Hear my song
2002/05/22-2002/05/26 北京


5.北京からの贈り物
5月25日。最終日の朝。多少疲れてきたのか4時に目が覚めてそのあとなかなか寝つけなかった。眠気マンマンなのに。朝もやと排気ガスで
曇る朝の北京市内はさすがに静かだ。周りの景色を見ているとますます眠れない。もったいない。そして、あっという間に7時になってしまった。
8:50にロビーに集合し、北京国際放送に向かう。今日は二本立て。それも長いライブが続く。体力もちょっと減少気味。なーに、本番が始まれば
最高の盛り上がりが待っている。がんばろう!バスは市内を西に走っていった。土曜日の朝だけに道はいつもよりすいている。環状線を抜けて政府
関係者等が多く住むベッドタウンを抜け風景は木々が多く見られるようになってきた。道も悪くなる。そして、およそ30分、予定到着時刻どおり
9:30分、北京国際放送台にたどり着いた。会場につくとすでに王さんを始めスタッフはスタンバイしていた。なれた手つきで機材を搬入する。
段差があるため一度エレベーターで2階に機材をあげ、渡り廊下を回りまた1階に戻る。若干時間はかかりつつも機材を会場に運び込んだ。

会場は局内のスタジオホールで2〜300人入れる会場だ。すでにイスが並べられ、センターはフリースペースになっている。さすが放送局という
こともあり、マイクのセッティングがどんどん進んでいく。また、打ち合わせの結果、一度全て生バンドでやってみようという事になった。
出発前、ドラムは録音で、ということで潤坊とすぎやんが徹夜で仕上げてきたドラムのテイク。せっかくだから使わないともったいないけれど、
それでも生で演奏できるという事はメンバー一同嬉しいし、何よりすぎやんも叩いた気がするとおもう。もちろん、そうであって欲しい。まずは
テストしてみようということでリハーサルが始まる。演奏後、調整室で聞いてみる。なんだ、結構いいじゃないか。もう、すでに分かってきた事だが
中国だからドラムの音が取れないなんて事はない。技術的に劣っていることなんてまったくない。ただ、今までに「やったことがなかった」だけで
やってみさえすれば、そこから「常識」となる。それだけ、エンジニアは素晴らしいし、技術もセンスもある。日本でレコーディングすることと
まったく変わらず、ある意味初めての事をこれだけスムーズにこなすスタッフの能力の高さを感じずにはいられない。それぞれの音のバランスが
上手くいかない部分はプレイ中にコンソールのフェーダーを少し突くだけで、いいバランスになる。どうしてもギターのバランスが弱かったが、
それはコンソール上で全てのフェーダーがバランスよく調整されていたので、アンプ直のライン入力でどうしてもギターが弱くなる。そのへんの
事を説明したらすぐに理解してくれて、ギターのバランスを上げてくれた。こうやって会話をしていけば十分理解してくれる。あたりまえの話だが
こうして会話をして音を作っていく事はとっても大事であり、お互いの勉強にもなり、しいては全体の向上につながる。皆が納得した上での作業を
続けた。なんだかとても生産的な作業であり、初めて会ったスタッフたちともあっという間に打ち解ける事が出来た。全てに渡って交流をする。
そうなんだ、僕たちはただ音楽をやって一方的に伝え、終ったら帰るという事をやりたいのではない。一緒に、日本人と中国人が一緒になって
「物を創り出し」それを一緒に感じたい。友好とはそういう最も底辺にある簡単な事から始まる。そこから「全てが」生み出される。そう思う。

