
| 2002/9/16 Dalian-Beijing-Ulaanbaatar am5:00。起床。つ、つらい。お世話になっている雑誌の編集長からもらったアミノ酸を朝食にしてなんとか6:00にロビーに集合。遅刻常習犯のまちゃもほどなく集合して行儀良くメンバー一同出発。それもあたりまえだ、領事館の松村さんもこんな朝早くからきているのだから。駆け抜けるようにあっという間に過ぎた大連の二日間、もう少し思い出に浸りたいところだが睡魔に襲われて、うとうとしながら大連空港に到着。毎回トラブる出国手続きもまったく問題なく手続き完了し、出発ロビーに進む。お世話になった松村さんともここでお別れ。思えばアンプが何かという事もわからなかった人にいろいろな手配をしてもらって本当にお手数な旅人だったとおもう。でも、それを快く引き受けてくれた彼女。ありがたい人がまた一人増えたもんだ。 別れを惜しみつつ7:40大連空港を飛び立つ。目指すはウランバートル。いや、その前に北京に経由しての移動だ。大連とウランバートルは直接の便はない。そのため一度北京に行き、そこで乗り換えてウランバートルに向かうのだった。だから、大連を出るときも出国ではない、国内移動ということ。そういえばパスポートは必要なかった。大連をでて、海を超えおよそ一時間後、北京首都空港にたどり着く。 まだ、朝の8:40分。企業なら始業時間であろう。そんな早朝の移動は続く。眠い目をこすりながら荷物をカートに積む。毎回の事とはいえこの作業は辛い。ちょっとボーッとしていると自分の荷物を見失う。「トマ、自分の荷物確認したか?」不機嫌な朝は言葉も不機嫌。でも、自分1人でなんでもやるのが海外での掟なんだよ。辛い事は早くに覚えたほうが得だから敢えて強く一番年下のメンバーにいう。もくもくとカートに積むすぎやん。ツアーなれはこういうところで分かる。ようやく荷物をカートに移し終え、カウンターをでると河野さんが出迎えにきていた。北京の国際交流基金に勤める彼女のアテンドで手際よく空港をでる。それでも9:30。やはり空港を出るには1時間がかかるっていうことだ。これも経験値になるので覚えておきたい。 一行は空港と北京の間にある麗都飯店にたどり着く。米国式にいうとholiday innだ。基金の所長さんと合流し、会食。大連の様子やこれから向かうウランバートルについてなどいろいろ教えていただく。旅のときは何でも聞いておきたい。ちょっとした情報があとで身を助ける事もある。そして、12:30再び北京空港へ。そこでみなれた人を発見!「徐軍さん!!」そう叫ぶとメンバーが一斉に走り出した。僕らの北京の老朋友、GQ中国公演の父、徐軍さんだ。僕よりも先にすぎやんが抱きつく。はやいねーこういうとき。そして、相変わらず笑顔で迎えてくれる彼。本当に今回もいろいろ無理をお願いしているだけに頭が下がるおもいだ。早朝からの移動もなんだか吹き飛びチェックインに向かう。初めてのるモンゴル航空だ。徐軍さんがいるから問題なくいくだろう。いや、それは間違いだった。 メンバーと航空会社のスタッフでのトラブルがまたもやフライト時間のぎりぎりまで続いた。英語が不得意な僕らが思い知らされる瞬間。意思疎通がうまく行かないばかりに起きる事件は何度も経験した。そろそろ抜本的な解決が必要だと思った。まあ、英語を話せればいいのさ。さて、徐軍さんが悪いのではないが結果として今回も走る事になる。何故か北京空港では走る事が多い。出国手続きをし、とりあえず徐軍さんとお別れ。また3日後には北京で再会する予定だ。「ホイトージェン(またあとで)」冷や汗を掻きつつ僕らは搭乗ゲートに向かう。14:30OM224便にてようやく北京を飛び立つ。初めての大地モンゴルに向かうのだ。あわただしくて実感はあまりないが時差が一時間戻るという事(日本と同じ時間になる)機内食がなんとなくモンゴルっぽい(どんな?)事で気分が盛り上がる。それもほんの少しで実感となってきた。 3時間も飛ぶと窓の外の様子が一変していた事に気づく。はるか眼下に広がるもの。茶色の大地。ひたすら広がる大地だった。ここがどこだかわかるか?