
| 2002/9/14 Tokyo-Dalian あまりよく眠れなかった。それもいつものことだが、特にこの中国公演の時はそうだ。いろいろなことが交錯する。仕事、準備、メンバーのこと、そして、自分のこと。そう、自分の荷造りをしたのはすでに今日になってからの事だ。そして、午前5:00目がさめたのか、眠るのをあきらめたのか、どっちでもないような朝はやってきた。窓の外からは雨音がしない。昨晩から降り続いた雨もやんでいる。そういえば僕らのツアーはいつもあめにたたられている。 つい、前々回のタクシーの捕まらない出発をおもいだした。ちょっと早めにいくかな。そんな気になった。日暮里発のスカイライナーは7:07。余裕で間に合うように6:30に家を出る。タクシーはとまるか?いや、すぐにとまった。幸先のいいスタート。でも、そうでもない。6:53についてしまい、狭いホームで待つことになる。それも三連休の初日にあたったせいか、ものすごく込んでいるホーム。僕の乗る便もその前も全て満員らしい。駅員のアナウンスがけたたましく響く。「うるさいなー」押し合いへしあいで、電車に乗り込む。それからはスムーズだ。荷物の中にガイドブックが入っていないことに気づいた。まあ、いいか、今回も観光ではない。ガイドブックを持たない旅行、それは観光ではなくツアーというあかしかもしれない。集合時間は7:50、でも、ちょっと遅れてしまうかも、すぎやんは?とおもい電話をしてみると、成田で車の事故があって全然すすまないという。時間的にも危険な時間だ、あと30kmもあるという。まにあうの? 8:10集合場所に合流。車組み以外はみんなそろっている。なんとなく落ち着ける。空港に来るのも非日常ではなくなった。中国式になれているせいか、メンバーが遅れてもきにならない。「チケットがあるから飛行機はとびたたないよ」そういうもんだ。そんなこんなで搭乗手続き締め切り4分前、8:06にすぎやん駆けつける。いいわけ、盛りだくさん。まあ、いいよ。早く行こう。飛行機は待っている。 登場ゲートは連休の脱出組みで超混雑。これじゃ、ラウンジにもいけない。「ラウンジって?」ビジネスクラス初体験のしのんはさほど気にしていない。知らないということはいいことだ。そんな事を話しつつ気づくとフライト時間を過ぎていた。まあ、いいのだろう。あせるメンバー、中国じゃよくあることをここ日本でも早速体験だ。10:20搭乗機のJALはTAKEOFF。最初の目的地大連に向かう。さあ、これから13日間のツアーが始まる。今回のフライトはビジネスクラス。なぜかすぎやんがとても似合わない機内。それでもビールをあおるメンバーはいつもどおりだ。体調を崩して酒の飲めない自分も乾杯の一口だけのどに流し込む。うーん、ビールって炭酸なんだ。久しぶりの感覚。そして、JAL979便はなんどか大きく揺れながらも13:22、現地時間12:22に無事大連に到着。そう、約束どおり大連にまた、やってきたのだ。又一次来到大連! 到着するとゲートのところに領事館(在瀋陽日本国総領事館大連出張駐在官事務所)の方が迎えに来てくれていた、川本さんと松村さんだった。とても紳士的な方にちょっと気後れする。こんなりっぱな人にお世話になるなんてもうしわけない。いや、この記念行事を盛り上げるためにきているんだから大丈夫だ。自分に言い聞かせながら空港をさっそく出発。市内へいたる道は懐かしさにあふれていた。昨年の経験があるせいか、妙にすぎやんは饒舌である。メンバーに「ここはこうで」としきりにレクチャーする。それをみて笑うしのん。僕もほくそえむ。うーん、すぎやんってわかりやすいよね。ロシアの香りがする市内を抜け、昨年滞在した万達国際ホテルの付近を通過し、中山広場に出る。ここは昨年のコンサートを行った人民文化倶楽部があるところだ。