リハも終了し、全体ミーティング。このときにお互いのスタッフ紹介を行った。日本語部のスタッフはみな日本語が完璧で、僕らの緊張感を
ほぐしてくれる。局のスタッフ全員が日本語で挨拶を終える。みんな個性的で、なんでこんな言葉を知っているの、と思うくらい、日本語が堪能だ。
日本人で中国でも有名なDJ田鶏さんは日本でもWEBでよく名前の上がった人だ。製作の姜平さんは気さくな好青年で僕らに気さくに話をしてくれて
とっても嬉しかった。フさんは昨日の呂遠作品コンサートで司会も勤めた人。日本に研修にきていたこともあり、日本語堪能はもちろんだが、それ
以上にとても頭がいい感じのするLADYだ。今回の総元締めの王さんはもう完璧な人。いつも走り回っていて、そのパワフルさには驚かされる。

どんなにあわただしくても、僕らに気遣いを持っていてくれる繊細な人だ。さらに言えば、数時間後の打ち上げでのパワーはさらに強大なもの
で僕らは驚愕させられる事になる。そして多くのスタッフの仲間。一人一人のことを伝えると北京放送の全てが分かる事だろう。今度改めて
僕らの中国の友人達紹介の時にしていきたいと思う。ちなみに皆メールアドレスをもっており、帰国後もメル友になっているという事は言うまで
もない。
うーむ、素晴らしいぞ。そして、ぼくら日本側だ。ここでかっこよく全員中国語で挨拶ができればと思うと、ちょっとあせってしまう。残念だが、
今はまだ無理。でも、そうする事ができればきっともっともっと仲良くなれるとおもう。はやくそうしたい。今回は甘えてしまったが、次はそう
なりたいと心から思った。ランチタイムを終え本番が近づく。オンタイムで楽屋入り。コンタクトが上手くはいらずちょっと目がよく見えない。

ちょっと緊張。思えば、「GYPSY QUEENの単独のコンサートを見るためだけに集まった」コンサートは中国では初めてだ。あとはイベントとして
だったり他のアーチストと一緒のもの。集まってくれるだろうか?そういう心配があったかもしれない。しのんは心配性だ。「だれもこなかったら
どうしよう」そんな事はないよ。でも、そういう僕も不安だ。
そんな不安もあっという間に解消する。楽屋のドアを少し開けて会場を見るとすでに満員になっている。すごいぞ!公開録音にこんなに集まって
くれた!僕たちGYPSY QUEENの演奏を聞くために集まってくれた中国の朋友達。みんな若く高校生、大学生が中心だと思う。


13:30北京放送のリスナーとの集いは始まる。この番組はMUSIC STATIONという番組で土曜日の21時からの音楽番組だ。その番組の中で2日に
渡って今日のリスナーとの集いを放送するという。オンエア予定は6月1日と2日の予定らしい。公開録音は難しい。お客さんとのコミュニケ
ーションで盛り上がりすぎると演奏がどうしても雑になる。それでも、番組ではその時の音だけが放送されるわけで現場のシズル感がない。そう
いう部分にも気を使わないといけないので注意が必要だ。
司会者の呼び込みによって楽屋から飛び出す。お客さんのノリはいい。日本ほど総立ちになって、というコンサート形式はあまりないようだが、
一生懸命に拍手してくれるのでとても嬉しい。司会者の挨拶を終えてマイクはしのんへ。次々に繰り出すしのんの中国語をお客さんたちは暖かい
目で見てくれている。おお!しのんは前回よりめっちゃ話せるようになっているぞ。
言葉ってそういうもんだよ。分かる分からないよりも伝わるか伝わらないか。その基準は正確な発音だけじゃない。相手の気持ちに伝えたいと思う
かどうか、その力の強さだ。今は一生懸命伝えたいと思って話している。演奏している。それを分かってくれているお客さんたちは理解しようと真剣
に聞いてくれている。
僕にも話す機会がやってきた。MCの流れで僕に振られる。「シュオ、シュオ」。そうと言われてもわからない。お客さんは笑顔で「シュオ、シュオ」
といっている。なんなんだ。でも、笑顔だから怒っているわけではないのだろう。しのんにもいわれてハッと気づいた。そうだ、珠海の時に富昭さんに
しのんが言われていた言葉だった!「話せ、話せ」そう、話さないと始まらない。そういっていたのは僕だった。しゃべらなくちゃ!なんだ、僕をためし
ているのか?そうおもうほどにしのんはニコニコしている。いつもと立場は逆転だ。「このぉ!」という気持ちをを押さえて正面を見る。急に静かになって
僕の発する言葉を待っている中国の朋友達。そうして心を決めて話そうとする。口が開いた。会場は更に静かになった。「あうー」言葉だ出てこない。
いろいろ勉強したじゃないか。ほんの一瞬の戸惑いだが、この時間が僕にとってとても長い時間だった。