僕にはわからない。右がどっちで左がどっちか分かるか?いや分からないよ。分かるとすれば太陽が落ちる方向が西、ふきすさぶ砂嵐の上の蒼く広がる空間が天界であることくらいだ。モンゴルにきたんだなと感じる。メンバーみな窓の外にくぎ付けだ。すごいなー、ボキャブラリーが乏しいのではない。それしかいえない広大さなのだ。機は恒例の如く揺れまくり、17:45。窓の外の米粒のような塊が羊であった事がわかり始め僕らはウランバートルに着陸した。やった!モンゴル入国だ! 入国審査のゲートのところまでくるとなんとなくモンゴルの雰囲気がわかった。アバウトに言うとロシアのようなイメージ。中国とは近くても全く違った雰囲気だ。そして、そこにくる人たちも違う。白人の人がとても多く、あとは日本人のような人たち。この人たちがモンゴル人だ。ぱっとみためにも同じような顔つきである。分かるとすればファッションが違うので分かるというくらいだろう。入国審査を終えると大使館の人たちが待っていてくれた。今回いろいろと準備を進めてくれた水野さんと対面。とってもおだやかそうな人で安心。大勢で出迎えにきてくれて、あっという間に空港を出ることができた。森井さんの力強さはなんだかモンゴルの強さを感じた。(重いバックを軽々持ち上げていて、しのんはビックリしていた)今までの中国と違ってまったく異国情緒溢れる風景。空港を出た瞬間から強烈に感じた。とにかく広いのだ。空から見た風景を間近で見るとその大きさがわかる。貨幣単位はトゥグリグ。1円が9.41トゥグリグという感覚だ。 僕らを乗せたバスは草原を超え、市内に入った。何もかもはじめてみる風景だ。ひとつだけ思っていたことと違うとすれば大きな火力発電施設があったことだ。ここからもくもくと煙を上げている。おおよそ無関係と思われがちだが、ここには生活が息づいている。「到着しました」。さあ、がんばるぞ!とおもって外に飛び出そうとした矢先に、バスに押し戻されるような寒さ。そう、夕方になるとめっちゃくちゃ寒い。「うー寒い!」野外でコンサートをやろうなんていっていた自分が大ばか者に思えてきた。これは本格的に日本の一番寒い時期と同じだぞ。ホテルのロビーに駆け込み今回のスタッフの方を紹介される。初めてのモンゴル語に緊張していたが通訳の人をはじめ日本語が堪能な人ばかりだった。特に通訳のバイラさんはまるっきり日本人。元来顔つきのにているモンゴル人だから言葉さえ一緒であれば区別はつかないのだ。うーん、ぼくらもモンゴル語を話さないとね。付け焼刃のモンゴル語に磨きをかけてこの3日間のうちに会話をしよう。そう心に誓ったのだ。 宿泊はバヤンゴルホテル。市内の中心地にあるホテルだが高い建物はそんなにない。ヨーロッパ風のといえばよいのかそれともロシア風というのがいいのかな?要はそんな感じの建物が並んでいる。部屋の作りも一転してヨーロッパ風だ。夕暮れ迫るウランバートル。まどの外の夕日が燃える。なんだか冬の日本の夕方五時前の公園。ちょっと寂しい感じ。そんな感慨にふけるまもなく荷物を部屋に置き、食事に出かける。ここでスタッフの人たちとようやく落ち着いて話すことができた。モンゴルでの日本への感情、モンゴル人の気質などいろいろ。情報収集がもっとも大事だからね。 そして僕らは今晩の演奏の場、RIVER SOUNDSに向かう。今日も空き時間を利用してのライブだから必ずできるという確証はない。環境もまったくわからないし、一説にはアンプはない、という情報も入ってきている。大丈夫だろうか。うん、きっと大丈夫だと思う。でも、大使館の人には迷惑をかけられないからきっちりしなければ。。そう考えているうちに到着。おお!なんだかいい感じのお店だ。Music Houseと書いてある。ウランバートルの町並みを走る感じであまりはではでしい場所はなかった。ヨーロッパでよく見る風景だ。そんな夜の闇の中に光るネオン。まさにここは大人の遊び場だ。入り口を入ると毎回のようにお店の人が奇妙な目で見ている。勝手にステージを確認。「うーん、やっぱりアンプないねぇ、今日もラインだね」などと会話していると一人の男性が出てきた。