一年ぶりに会場の前を通過、「潤坊にも見せたかったね」と誰かが言った。僕らを乗せたバスは市内の主要地点をまるで観光のように通り過ぎ大連ヒルトンへ到着。すでに14:00を回っていた。このホテルはとてもすばらしく大連の町を見渡せる眺望はすばらしいの一言に尽きる。遠くに港が見えなんだか旅情を感じてしまう。 そんな気分に浸るまもなく出発。明日の会場の大連電視台に向かう。とても立派な局のホールにはいるとまず目に入ったのは「吉普賽女郎国交回復30周年記念演唱会」の巨大なたれ幕だった。過去、中国での公演は数多くあれど、自分たちのバンドの名前のはいったこんなに大きな垂れ幕は初めてだ。また、領事館の方からチケットの状況、ラジオなどでの広報の状況を聞く。チケットは完売そして、ラジオの取材も入るというまた、大連テレビでの放映もあるという。これは気合が入るぞ。今回の公演のしょっぱなの滞在地大連でうまくいけばこの後も何とかなるだろう。力の入ったこぶしが汗ばむ。音響、アンプなどいつものとおり確認してそこそこトラぶってそして、会場を出たときには夕方になっていた。それでも今回はスムーズにいっていると思う。だって、ライブ前日に会場の音が確認できるわけだから。帰りにロシア街を散策しつつ、今晩の会場のライブハウスnight man clubに向かう。これは公式行事ではないが、せっかくの大連。フリーの時間を使って現地のライブハウスに出てしまおうというものだ。王さんという歌手が迎えてくれる。ライブハウスというかクラブチックなかんじだが、とっても雰囲気がいい。というかdeepなかんじだ。きっと日本人はここに始めてきたらそれを中国と感じないだろう。整然と並ぶ町並み、芝生のはえそろったやたらに綺麗な公園。そして、このライブスペース。それは、酔客相手に音楽を聞かせる「演奏できる飲み屋」とは一線を画したものだ。 下見後、夕食。もはや環境はきにしない。音が出ることが分かれば「没問題」だ。久しぶりの中華料理。うまい!そして安い!ビールが10元そして10人の食事代が222元。タイムスリップしたような価格帯。中国にきたともっとも実感するひとつのポイントでもある。 食事を済ませ一旦ホテルに戻り21:00に再集合。あわただしい中準備をする。夕食がボリュームがあったせいか、ちょっと眠い。というかだるい。今朝出発したばかりだし、疲れているかもしれない。それでも、予定は予定通り進む。タクシーに分乗して、会場に向かう。中国のタクシーは小さくて楽器をケ−ス毎のせることができない。なので、緊急にギターのソフトケースにベースをいれて持っていく。ネックの部分が飛び出していてなんだかかっこ悪い。まあ、いいか。会場に着くと王さんが迎えに出てくれていた。下見のときとは打って変わってユーロビート系がガンガンかかっている。80年代のディスコを思い出す。ポピュラー音楽はまだあまり普及していないという、中国。それでも北京にはロックがあった。上海にはクラブが存在した。そしてこの情緒あふれる港町大連にもビートはあった。伝統音楽、芸術的、民族的といわれる中国のイメージの中に「今」の中国はある。そこを読み取らねばいけない。だって、日本だって「ゲイシャ、フジヤマ」っていわれているんだ。ま、なんていう疑問も持たないだろうし、第一持つこともあまり必要としないだろう。それほど中国のイメージは固定化されている、この意識の差を埋めるには経験するしかないだろう。中国にきてみればわかる事だから。 会話ができないほどの大音量、いくらたっても目がなれない暗闇、一心不乱に踊る大連の若者たち。創造できなかった空間。僕らの音楽で大丈夫だろうか、とちょっと不安になる。中国公演に用意した曲は比較的、「一般に知られる中国向け」であり、あきらかにこの層とは異なるのではないか?一瞬の気の迷いが駆け巡る。