「我メン唱歌 為了中日友好」(ぼくらは中日友好のために歌っているんだよ)なんとか言えた。伝わっているか?そんな心配は0コンマ1秒の間を
置いて解消した。演奏していた時よりも大きな拍手と歓声!力強い拍手。
ああ、よかった勉強していて!調子にのってもう一言「中国是歴史、美リー的景色」(中国は歴史と美しい景色が)しかしそのあとが続かない、会場
がざわつく「その続きは?」と聴かれているのだろう。しまった〜、我シーファン中国(私は中国がすきです)で締めくくりなんとかその場は収まった。
多分、ぼくの中国語は四声もデタラメで聞き取りにくかっただろう。もし、これが中国語教室の先生だったら「意味がわかりません」と一蹴されてしま
うだろう。でも、それは本当か?とよく思う事がある。言葉なんて結局、正確にわかるかではなく、伝えたい事があるかどうか、そして聞きたいと思うか
どうか。それが一番大事なことではないのか?(といって勉強不足を正当化するわけではないですが)満1歳の子供のように、海外から留学してきた
学生の最初の第一声のようにたよりなくても声を出せばリアクションは帰ってくる。その鏡をみて成長していけばいい。同じ言葉で話すことはなんと
素晴らしい事か。数千キロメートルの異国の朋友と言葉ひとつでコミュニケーションが取れる。言葉は勉強ではない。生活の艶だ。

そうかあたりまえだ、太古の昔より、言葉は成長の糧であり伝承の起源であった。明日から、いや、今から考え方を変えよう。中国語を勉強するの
ではなく中国語になれ親しむというように。もう、これだけで今回の中国ツアーの一つの意義を見出した気がする。

そうしてコンサートは盛り上がりながら進む。朋友を演奏したときはお客さん達の大合唱に支えられた。しのんはついつい涙ぐむ。
おいおい、まだ前半なのに泣かないでよ。

でも、嬉しい。この曲はタイトルどおり友人のための歌。前回の珠海で知った曲でとてもいいメロディだったのでGYPSY QUEENアレンジをして今回
披露したのだが、こんなにも受けるとは思わなかった。嬉しいよね。コンサートは約2時間。途中抽選会や、リスナー参加の歌などで盛り上がり終了。
あーたのしかった!

もっとやりたいよ!みんなそんな気分だったのだろう。終了後はロビーに出ていって交流を楽しんだ。曲の感想を聞いたりサインをしたり、写真
を取ったり。時間があればもっといろいろな事を聞けただろう。お客さんたちはとても流暢な日本語を話す。それでも日本に来たことがある人は
少ないみたいだ。学校で習っているから、という日本語は本当にうまく、片言の中国語しかできない自分に反省。王さんが呼びに来てくれてその
場を離れるとすぐに打ち上げの会場へ向かう事になった。なにぶんもっともっとゆっくりしたいが今日はもう一本本番がある。リハーサルの事も
考えると17時過ぎにはここを出なければいけない。名残惜しい。