彼の名はあんちゃん(本名は聞きとれなかったのでニックネームで話したい)。日本語が堪能でなんとなく頼りがいのある男である。というか本当に日本の家の近所の友達が出てきたという感覚。だからメンバーもすぐに打ち解けた。店のオーナーが登場しいろいろ話をする。もちろん、あんちゃんの通訳で。オーナーのかたはとっても好意的で僕らに演奏の機会をくれた。環境についてもなんでもいってくれという。もちろん、ないものねだりをしない僕らにとっては最高の言葉であり、結果最高にうまくいくことだろう。「OK!ダラーオルジィア(またあいましょう)」といって会場をでる。次はあすの公演地をみにいくのだ。 会場は相撲宮殿。日本でいうと武道館にあたるのだろうか。街の中心地にある円形の屋内スタジアムであった。会場につくといきなり目に飛び込んでくる大きな垂れ幕。GYPSY QUEENと記されている垂れ幕が会場の屋上からつり下げられている。中に入るまでもなく気持ちは高まってきた。古めかしい木の扉を開け、階段をのぼり、円形の通路をでてホールの入り口にたどり着く。スタジアム内が急に開けてきた。そこにはりっぱなステージが出来上がっていた。イントレに組みあがった巨大なスピーカも、客席から3メートルくらい高くなったステージもいい感じだ。メンバーもこんなに出来上がっていると思っていなかったのだろう。下見といってもまだ何もできていない会場があると思ったに違いない。僕だってそうおもった。予想外の喜びに素直に喜ぶメンバー。ステージの立て付けやそれぞれのスペースを確認した。「すばらしい会場ですね。あとは明日、僕らが頑張らないとですね」。どうですか?と心配そうに言う水野さんにお礼の意味を込めて言葉を返した。日本からこんなに離れたモンゴルでコンサートの準備は着実に進んでいたのだ。 会場視察は問題なく終わり、ホテルに戻り準備をしてRiver soundsにトンボ帰り。「サンバイノー(こんにちは)」はもうみんな慣れたモンゴル語になった。とにかく海外にでたら本当にいろいろな事をすることをお勧めする。ホテルの部屋の中にいることは極力さけて町に出るのだ。そして、だれかと接触する。そこが初めて「外国」となるのだ。基本的に夜中に盛りあがる会場はまだ人の入りもまばらだ。準備をしつつ待つメンバー。「キーボードどこにセットしましょうか?」「弾ける所におけばいいさ」「そうですよね。」冷たいような、でもあたりまえの会話が進む。トマもツアー3日目にしてだんだんツアーメンバーらしくなってきた。ちょっと緊張気味のしのん。今日初めてモンゴル語の歌を歌うのだ。それも二曲。受けるだろうかを心配する僕。歌詞が伝わるかどうか心配するしのん。でも、大丈夫だよ。準備はちゃんとしてきたじゃないか。日本でしのんは何度もひょんなことから知り合ったモンゴル人の友人ボローさんにお世話になってきた。知り合ったばかりのしのんの為にたくさんのモンゴル語を教えてくれ、また、発音もチェックしてくれた。そんな彼女に報いる意味でもしのんはがんばらなくちゃいけない。それがボローさんへのお土産なんだから。そうして、ステージは始まった。「今までのお客さんとはぜんぜん違うよ」誰かが言う。そりゃ、そうだ。そんな当たり前のことを思うのはまだ、僕らが未熟なんだな。と思う。 とにかく音をだそう。23:00pm「すぎやんよろしく!!」いきなりの大音量。メンバーのテンションも高い。まだウオッカを飲んでないのに僕らはすでに一曲目からヒートアップしていった。新曲Cassiniではお客さんが踊りだした。おお、これはディスコだ!その勢いでモンゴル語の歌「広島の折鶴の歌」に突入する。オユンナさんにであって知った曲。メロディの美しさに感動して、そしてそれが日本を歌った曲であったことに驚いた曲。ほんの一ヶ月くらいまではしりもしなかったこの曲を今僕らはウランバートルのステージで歌っている。ステージ前の心配は吹き飛んだ。だってお客さんは一緒に歌ってくれているじゃないか。小さいライブハウスだが大合唱になった。よかった。音楽が僕らとここにいるみんなをつないでくれた瞬間。格別の時。