体調の悪そうなしのん、打ち合わせをしようにも大声を張り上げないと会話できない状態が余計にメンバーを一人にする。到着日最初のライブはツアーの幕開け。失敗は許されない。そして、ステージに上がる。もともと、通常バンド演奏がないような店。なんだか妙に人が集まってきた。かなり変形のステージの特長上、バックステージでも大勢の人たちが見ている。奇異な視線。これは昨年と一緒だ。へんな中国語を話す日本人バンド。そうおもわれているのだろう。不思議にステージ上がると余計な気持ちは消え去っていた。しのんも笑顔がでてきた。そうなんだよ。僕らは音楽を伝えるためにきた。どんなステージであろうと、そこが僕らの存在意義を唯一感じさせるところであれば、ほかに考えることはないはずだ。いつものように、ガーンといってしまえばいいこと。すぎやん、カウントをはやくくれ。そうすれば僕らの日常は戻ってくるはずだから。 勢いのあるカウントでステージは始まる。さっきまでユーロビートにあわせて踊る若者たちもちょっとどうしていいか分からない感じで様子をうかがう。だからぼくらは僕らのロックナンバーでライブをスタートさせた。初日と言うこともあり様子を伺うことも考えて日本のカバー曲もやった。日本でうけているものと中国でも有名な日本の曲は微妙だが異なる。そして、中国曲。今回のために用意した「但願人長久」。受けるかどうか心配であったが予想どおり受けた。ディスコというステージ環境が安定しない中、もちろんモニターなんてまったく聞こえない中、ドラムのビートだけを頼りにやったライブ。それも何の不満もない。ぼくらには音楽をやる上での不満はない。ただ、ある環境で音を出すこと。誰かがいるところであればどんなときにも音を出して伝えること。それが僕らの最もやりたい、また、僕らの考える「音楽の最も大切なところ」であるのだ。40分のステージはあっという間だった。流れた汗が爽快感を物語る。とりあえずやってよかった!そして今回のツアーが始まったのだ。乾杯のビールもうまい。ん?ビールが飲めるようになってきた??中国の風がなじむのか、すっかり元気になった自分。そのときにはすでに会場のスタッフや歌手の仲間も「朋友」になった。これが音楽の醍醐味なんだ。一瞬のうちに打ち解けてしまうすばらしさ。だって、音楽は全てをつたえるすべがある。23:59ホテルに戻る。長い1日だった。 さあ、ミーティングをしよう!そこでトラブルが起きた。メンバーのトマがシールドケースがないといいだした。「ないってタクシーにつんだのか?」「わかりません」「自分のものは自分で管理しな、といっただろ。」シールドやペダルなどツアーには絶対必要な機材。キーボードが演奏できないという事は自分が弾けないってことじゃない。バンドとしての演奏が成り立たないって事になる。だれかがやってくれるということは世界じゃ通用しない。全ては自分でやらないといけないのだ。ツアーに際して初めてのメンバーには何度もいってきたこの言葉。でも、事件が起きて初めて分かるこの実態。悩んでいても仕方ない。なんとか探さないとツアーはできない。「領収書があるんですけれど」というトマ。あとはそれだけをたよりに探すしかない。ホテルのフロントに頼んでタクシー会社に連絡をする。スタッフとトマだけがのこりメンバーは部屋で待機する。見つかるだろうか?見つからなかったときの事を考えたほうがいいかもしれない。重い時間が過ぎた頃、部屋のベルがなった。トマだった。妙に神妙な顔をしていた。「ありました。タクシーの人が持ってきてくれたんです」まさに中国マジック。ここにこの国の凄さがあるのだ。「よかったな、俺はダメだと思ってたよ」「僕ももうダメかと思っていました。どうしようと思って。。でもこれからは気をつけます」なんにしてもよかった。危機一髪はトマにとって最高の経験となった。スタッフの恐ろしいほどの現場対応能力に感謝。