Hear my song
2002/05/22-2002/05/26 北京


4.Thank you for the Music
5月24日 朝7:00起床。昨日夜に「すぎやんエアコンとめといて」といって寝たらすぎやんは止め方がわからなかったのか、なんと
室温10度に設定して寝てしまったらしい。朝の冷凍室。しかし、窓の外は熱気むんむん。快晴、気温はすでに三十度を超える勢い。
中国語の天気予報もなれてきた。今日は31度までになるらしい。まだ五月ですよ。

8:00に朝食をとり9:00にロビーに集合。集合の最後はまちゃの指定席。だいたい10分は遅れる。「これからはまちゃに10分
早く集合時間を伝えよう」しのんと密談。でも、まちゃはそれをよこでニコニコと聞いていた。作戦失敗。

北京市の東南に位置するホテルから真南の天僑劇場に向かい、およそ40分程で到着。さあ、いよいよ本番の日だ。今回のメインイベン
トの日がやってきたのだ。会場につくと大勢の小学生たちが並んでいる。まさか、このコンサートにきたのではあるまい。でも、何があ
るか分からない国だからそれもありうる。どきどきしつつ、小学生たちを掻き分け楽屋口に到達。すんなりと入館でき、控え室に向かう。
控え室は昨年の保利劇院同様豪華なものだった。トイレまで完備している楽屋。こういう所は日本となんらかわりない。むしろ豪華だと
思う。自動販売機で3元のコーラを買う。「クー」のペットボトルも4元で売っている。「クー」ってインターナショナルなんだなぁ。

会場に来てパンフレットをもらった。パンフレットには僕らのCD「Border」からしのんの部分のみ切り取った写真で紹介されていた。
GYPSY QUEENって文字なんてどこにも出ていない。うーむ、なんてこった。まあ、それでもここにきてようやくコンサートの
概要が分かった。とりあえず一安心。今回は日本と中国の歌手15組による公演だった。もちろんそういうことも今分かったばかりだ。

それにしてもしっかりしたパンフレットだ。そうか、こんなにきっちりできているならなんで教えてくれなかったの。と思いつつ、まあ、
毎度のことだからとあまり腹も立てずに説明を待つ。10時過ぎ、ちなみに集合時間は9:30だが、ようやく説明が始まる。呂遠さん
は流暢な日本語で説明してくれる。不思議な感覚だ。そして、まもなくリハーサルが始まる。その間にも次々と変わる。僕等の出番も、
当初4番手だったが、第2部の冒頭、10番目に変更になった。僕等としては好都合だった。11番目には喜納昌吉さんが控えている。
喜納さんの前座の気持ちで頑張ろうと思った。そして、11時、僕らがお世話になっている中国人歌手「程波」さんが登場。なんでも
昨日まで南京で公演をしていたという。全く程さんも忙しい人だと思う。

リハーサルも近づき、僕らの順番になるときに曲の変更を聞かされた。首をひねりたくなる。僕等にとってオリジナルの「月色 陽光」を
演奏するのが主たる目的であったが、時間の関係でカットされてしまったのだ。当初3曲といっていたものが1曲。それはないよ、と
思ったが、それは程さんも同じだった。なんとかなりませんか!交渉はしてみるが答えは変わらない。

さらに根本的な話として「あなたたちの「月色 陽光」をやることは聞いていなかったよ」といわれてしまった。そんなはずはない!
話を戻してみればもともと万里の長城で「月色 陽光」を演奏すべく僕等は歌詞を書換え、準備を進めてきた。。。それが前提。。。。。
でも、それは「呂遠」さんと直接の会話ではなかった。確かに今回の公演の話がスタートした時点ではそうだったかもしれない、しかし
、イベントが万里の長城から今回の30周年記念の呂遠作品コンサートとなった時点で改めて選曲の事をきっちり話してはいなかった。
それを怠っていた。中国に電話をかけるという手間を惜しんだのかもしれない。また、ごく普通の日本的に「場所が変わっただけなら、
内容もいっしょだろう、もし違うなら連絡をくれるはずだろう」という「だろう」論でここまで来てしまったのだ。そんなことはこの国
で通じないことなんて痛いほど分かっていたじゃないか。情けない。さっそくやってしまった。メンバーは選曲について交渉はしていない
、するのは僕だけだ。その僕が「天僑でやる曲はこの曲でいいんですね」と日本にいた時点で聞いていたら状況も変わっていたかも知れ
ない。それでは話になっていない。気分は最悪だ。もちろん、呂遠さんの楽曲を演奏することはプログラムの一つであり、問題はない。