しのん、なくなよ。。そうして40分のステージはあっという間に終わった。お客さんやらお店の人やらスタッフの人やらに絶賛される。さあ、ビールを飲もう!ここ、モンゴルのビールチンギスビールを飲み干す。うん!おいしい!どこに行ってもその土地のビールが一番おいしいと思う。なんでだろ。ただの酔っ払いと化したメンバーがフロアで踊る。うーん、不思議な風景だ。僕はなんと今日誕生日を迎えた菊池さんといろいろな話をしながらのんだ。この地に滞在している日本人の考えを聞くことは勉強になる。それが民間でも政府レベルであっても日本人が思うことには共通するものがある。日本とモンゴルは僕らが出発前に苦しんだように、あまり情報がきていない。でも、もっとたくさん交流ができればとおもう。ジンギスカンを食べモンゴル出身の力士の相撲で沸き遠く星のきらめく草原を思う。そんな国との交流は進んでいない。であれば僕らがモンゴルと日本の友好大使になろうではないか。アジアのバンドGYPSY QUEENとしてはなんの問題もないだろう。またひとつの出会いがまたひとつ僕らに夢を与えてくれた。必ず果たそう。モンゴルを広めるために。日本を知らせるために。翌日の本番前に盛り上がりまくったメンバー。1:00amホテルにもどり、さっそくミーティングを行う。TVを見たらかなりコンサートでは盛り上がる気質があるようだ。昨日までの常識を一旦全てすてて考えよう。ここはモンゴルなのだ。深夜までつづくミーティングとビデオを見ながらの反省会。だんだん明日のやり方が明確になってくる。全ての打ち合わせを終えたのは2:30amを回っていた。さあ、寝よう。ホテルの中でも寒さがこたえる夜。9月半ばの夜。 2002/9/17 Ulaanbaatar 8:00am起床、遅れ気味の僕はすぐに朝食会場に向かった。朝食はこれもヨーロピアンなバイキングスタイル。なによりも昨日はわからなかったが宿泊者の大半が金髪。東欧系の感じの人だった。日本的な顔つきは僕らの一行だけだった。今回のツアーは朝ミーティングを行うことになった。といっても今日からみたいなものだが。今日は朝出てから一日ホテルに戻ることはない。コンサート自体のスタートも遅いために、帰ってくるのは夜中。そして明日の午後には再び中国に戻る強行軍。だから朝の連絡はいがいに重要なのだ。ここに寝過ごしたりぼけていたりすると大変なことになる。10:30am.ロビーに集合して会場に向かう。今日も寒い。気温を聞いてみると2度だという。「2度ぉ」すぎやんが叫ぶ。しのんは気温を聞いただけで具合が悪くなっている。僕は空を見上げた。寒さと強風にあおられて空はどこまでも高い。こんな日に草原にでれたらどんなにか美しいだろうか。でも、今回の僕らにそんな時間は許されていない。残念だ。いつか、馬に乗って草原のコンサート会場に登場してみたいもんだ。落馬したらかっこ悪いかなー。 11:00am。会場に到着。気合が入る。サウンドチェックがなかなか進まない中アンプだけのリハーサルが進む。こんなときでも時間を無駄に過ごしたくない。音が出れば何でもできる。リハもできる。それこそ新曲も作れるではないか。昨日からつくり始めた曲を空いた時間を使ってくみ上げた。まだ、漠然としたイメージしかないがこのツアーでいろいろな事に触れるであろう。それを元に曲を仕上げたかった。明るい歌かもしれないし、悲しい歌になるかもしれない。でも、それが僕なりのこのツアーの決算書になるだろう。そんな時間を過ごし、ようやくPAがまとまってきた。メインのエンジニアが来たのが13:00pm過ぎだったのだ。不満もでてくるが仕方ない。悪いのはだれでもない。これがモンゴル流なら受け入れるべきだ。問われるのはそのときに何をしていたのかという自分たちの行動であろう。必要以上にシビアな行動をメンバーに求めてしまう自分。冷たいかなと思うときもある、でもこれは真剣勝負。そして僕らはバンド。バンドのわがままなら多少は受け入れてくれるに違いない。でもそれは評価に値しない「バンドのわがまま」となってこの地に残るだろう。僕らはそれを好まない。音楽だけをすればいいわけではないからね。