連絡をしてくれたホテルに感謝。そして、タクシーの運転手に感謝。とりあえず危機は去った。あとで聞いた事だがトマは全員の部屋にお詫びをしにいったらしい。成長したな。とおもった。人に謝れる人は人のことを気にできる人だ。団体行動の基本だ。一段落して近くのスーパーで1本1.80元のビールを買い込みミーティング。さっそく今日のライブのビデオを見ながら反省点を模索する。すっかりつかれて眠くなって、とおもったらメンバーは皆元気だ。この元気さがあと2週間続けばいいとおもう。細かな点を確認しつつ反省。反省は大事だ。やりっぱなしは何もしないに等しいと思う。いつもいつも頭を使って音楽をやりたい。だからこそ現場での機転があると思う。それを一緒に行えるメンバーは尊い。1:30就寝。はじまった。ツアーが始まった。 2002/9/15 Dalian 7:00起床。そうかここは大連なんだ。広く綺麗なホテルの中ではあまり感じない中国らしさ。朝食のレストランも日本のそれと一緒のようにワールドクラス、ウエイトレスの挨拶も英語。うーん、なんか中国に来た感じがしない。窓の外に見える朝の町並み、路上に座って盛り上がる人たち。ようやく思い出したのだ。ここがパワーみなぎる国、中国であることを。あわただしく準備を整えて集合時間の9:00に猛ダッシュ。今日はこのまま会場に入ったきり。忘れ物があると自分が走る事になる。入念に部屋を見渡してからロビーへ向かった。時間どおり集合してバスにて今日の会場「大連電視台」へ。まるで手塚治虫のマンガにでてくるような未来都市にそびえるランドマークのような建物である。その何もかもが大きいのだ。会場に入ると昨日と同じような状況だった。が、僕らはそんなことにはもはやびっくりしない。あたりまえのように準備をすすめる。ないものは遠慮なく、大きな声で欲しいと伝える、スムーズに欲しいものが出てくる。急ピッチでどんどん仕上がってくる舞台まわり。音響面ではどうしても「モニター」を理解してもらえないためか、バランスが悪い。一つの音を上げると全部あがる。「ちょっと下げて」というと全部下がる。うん、男らしい。そういうわけにもいかず、結果諦める。「モニターがないよりはまし」そう考えればいい事だ。それでも、当初4台しかないと言っていたモニターが6台に増えていた。しかもあとから増えたものは明らかに予めあったものよりも高性能。うーん、不思議だ。リハーサルも順調に進み、昼食へ。なんと日本風お弁当。なんだか凄いぞ。今回はアヒル弁当じゃないんだ。でも、少しだけ初参加のメンバーにはアヒル弁当を食べさせたかったけれどね。食後ラジオの取材が入った。福岡の放送局と連携しているという局だった。ライブ終了後も日本の南海放送と連携をしている局のインタビューがあった。今まで知らなかったけれどこうして中国とのコミュニケーションは探すとあるもんだな。とおもった。まだまだ、アンテナが低いなとちょっと反省。取材後まもなく本番を向かえる。 心地よい緊張。だって、会場をのぞくと満員のお客さんが待っている。若い人が多い、大学生だろうか。これからの中国を担う人たちに僕らは日本を伝える事ができるだろうか。僕らの評価は日本の評価にもつながる。そんな大それたことになって今この場に何気なく立つメンバー達。まあ、立派なもんだな。浮き足立っていない。いよいよ開演のベルが鳴る。場内は暗転となる。幕の先には二度目の大連人が待っている。幕があくまでまてない。今すぐこの手で幕を掻き分け「ニーハオ!」といってみようか。それくらい待ち遠しい舞台は始まった。センターから少しづつ幕は開き、隙間からスポットライトが差し込む。そのひかりが僕を照らすまでに10秒とかからなかった。 「みんなこんにちは。僕らは日本からきたGYPSYQUEENです。僕の名前はAKI 大連にまたこれて嬉しいよ!」中国語のMCで会場をあおる。