しかし、GYPSY QUEENとしてのカラーを見せることができなければ、忙しい中、本当にスケジュールをぎりぎりまで調整して参加
したメンバーに申し訳ないよ。一曲演奏していくらのフェイスの見えないバックバンドじゃないんだ。GYPSY QUEENは5人いて
初めてGYPSY QUEEN。その5人で出す音にオリジナリティが無ければきた意味が半減してしまうのではないか。そう思った。
とりあえず、メンバーにも直接意見を聞くことにした。どういう答えが出るかは分からない。最悪、メンバーが納得しなければこのまま
帰ってもいい。それで、気持ちが吹っ切れるならそっちを選ぶ。全員を控え室に集め、もろもろの説明をした。

結果、答えは「とにかくやろう!」だった。メンバーも大人になってきた。「ここまできたらやるだけやってあとの評価はお客さんに
まかせましょう」「何の為にやるかって事を考えればこのステージもこなさないと次が見えない」そういうメンバーの意見はバンドの
意見だった。よし、であれば切り替えて頑張ろう。曲自体は「我らの生活に太陽の光を」という古い曲だけれど、GYPSY QUEEN
が演奏すればこうなる、という事をお客さん達に知ってもらおうではないか。
「イントロは倍にしてさー」「サビの部分やエンディングはためて、ドラムのフィルをいれて。。」急遽アレンジを変え始めた。そう、
最大限に力を発揮するにはぎりぎりまで頭を使って考えよう。それを見て評価するのは北京の人達なのだ。俄然燃え出すGQな人たち。
3回も中国ツアーに出るとたくましくなるもんだ。と他人事のように思えた。嬉しい誤算。

そんな中ようやくドラムセットが届く。徐軍さんは今朝になって急遽借り先を変更してセットを手配してくれたのだ。
リハ前ぎりぎりの調整。間に合ってよかった。そして、またもや徐軍さんには大きくお世話になってしまった。楽器のケアはどうしても
毎回依存してしまう。仕方がないことだがちょっと胸につかえるものがある。本当にありがたいし感謝したい。

リハーサルが始まるとやや殺気立っていた僕らに程さんはいろいろ気遣ってくれた。「楽器は台の上に置いたほうが目立つよ」「もっと
前に出ても平気よ」曲数が減って落ち込んでいると思ってくれたのだろう。余計な気を遣わせてしまって申し訳ない気持ちだ。

リハは特に問題なく終わった。モニターが聞こえない。ステージ上で音が回るなどはもう慣れっこだ。ギターがまったく聞こえない。ギター
側に回りこむとベースはかすかに聞こえている程度。ドラムのリズムが全ての判断基準という感じだ。まあ、一応前面に音が出ている。ボー
カルも聞こえていれば何とかなるだろう。環境はよくないが、どんな環境であっても文句を言ったからといって変わるわけではない。ただ、
あるものの中で最大限やるしかないのだ。ま、こんな感じだよ。文句の出なくなったメンバーには余裕が見えてきた。

控え室で何をするわけでもなく過ごし、いよいよ本番も近づいてくる。ファンキーさんから電話をもらう。「今日何曲やるの?」「一曲に
なっちゃったんですよ」「そうか、こっちのプロダクションの友達と行こうとおもってたんだけどね、どうしようかな」「一曲だけなので
申し訳ないので明日の夜の三里屯にきませんか」場所も遠いこの会場に一曲だけ見てもらうのはいたたまれなくなり、そう答えた。それでも
電話をもらって嬉しかった。昨日会ったばかりなのにちゃんと覚えてくれて連絡をくれるなんてなんていい人なんだ。きっと、そういう人
だから、こうして多種多様異環境混在のこの北京でやっていけるのだと思った。余裕がないと生きていけない町。かっこいい。そんな余裕を
もって生きれるようになりたい。
いろいろな友人達が控え室にきてくれた。去年は僕らだけだった公演前。でも、今年は沢山の朋友達と接する事が出来た。まるで日本でライブ
をやるように出演前の忙しさだ。よし、がんばるぞ!