だから、相手の行動を予測してその上で対処できるツアーに強いバンドにしていきたかった。もちろん、これまでの行動でも十分ツアーに強いバンドであるとおもう。実際このメンバーでなければ昨日までの行動の成功はなかったと思うし、第一このツアー自体が危ぶまれていただろう。そういったメンバーであるからこそここまでこれた。よりいっそうを求めたい。みんな、がんばろう!心の中でそう思うしかなかった。 合間の時間を使ってバイラさんとあんちゃんにモンゴルの習慣をおそわった。相撲が大人気のモンゴル。NHKの相撲中継はもはやモンゴル人の定番らしい。そこでMCでモンゴル相撲をとることにした。日本と若干違うのは負けた者が勝った者の右手の下をくぐり、勝った者が負けた者のおしりをパーンとたたく、という慣わしがあるらしい。そして、勝った者は鷲の翼を広げるように舞うのだそうだ。「これいいねぇ。」とっさにきまったモンゴル相撲編。行事はすぎやん、相撲を僕とトマがとることとなった。うーん、おもしろいけれど受けるだろうか?結局リハーサルは遅れに遅れモニターも最終的にはバランスよくとはいかなかった。ステージの演出の打ち合わせにも時間をとり盛り上がりを重視したかったためにそこに時間を費やしたことも原因ではあった。時間はどんどんすぎる。あっという間にリハーサル時間は終わった。会場の窓の外を見ると、すでにお客さんが並んでいる。それも長い行列を作っている。この会場は2500人収容のスタジアム。そこのアリーナ席にもいすを置くという。さあ、なんだかんだいってもステージはもうすぐだ。メンバーで円陣を組み気合を入れる。 さっきまで静かだった会場からざわめきと歓声が聞こえ始めた。MCが入ったのだ。「さあ、いきますよ」スタッフの声で会場裏手まで進む。なんだかすごいぞ。大歓声が聞こえる。今まででもっともすごいだろうと思うこの声援。みんなわかるか。この幕の先には熱い熱いモンゴルの人たちが僕らを待っているんだ。「どうぞ!」いつもより気合の入ったスタッフの呼び出しに階段を駆け上がる。そう、決めたわけではなかったがみんな駆けあがった。 舞台に飛び出ると大歓声がさらに大きくなって迎えてくれた。す、すごいぞ。本当にすごい。みんな怯むなよ。気づけば間髪をいれずべードラを踏むすぎやん。さすがだ。客席はリズムに合わせて手拍子の渦となっている。ステージに出た僕はモンゴル語で思いっきりMCをやった。MCなんて勢いだ、と思っているからひたすら前に出るMCをやって一曲目につなぐ。「ラテンおどろ」でしのんもステージに飛び出してきた。360度のステージ、20mのシールドでも足りない左右に伸びた花道。この花道をなんどもまちゃとあわせて駆け抜けた。曲の受けはよかった。特にロックナンバーはお客さんも立ち上がって拍手をしてくれる。感激だ。アリーナのお客さんと目があう。喜んでいる。手を振ってくれる。大学生中心の客層はまさに次の時代を担うモンゴルの若者。そんな彼らのとコンタクトはとてもうれしい。中盤に差し掛かりモンゴルの曲。オユンナさんの曲「天の子守唄」の時間になった。あんちゃんにMCのサポートをたのみ曲の説明をする。この曲はもともとモンゴル語だから僕がまったく違う歌詞を書いた。曲を聴いてそこから感じ取る詩をつけた。サビの部分はモンゴル語でというこの曲。イントロからの大歓声、そして、サビの「ブーゥェブーゥェ」のところでは会場全体が大合唱になる。3000人の歌声はもはやしのんのマイクの音量を超えている。メンバーもその声に合わせる。日本から遠く離れたこのモンゴルで今、お客さんたちとひとつになって演じている。それはあまりにとっぴょうしもなく、かけがえのないことだと思う。 1時間もたったころにメンバー紹介のコーナーとなった。一人一人が挨拶とモンゴル語を語る。「ヤオヤ!(一緒に行こう)」というすぎやんはさすがだ。しのんの100分の1程度の語学力でもステージでは対等かそれ以上。なんたってテレがまったくないのがすごいと思う。僕も見習いたいところだ。そんな僕にも場を盛り上げるチャンスがきた。そう、相撲のコーナーだ。