16:30別室で打ち上げとなった。簡単なものと思っていた僕らだったが、勢ぞろいしたスタッフの人たちと北京ダッグをみてビックリ。本当
僕らのためにここまで盛り上がってくれて感謝の言葉しかない。富さん部長や国清部長の挨拶に始まり王さんをを始めスタッフたちと会話を交わ
す。「真空飲み」も披露し(コップ酒を瞬間に飲み干すという国際級の芸である)とにかく盛り上がる。一体感。ああ、もっとここにいたいよ!
それでも時間は過ぎていく。北京放送からは出演のお礼のタテを頂いた。宝物だ。僕らの中日友好の証なのだから。
張さんが「間に合わないよ」と呼びに来る。みんなで写真をとってお別れ。また会いたい。僕らが頑張りさえすればまた会える。
本当に心からの再会を約束して、バスに乗り込む。スタッフみんなで見送ってくれた。謝謝!後ろ髪引かれるおもいでハスは市内に向かう。

ちょっと目を閉じたら寝ていた。酔いが覚めてきて頭が痛い。うん、まずい。このあとのステージまでには回復しないと。バスがホテルに着き、
三里屯への用意をする。徐軍さんの計らいによって入り時間はぎりぎりまで遅らせてもらえたのだ。
ちょっとした時間の間に買い物に出るすぎやん。僕らは結局呂遠さんと連絡が取れずに、人民大講堂のレセプションには参加しなかった。
体力的にもう精一杯だったのと、残り少ない体力はライブに傾けたかった。そして、出発。途中夕食をとり会場に向かう。
食欲もいまいち。でも、ステージは待ってくれない。今日で終る北京ツアー。倒れるまでがんばろう。終ったらタップリ寝ればいいのさ。
今日だけは無理の連続でも心地よい。

そして、大混雑の三里屯に到着。歩く隙間もないほどに超満員のライブハウスBOY&GIRL。3〜400人ははいっているのだろう。入り口で昨
年POWER HOUSEでお世話になったゴンミンさんに出会う。彼も僕等のことを覚えていた。「また来たねー!」という顔で迎えてくれたのが
嬉しかった。また、競演したいと思える人が中国にいるってとてもうれしいことだとおもう。ここは昔、渋谷のライブインというライブハウスを
知っている人はそのイメージを持つといい。細長いホールがすべてステージに向かって並んでいる。大学の講堂のような感じだ。丁度、サッカーの
試合をやっていた。中国とどこかの国だったが、とにかく応援が熱い。ここで中国が勝ってくれればライブも盛りあがるもんだ。頑張れ中国!でも
、その試合は負けてしまった。徐軍さんが言う。「今、中国が負けてしまったのでスタートを遅らせましょう。お客さん落ち込んでいるからすぐに
やると盛りあがらないよ。」うーむ、すごい。感情がストレートなだけにそういう選択もあるんだな、と再確認。そして、22:20ライブは始ま
る。「中国サッカーチームがんばれー」しのんの中国語でスタートしたライブはとても盛りあがった。