そして、本番が始まった。あっという間に出番は迫る。音楽を通じて日中の歌手達がつぎつぎと歌い上げる。音楽は素晴らしい。日本人でも
中国人でも分け隔てなく大きな拍手が湧き上がる。凄い凄い!だんだん雰囲気に飲まれてきた。第一部がおわり第二部。出番の時にはもう
気持ちは友好のために一色になっていた。当然リハーサルより力も気持ちも入る。急なアレンジ変更も問題ない。日本よりちょっとだけ派手な
アクションで演奏する。遠くでしのんが唄っている。見上げれば三階席まで満員のお客さん。ここからの眺めは最高だ。

あっという間に演奏はおわった。大きな拍手。中国語で応えるしのん。この曲は30年も前の曲で僕らのアレンジはメロディを残す以外
まったく異なったアレンジとなっている。このアレンジをお客さんたちは受け入れてくれるだろうか?心配であったがそれが僕らの音で
あればそれを表現するしかない。理解してくれれば嬉しいと思っていた。良かった。楽屋に戻り喜納さんのステージを見に行く。「花」を
演奏する喜納さんはまさに神がかり的であった。歌にあわせて動かす手先からオーラがでている。歌心とはこういうことだろう。ファンと
いうほどよくは知らなかったが一気に引き込まれてしまった。それが才能であり音楽なんだな。奥が深いぞ。と思った瞬間。

フィナーレも終わり毎度のようにアンプを片付ける。その時気づいたのだが、僕らの使っているアンプはまさに昨年「相約北京」のツアーで利用
したアンプと同じだった!!うーん、凄い!だって、空港でぶつけてしまった傷が同じところにあるんだから!これはまさに一年前の旅仲間
だった。なんだか感動してしまった。この広い中国の中で同じ機材と出会うなんて。片付ける手も妙に丁寧になる。

呂遠さんにお礼を言いに行ったが、もう、もみくちゃになっていてあまり話が出来なかった。ひょんな事から参加する事になり、また、例に
よって情報不足、そして今日の曲数変更とめまぐるしく変わる環境。それでも不思議と嫌にならない。目的は「音楽を伝える事」だからだろう。
だから、音楽は止められないのだろう。様々な感情も全て飲み込んでしまう音楽に感謝だ。呂遠さんの楽曲も素晴らしかった、これを機会に
また、この曲を演じるときもあるのだろう。その時はもっといろいろ実験してみたい。メロディに対してGYPSY QUEENという表現者はどう
伝えていくことができるのだろう。それが醍醐味。Thank you for the music.

会場を後にし、ホテルに戻る。ふー今日も長かった。時間は22:50分。それでも今日の予定は終わらなかった。これから三里屯のBOY&GIRL
に向かって明日の打ち合わせなのだ。とりあえず汗だらけの衣装と楽器を部屋に置き、ホテルを出発。およそ30分後の22:30若者で
溢れる三里屯についた。タクシーでも26元程度。恐ろしく込んでいたがそうでなければかなり安く移動ができるだろう。二重三重に車が折り
重なり、どうにもならないような状況の中、交差点でタクシーをおり会場に入った。ライブ街のど真ん中のこの店。なんだか、かっこいい。

ステージの壁にはWORLD CUPの装飾が前面に広がっている。機材も充分だ。「完璧っすよ」まちゃも満足顔だ。よし、これなら問題ないぞ。
メンバーも納得し、いい気分でオーナーの小東さんとPAの小満さんと打ち合わせ。かなり若いこの経営者はきれものだ。僕らのオーダーを全て
理解してくれた。メンバーもさらに盛り上がり打ち合わせ後には今日の打ち上げも兼ねてライブハウスの外のテーブルで祝杯。今日はおつかれ
さん&明日も頑張ろう!乾杯もほどほどに、雑談と、道行く北京人ウオッチングにて夜は更け行く。ホテルに戻れば2:00。

明日は最終日。
しかも2本のライブ。はやく寝よう。
明日も重要な本番が控えている。




北京の街中



 
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