モンゴルに行くときから「相撲とかやらせないでよ」とメンバーにはいっていたが、まさか自分からやる羽目になるとは。。まあ、盛り上がればいいか、程度にやってみる。それにしてもシコを踏んで大歓声が起きたステージは未だかつて経験したことがない。この相撲は大盛り上がりで大成功であった。以降僕らのステージではメンバー紹介の時に何かやろう、という気が全員に芽生えてきた。いいことだ。そして、次のハプニングもあった。しのんが「モンゴルのボーズをまだ食べていない」とMCで言っていたのだが、なんと会場から小さい双子の子がステージ近くまで持ってきてくれたのだ。このハプニングに場内騒然。メンバーもびっくり!しのんが受け取るとかわいい双子は照れくさそうに、そそくさとスタンドに戻っていったのだった。ここでも現場に強い杉やんが試食。「うまいっす」と言って会場を沸かせる。もう、これで全ては整った。双子ちゃん、ありがとう。あとは怒涛のごとくコンサートは展開していった。1時間40分のステージもあっというまに過ぎた。多分3kgはやせたであろうこの汗。会場に手を振っても鳴り止まない拍手。ステージを降りるとアンコールの声が聞こえる。モンゴルにはアンコールという習慣があったのだろうか。再びステージに戻るだけで歓声は最大に高まる。今日一番盛り上がった、そして昨日も盛り上がった「広島の折鶴の歌」をアンコールで演奏する。もはや会場は大合唱大会となり、GYPSY QUEENは歌声バンドとなった。すばらしいではないか、音楽を共有できるなんて最高の友好じゃないか。そうおもう。しのんの振りに合わせたウエーブが各所で始まり会場全体に広がる。予定にはないリフレインを何度も続け、しのんはステージ下におりる。 しのんも成長した。たった一日で。いや、たった2時間足らずで別人になった。「そうしてほしい」といってもなかなか客席に降りられなかったしのん、それが今3段階もある高いステージの全てをおりアリーナで歌っている。うれしいね。音楽って結局理屈じゃなくて相手あってのもの。そのときそのときで何が一番かを理解できるかどうかということ。きっと今、この場において日本でもっともすばらしい歌手はしのんになっているんだ。だから、もっと自由に歌えばいい。最後のメロディも十二分にためて曲を終える。ステージ上に戻ってこられるよう、エンディングを倍にして待ち構えるメンバー。最高のステージはおわった。 「バイラルラー(ありがとう)」全員から湧き上がる感謝の言葉。ステージになだれ込むお客さんに巻き込まれないようにステージをあとにするメンバー。まみちゃんだけはおっとりしているせいか、脱出に失敗し、あやうく転落となりそうだった。「はやく楽屋に戻って!」スタッフの大声が聞こえる。バックステージはちょっとしたパニックになっていた。「どうもおつかれさまでした」にこやかな水野さんが楽屋で待っていてくれた。うれしい。この笑顔に会うために今まで緊張してきたのだ。「ありがとうございました。モンゴルのお客さんは最高です」感謝しきれない。言葉ではたりないこの満足感をどうすればいい?汗を拭くまもなくモンゴルTVの取材や新聞のインタビューなど立て続けにこなす。のどが渇いた。不思議と2時間近く立っていたのに疲れてはいない。ただ、のどが渇いた。途中日本からきた大学生のグループとあった。日本語を教えるために来ているという。こういう若い世代の頑張りはうれしい、何よりもこのモンゴルで初めて出会う同じ国の仲間というのも運命を感じる。また、日本で会いたいね。と思った。 すべてが終わったときには22:00近くになった。最後の最後まで無表情で警備をしてくれた警備員に守られバスに乗り込む。うーん、ものすごく寒い。ホテルにもどり解散。そして、メンバーは打ち上げに。「どこに行こうか」そう、モンゴルの夜あまり店がない。ここはあんちゃんにお願いしてモンゴルの人が行く店を探してもらった。現地の人がいるお店。そこにしかぼくらは興味がないのだ。厳しいツアーのなかで、ほんの少しでも現地の生活に触れたい。そうおもう。お店はハウスブロイというモンゴルでチンギスビールと人気を分かち合うビアハウスに入った。