こういったステージはお手のもののGQメンバーはとばしていく!満員のお客さんと照明でとても暑い。あせだらだらのステージ。そんなステージ
もあっという間。10曲なんてほんの一瞬だった。途中ウエイターズのともちゃん「さくら」を演奏する。この曲はもともとバラードだが、GQ版
ということで申し訳ないながらもちょっとポップロックアレンジをさせてもらった。本人が気に入っているかどうかは分からないがGQのステージ
ではその温度感が大事。なので、違和感ないように、ステージになじむようにぼくらのサウンドにのせた。途中ブレイクの部分ではソロになって、
中国語の歌詞を歌う。お客さんの反応を見てまたリズムに戻るのだが、そのへんのタイミング、呼吸がドンピシャ!さすが、ともちゃん。一曲でお
客を魅了してしまうなんて大したものだ。最後に「中日の友好のしるしとして」「花心」を歌う。これもお客さんが一緒に合唱してくれた。ステー
ジ上でもお客さんの歌う声は聞こえてくる。とっても嬉しい。こうしてここで会わなければ一生会わないであろう人たちと同じ歌を歌える。そ
の感動は言葉でも文章でも言い表せられないほど「トリハダ」ものなのだ。今日はめっちゃくちゃ疲れている。それでもアドレナリンの出まく
っている僕等はきっと目をギラギラさせながらプレイしているのだろう。不思議なことではないか、中国のライブハウスで日本語と中国語を歌う日
本人バンドに声援を送る中国人客達。普通はその反対。また、大きく考えて、全くの逆。日本でこの反対のことをやって盛りあがれるか?まだ、そ
ういった事はすぐにはできないだろうでも、いつか僕等がその橋渡し役として中国のアーチストと日本で競演したい。プロモートならお手のものだ
。そうして、そのとき中国からきたアーチストは言うだろう。「あなた達に感謝しています。なんでこんなに僕等の事を応援してくれるのですか」
と。「それは以前僕等があなた達の朋友にしてもらった同じ事をしたに過ぎないよ」そう答えるだろう。きっと彼らは日本人が好きになるだろう。
僕等が今、そう思っているように。これは輪廻。巡り巡る友好のリング。全ての人々に行き渡るように、全ての人々に知り渡るようにこの世界の全
てがこの輪廻で溢れるように今はこの北京にお世話になろう。
最後のステージを終えた。「やったね!」皆満足だ。「もう一本やりましょうよ!」潤坊はまだまだやる気だ。「ビール、ビール」すぎやんはすで
に飲む気マンマンでスタンバイ。しのんはCDを売っている。いやー短いツアーだったよ。あっという間に駆け抜けた3日間。お疲れ様。

CDを売っているといろいろな出会いがあった。なにしろ一枚10元でCDが売られる世の中で80元で売ろうとしている僕等。強気なのか、売る
気がないのか分からないほどの価格。でも、日本で作っている以上これ以上安くはできないのも苦しい。いまですら赤字なのだ。一枚売っても700
円くらいの赤字。それでも売れれば売れるほど嬉しい。普段じゃ、頭のおかしいやつと思われかねない。いいんだ、どうでも。お金じゃない。僕等
の音楽を聞いてそして、僕等のCDを超高額でも買ってくれる中国の朋友。太謝謝だ!しのんが「日本人は嫌いだよ」と言われた。といってべそを
かいていた。うーむ、難しい。でも、気にするのはよそう。だって人はそれぞれ。好き嫌いだってある。難しさは承知でそれを乗り越えて僕等は手
をつなごうとしている。まずはそれが一番大切だからそのためにできる事を一つ一つ進めていきたいだけなんだ。

打ち上げムードで飲んでいるとこの北京に滞在している留学生の日本人の仲間たちとであった。渡航前にWEBで会話した人達と、北京で会えるな
んて嬉しい。もう、日本人とか中国人なんていう事はぜんぜん気にならないぼくだがそれでも日本人から声をかけられると嬉しい。とかく日本人が
海外で出会う日本人を疎ましく思うきらいがある。それってとっても変だとおもう。そして、日本人批判をする。それもヘンだ。どうあがいても
僕等は日本人。それでいいと思う。日本人が嫌いなんじゃなくて、人それぞれの考え方や性格が嫌いなのである。であれば解決すればいいし、ま
して、異国で会ったからってヘンな雰囲気になるのはおかしい。ま、確かに異国観光と思えば、分からないでもないが。だからこそ、北京でやっ
ている日本人バンドの僕等の応援に来てくれた日本人の仲間には感激した。「また来るよ、そのときは飲もうよ!」日本から3時間、ここ北京でも
日本の仲間ができたことはなんだか嬉しかった。そのあともこのアメージングな街に不可思議なことは連続した。東洋の魔術のように僕等の抱いて
いた希望の糸口が見つかり始める。「人々は皆つながっている」というテーマで音楽を続けている僕等にとってもっとも重要かつ理想的な夜であっ
た。また、すぐ後ろのテーブルに座っていた人が何やら中日友好協会の偉い人の関係の人という事で僕等の考えをとてもよく思ってくれて、さっそ
く連絡をしてくれていた。うーん、なーんてすばらしい!乾杯も満杯になり、そろそろホテルへとおもった頃この街は最後のデザートを用意してく
れた。「南ドンさんと言う人から電話がきているよ」徐軍さんの携帯電話からは南京の朋友南ドンさんからであった。今回、CCTVの収録に偶然
南京からこの北京にきていたのだ。なんだよ、南ドンさんってタレントじゃん。いやいや、そういう彼は日本語の先生であったりするのだ。その彼
が北京のCCTVでお芝居をやる。それは驚きだ。ものすごくいい声をしているからそういう所が買われたのだろう。凄い!それよりも何よりも凄
いのはここ北京で南京の南ドンさんと会えることじゃないか!南ドンさんはすでに三里屯へ向かっているという事だった。なので、僕等のホテル近
辺にきてもらうことにして、ぼくらもホテルに向かった。バイバイ三里屯!バイバイBOY&GIRL!
徐軍さんと別れ僕等はホテルへ向かう。北京最後の不思議の杯を交わすために。

