信がなくホテルに帰ることにする。それにしても今日は少し酔った。そんなに飲んではいないけれど、会いたかった人たちと会えた喜びか、気分はまだまだ収まっていない。それでも、会えなかった朋友とはまた次の機会に会えるだろう。また一つ目標ができうれしい。今日のビデオをみてもう3:30am。うわーもう限界。明日も早い。何もかも片付けずにあっという間に就寝。 2002/9/19 Beijing-Changchun 6:00am。ん?本当にもう朝??窓の外はまだ暗い。ちょっとだけ頭が痛い。散らかりっぱなしの部屋はなかなか片付かない。すでに大連で上着をなくしている。もう忘れ物はできない。適当につめたスーツケースはなかなか閉じられず、何度も荷物を押し込みようやくロック。ウランバートルでかった皮のコートがずっしりと荷物を重くしている。「どうせならついた日に買っとけばよかった」残りのツアー中ずっとお荷物になってしまうコートが恨めしい。朝食はキャンセル宣言を昨日からしている。それでも、何でかぎりぎりまで準備が手間取り、7:50amロビーに向かった。「おはようございます。昨日はお疲れ様でした」カラ元気で挨拶。元気だねーという声が聞こえる。8:00am麗都飯店を出発。そして、目を閉じた次の瞬間。空港着。40分間の陸上移動。 ここで、お世話になった河野さんともお別れだ。こんなにあわただしく北京を駆け抜ける人はきっと珍しいだろうと思う。「僕らの行動は僕らの勝手」とはいえない。それに付き合わされる人の身になって考えたい。人は必ず誰かに影響を与えてしまうものだ。それが悪いことなら極力避けるべきだ。それでも、まあ、変わった人たちと思ってくれたのか最後までお世話になってしまった。本当にありがたいことだ。「次はゆっくりきたいですね」なんて心にもないことを言うメンバー。だめだよ時間があればきっとその分予定でいっぱいになるさ。僕らはいつもそうだから。名残惜しくも河野さんとゲート口で別れ一同は搭乗カウンターへ、のんびりとトラブルもなくすすんだ。ようやく眠い目も覚め、空港のレストランでピザを食べながらこのレポートを書いている。ほんのちょっとの休息時間だ。それにしてもここは空港価格なので異常に高い。なんと66元。コーヒーとピザで1000円なんて信じられない。金銭感覚はもう中国から離れられない。搭乗アナウンスが放送される。いよいよ初めての地、長春に向かう。滑走路を徒歩で横切り小さな飛行機のタラップを上る。窮屈な機内。そして、10:25。長春へCJ6144便は飛び立った。 |
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