News / Blog / Tour Report

Home

Mekong tour 3

2009/02/08
6:00起床、7:00朝食。この時間の外は気持ちいい。ただ、ちょっと油断するとものすごい日焼けとなりそうな強い日差しだ。7:50早々とホテルを出発。今日はコーン島に向かう。どこに行きたい?と聞かれてすかさず「コーン島!」と。いろいろアーチスト写真をとるのにもこの環境はよいとおもった。

昨日の機材のことが気になるので朝集合してから何度も何度も「アンプの手配は?」を繰り返す。日本であれば一度言えば分かるし、あまり何度も同じ事を言うのは失礼になる。ただ、実際には何度も何度も、本当に何度も言わないと動いてくれなかったりする。だから、気の弱い日本人的には非常にやりずらい仕事になってしまうし、それが理由で仕事を積極的にしたくないと思う人もいるだろう。

でも、それではだめなのだ。目的は一つ。いい演奏をお客さんに披露すること。そのために必要なものは何が何でも獲得すること。それ一点に集中して交渉を続けなければいけない。そして、それでもどうにもならなかったときには次の策を考えればいい。こうでなければダメだ、なんてことは何一つない。だから少しでも条件を良くするために交渉は常に必須だ。

?

そんな僕らをよそにスタッフは楽しそうにコーン島の話をしてくれる。シビアな交渉だからって暗くなることは無いし、行動を制限することはない。僕らに必要なことは最大限に楽しみ、そして常時チェックを入れることだ。ホテルを出て数分で渡しボート乗り場に。さすがにWat Phu Festival。もうこの時間から多くの車が川を渡ってくる。凄いな。絶景だな。もう、なんとなく普通になったこの渡しボートに乗りながら時間を過ごす。

Mekongをわたる

Mekongをわたる

よく見ると川の流れは案外速い。飛び込んだらどうなるだろう。気持ちよさそうだな。暑い日ざしよりも冷たい風のほうが勝っている。そして、メコンを渡り国道13号線にでる。南に数十分走り、再び右折してメコンに到着。この反対側がコーン島だ。

この辺はシーバンドンという小さな島が点在するメコンの要所。この先にはコンバペンの滝があり、昔、フランスの船がどうしてもこの滝を越えられずに結果的にはメコンのそれより上流への進出を防いだ天然の要塞だ。小ぶりな船着場からまた渡しボートに乗り上陸。のどかな香り佇む。っていうか誰もいない。途中木からできる砂糖を食べさせてもらったりしてなんとなく観光気分。僕はちょっと危険なので食べなかったがmasaoはあたりまえのように食べていた。さすがだ。

のんきに砂糖の木に登る

のんきに砂糖の木に登る

そして、島の反対側に出るとまたメコン川に突き当たる。まあ、島なんだから当然だよね。一番大きな島といってもこんなもんらしい。その川との出合いの所にある小さな町がまるでセットみたいな所だったので写真をいくつか撮った。11:30もう40-50回くらい言いつづけてインターネットカフェの前につけてくれた。きっと、何も言わなければ絶対に来れなかったね。粘り勝ちだ。そこから昨日のフェスの画像をビエンチャンタイムスに送る。メールも久しぶりにチェック。

コーン島にて

コーン島にて

いつでもどこでも電話やメールができる環境から全然使えない環境にくると本当に不便を感じる。でも、ほんのちょっと前はあたりまえだったんだけれどね。昼はコーン島のシーバンドン側のオープンレストラン。これはおしゃれだ。眺めがものすごい。こんなところでランチだとはね。ここには贅沢なものは何一つない。それでもこの絶景、きれいな風、目に飛び込むカラフルな装飾やテーブルクロスは僕らを極上のリゾートに連れて行ってくれる。そして、冷えたビアラオ。最高だね。

Pon's Restaurant

Pon's Restaurant

そして、食事中再度機材について確認した。「手配できますか?」昨日から言っていることだから進捗状況を聞きたい。しかし彼は言う「なくても何とかならないか?」。いや、そういうことではない。手配してくれとお願いしているのだ。あるかないかの確認をしてくれとおねがいしているのだ。できる出来ないはその後の問題だ。「できません、アンプなんかどこにでもあるでしょう?なぜ探していないの?」少しいらつく。

不思議でしょうがない。返事がないまま時間が過ぎる。対策を打つ手が狭まる。時計をみて準備できる可能性を逆算する。パクセーからなら3時間。もうデッドラインは近い。チャンパサックなら1時間。まだ間に合う。かなり強く言ったせいか、再度いろいろ電話をかけてくれた。食後ホテルに戻る途中、大使からも連絡が入り、現状を聞いてきてくれた。Shinonが事実をそのまま言うと非常に気にして頂いて早速、関係各方面に指示が飛んでいるようでなんだかあわただしい感じになってきた。日本からいろいろ指示を出してくれるなんて本当にありがたい。だからこそ、成果につなげなければという思いで一杯だ。

?