0:46ホテルのロビーで懐かしい姿を発見「好久不見(ひさしぶり)」南ドンさんとの再会を果たした。すっかりCCTVの収録で疲れていた彼
は、ここからタクシーで50分くらいのところのCCTVの招待所に泊まっていると言う。わざわざ来てくれて本当に申し訳ない。さっそく街に繰り
出すが、流石に店がやっていない。ようやく初日に入った店を見つけた。「乾杯!」3ヶ月前の友人は老朋友となり、今、僕等の横にいる。懐かし
い話に花が咲き、飲みすぎてとうとうダウンしたすぎやん達を先に見送り、最後の宴を終える。気づくと時計の針は2:30を回っている。これか
らホテルに帰って明日の準備をして、5時にロビー集合で。気の遠くなるような現実を考えつつ、名残惜しくも南ドンと分かれる。「また、会いま
しょう!次は南京で」そう言って握手を交わし分かれる。うーん、南ドンさんって話していると何か落ち着けるんだよな。再見!南京の老朋友!そ
して晩安(おやすみ)

5月26日 早朝4時 ちょっと前にベッドにはいり寝れたのかどうか分からないまま朝を迎える。久しぶりの二日酔いと眠気でもうフラフラだ。
それでも、何とかすぎやんを起こし、荷物を片付けロビーに向かう。ロビーには一睡もしていないしのんが一番で待っていた。だらだらしながらバス
に乗り込み空港へ。ようやく目がさえてきた。もうかえってしまうんだもの、せめて最後の景色は見ておかないとね。きたときと同じ風景。朝の静
かな町並みにバスは爆走する。ああ、まだ帰りたくない。みんなそう思っているのだろう。でも、無情にもバスは予定よりチョット早く空港へ到着。
個人の荷物チェックも今回は怠らなかった。ちゃんとチェックインできたね。機材も無事通関した。こんなにゆっくりとしたのは珍しい。徐軍さん
ともここでお別れだ。今回は本当に準備から当日までお世話になった。いつでも笑顔で対応してくれている彼のおかげでどれだけ助かっただろうか。
音楽はバンドメンバーだけでは到底できない。機材から手配まで。そして、その根底にあるのは信頼感。徐軍さんに絶対の信頼を置けるから安心し
て音楽に専念できる。最高殊勲選手の一人である。空港の異常に高いスプライトを飲み、価格感覚を日本に戻す。そして、空路日本へ。

今回は沢山のものをもらった。北京放送から、三里屯から、呂遠さんから、そして北京にいる大勢の素晴らしい仲間達から。

みんなさよなら!3度目の中国、2度目の北京、初めての交流!









 
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