しのんのモノマネでもようやく少しは中国語が通じるようになってきた。ステージそでから、しのんが飛び出す。一曲目は「ラテンおどろ」。このビート感を伝えていきたかった。今回のツアーは今までとイメージが違った。スタイリスト坂崎さんが特別に用意してくれた衣装を身に着けている。前回から一変した派手なカラー。白とオレンジを基調にした衣装はめっちゃ派手、かなりのお気に入りだ。こんな素晴らしい衣装を用意してくれたんだからそれなりに動かないといけない。衣装もはでに、動きも派手に。そう思うと自然に体が動く。馬子にも衣装と言われた。でも、それは正しい。だってその気になっちゃう人もいるもんだ。僕のように。コンサートは時には盛り上がり時にはしっとりと、また、会場のお客さんとのトークも交え、エンターテイメントを意識した構成で進んだ。ただ、技術的にとか、僕らの主張をなんてまったく考えなかった。音楽は精神。だから、たとえそれがステージの上と下であろうと、同じ時間を共有した仲間であることにかわりはない。しかも初対面の外国人同士。だったら、理解する事が一番である。日本語、中国語、有名な曲、オリジナルの曲。いろいろなバリエーションでリハーサルをしたなかで最適と思える布陣で構成した。テーマは「交流」そしてねらいどおり会場とのコミュニケーションは成功した。なにをおいてもこれほど嬉しい事はない。 アドレナリンでまくりの90分間。あっという間にステージは終る。滝のような汗。気持ちいい汗をかくのはどれほどぶりか。バックステージには川本さんが笑ってたっていた。何よりも嬉しいこの笑顔。きっと、心配だったと思う。この大事なイベントに僕らでうまくいくのかと。でも、結果うまくいった。上手くいったい違いない。そうでなきゃ、この笑顔は見れなかったとおもう。誰がいい出すわけでもなく「ありがとうございました」の声が連呼される。僕だってうれしいよ。負けずに「ありがとうございました!」と。いろいろな人と握手を交わす。昨日のライブハウスの歌手もきている。「ハイ!王さん」遠くにいる歌手に向かって呼びかける。俺達は朋友ではないか。握手も堅い。そして、昨年もお世話になったスタッフにもお礼を言う。「あなたは最高だよ」。インタビューや挨拶をしているうちにいつのまにかステージはばらされ会場を出る時間になった。 会場の外に出るとまだ明るい街なみ。なんだか妙に親しみのある街の表情に見えてきた。機材を積み込みバスはホテルへ。そして打ち上げだ。お世話になった領事館の方たちとの会話。本当にありがたいことだ。ここ数ヶ月いろいろ用意を進めてくれて、たった二日で全てが終る。花火のような興行。おとといの初対面は別れがたい朋友となる。今日からこの気持ちの連続となるだろうツアー。いつまでも夜のままでいて欲しい。好評のコメントを沢山もらって名残惜しい席は終る。大連の夜は終った。去年の五月に「また来たいね」と語った大連。コンサートを見てくれた大学生からメールが届いてびっくりした大連。それも今日で終わり。またこれるだろうか。いや、また来よう。そうなるようにがんばろう。夢のときは過ぎさっそく反省会にはいる。浮かれていちゃだめだってことは昨年痛いくらいに感じた。成長できないのは下手な音楽よりタチが悪い。幸い今回全員緊張感に溢れているためか、率先して反省会を行う。意見が飛び交う。入国二日で2ステージ。打ち上げのあとにまじめな意見が飛び出るGQは健全なバンドだとおもう。90分のビデオを見ながらの反省会は深夜まで続く。最高と思った他ステージにもアラはあった。明日の修正を約束して解散。日記も書けずに1:00am就寝。明日は早い。国境を越え、モンゴルの首都、ウランバートルへ飛ぶのだ。 |
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