そこでバンドの人を発見。さっそくセッションか?洋楽をカバーしている彼らとちょっと会話して、次回は一緒にステージに立とう!と約束。その晩はあんちゃんといろいろな話で盛り上がった。次は日本であおうとやくそく。たった一日でモンゴルの親友がたくさんできた。深夜。ホテルに戻り解散。しかし解散後大丈夫な人は今日のビデオを見て反省会ということにした。時間もおそいからあまりみんなを拘束しては、とおもったが結果全員があつまった。そりゃ気になるさ。自分たちのことだからね。ミスもあったが、それ以上によい点や、もっとこうしようというアイデアが生まれてきた。自分が弾くことに気をとられていたトマもステージを意識してパフォーマンスが急に上がってきた。まちゃのギターソロもどこかのロックヒーローのような感じに見えてきた。4日前の成田にいたGYPSY QUEENはすでにいない。アジアで活動するGYPSY QUEENに変わっていたのだ。深夜300am解散、即就寝。 2002/9/18 Ulaanbaatar-Beijing 9:00起床。ちょっとだけ余裕の朝。朝食をキャンセルして荷物整理。あっというまの3日。でも僕らにとってとても貴重な3日間だったとおもう。今日は午前中の空き時間を使って市内にでた。今日も2度くらいであろう。ものすごく冷え込むが、天気は快晴だ。モンゴルの象徴スフバートル広場にでる。僕はこの広場が大好きだった。こんな広場でコンサートができればと思う。途中こんなおいしいものは初めてとおもうくらいの、「ホーショル」(練った小麦粉の皮に羊の挽肉や野菜を包んで油で揚げた料理)を食べた。これは日本でチェーン展開したら絶対うれるのに。「BarGQ」でもやろうかな。そんな楽しい時間だった。街を歩くと昨日のコンサートの反響がいろいろ聞こえてきた。 市場では「昨日良かったよ」と急におばさんに言われてビックリ。それも日本人だったのでさらにビックリ。小さい町だから、ダイレクトに反響があるのだ。そう言う意味でもとっても親しみを感じてしまったメンバー一同。うーん、良かった。良かった。途中、あまりにもの寒さに皮のコートを買ったりしているうちに帰る時間になってしまった。名残惜しい。書き続けていたツアー曲もバスの中でようやく詩が入り始めた「異なる言葉を話す友達、よく見れば同じ瞳をしているよ、あえてよかった」今回のスタッフと過ごして思ったことを書いた詩だ。きっと日本でも会えるだろう。そのときにはこの曲を完成させて聞かせたい。モンゴルのことをGQのモンゴル公演のことを思い出してもらえればうれしいと思う。15:30ホテルに一度戻って、僕らは空港に向かった。 帰り道。来た時とは違う印象。なんだか懐かしい故郷を離れるみたいだ。異国感のあった道もすでにそうではない。「もう一日いたいね」みんながそういった。「今度はこのスタジアムで演奏してくださいよ」といわれる。嬉しいことだ。示す指の先にはウランバートルの競技場が見える。そうだ、またくればいいんだ。そのために何かをすればいいのだから。「くるなら9月は遅いから8月までがいいね」そういってくれる言葉がなんともうれしいのだ。あ、しのんがまた泣いている。16:30。空港に到着し、出発を待つ。なんだか大勢見送りの人が来ている。しのんが空港のトイレで手を洗っていたら「日本から来たんでしょう?昨日見たわ。良かったわよ」って声かけられた、とまたうるんでいる。忙しい子だ。出発の時間が迫る。いよいよ、大使館のスタッフの人との別れ。毎回つらいもんだ。初めてのモンゴルは僕らにすばらしいものをくれた。ぼくらはそれに見合うものをここに残せただろうか?聞いて見なければわからないことだ。でも、またくることがあればそれも確認できるだろう。だから、そのときのために今日のこの気持ちを忘れずに頑張りたい。そして、19:10。僕らを乗せた機は飛び立った。一気に疲れがでた。少しはねむれるだろうか。窓の下には懐かしい草原が広がっている。 |
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