16:30ホテルについたときブンラップは笑顔で言う「グッドニュースだよ、機材は手配できる」。やったね。彼の笑顔が物語っていた。パクセーから文化局の局長も来るそうだ。どういう手配かはわからないがアンプを用意できたというので一安心だった。「一応見てきますね」。安心しきった僕にmacha言った。まあ、大丈夫と思うのだが、念には念をいれよう。そのまま役人とmacha、sakaiの3人は会場に、僕らはホテルで待機となった。セットリストを最終的に確認する。ロックのセットでいけることになったのでその確認。

システム担当はなんとmasao

システム担当はなんとmasao

18:00.再集合の前にmachaから連絡が入る「アンプありませんでした。。。」「ん??どういうこと!」「アンプではなくて大きなモニターがあるだけで。。。」愕然とした。モニターじゃないでしょう。とはいえ仕方がない。もう、タイムリミットは過ぎた。結局、このままアンプなしでモニターの音を頼りにラインで演奏をすることに。

それによってセットリストを大幅に見直す。今回は、このWat Phuのために新しくrockの曲を複数仕込んでいた。昨年と変わらないものでは申し訳ない。新しいアプローチも考えていた。残念ながらそれは出来ないことになったが、とにかくできる限りのことはやろうということで1時間弱のステージに変更。今日何度か目のセットリスト変更を行う。

局長は行きの「俺に任せておけ」状態からかなり節目がちな感じに変わっていた。まあ、仕方がないよ。みんな頑張ってくれた。あとは僕らのできる限りのことをやろう。アンプなんかなくても何とかなる。自分の音をしっかり出せばいい。4人が音を合わせればモニターなんて無くてできる。あればあったほうがいいが無いものねだりをしていても仕方がない。メンバーは頭を切り替える。

過酷なステージになることはわかっているのでみな真剣だ。会場につくとお客さんも結構集まっていた。そこに岩月さん登場。今回は北部の調査に出ているとの事であえないと思っていたのでびっくり。再会の神様は存在するのだ。本番前なので余り話せず後ほどと約束。それにしても懐かしい。僕らの前にはラオダンサーがステージで踊っていた。あの足場の悪いところでよく裸足で踊るものだなと感心。ステージ脇にバンをつけてもらい、そこからステージへ。若干のサウンドチェックの時間をもらい20:30スタートする。

Wat Phu 二日目

Wat Phu 二日目

昨日は完全にアコースティックモードだったので今日はライブアレンジをした曲を中心にやる。反応はやはりよく、特にたてのりの曲のほうがより反応が良かった。きっとラオスを良く知らずに「ラオスの音楽」といえば伝統的なものと思うだろう。それは間違いではない。でも、若者はいつでも楽しいものを求めている。ランボンを踊るのもラオスならばランボンには反応せずにROCKに反応する若者もいる。どちらもラオスではあるが、今日はこれからのラオスを担う若い人にフォーカスして曲を伝えたい。ステージ自体は昨年と比べるとかなり小規模ではあるが、チャンパサックの人たちは僕らを待っていてくれた。それで充分だ。

?

コイマックラオ

コイマックラオ

このステージのメインの曲、満月の月に照らされて「Dan Hang It sa La」をやる。幻想的な曲に月明かりが映える。Shinonのマンジーラの音がWat Phuに響き渡る。いい曲だ。後半は英語の曲を織り交ぜプレイ。比較的消極的なラオス人だがそこに混じって欧米人が踊り始めた。音楽を楽しむことに長けている彼ら。そして、それを珍しそうにみているラオス人。これも文化交流だろう。いつしかみんなの体が動いてきているのがわかる。

KOB JAI

KOB JAI

途中ステージの穴にはまりそうになりながら約1時間。パーフェクトなセットは出来なかったが、充分に楽しんでもらえただろうと思う。ステージのそでにいた民族衣装を着た子供達はずっと手を振ってくれていた。嬉しそうだった。その笑顔が僕らに向ける最高の「good Job!」だった。

終了後、帰ろうとすると「政府の人がご馳走したいので」と止められる。もう埃と汗まみれで一刻も早く帰りたかったが、せっかくのお誘い。断れるわけも無く埃うずまく会場内をバスで移動し、簡易食堂に通される。おかゆがおいしいので是非振舞いたい、と言われて全員でご馳走になる。意外においしくて完食。

?

無事終了

無事終了

うむ、ぼくら鍛えられているぞ。22:30.ホテルに戻り打上げ。Shinon、viviちゃんと相次いで体調不良の為に欠席。なんとなく寂しい感じだ。モンティアンも機材が無かったから怒っているのでは?とおもっているのだろう。なんだかめっちゃ対応が良い。「二人はどう?」と心配している。

残ったメンバーでいろいろな話をして静かに盛り上がる。嬉しかったのは誰も「戦後の愚痴こぼし」が無いことだ。与えられた環境で全力を尽くすのが僕らの仕事。終わった後どんな形にしても文句を聞いても楽しいことは無いし、変るべくもない。だから、この経験を生かし、次につなげること。この劣悪な環境の中でどれだけのことができるかという可能性を広げること。それが重要なのだ。

そして、それを自分の意志で理解している7人が集まったからできたステージあることを忘れてはならない。みんなに感謝だ。もちろん、手配できなかったにしろ全力で動いてくれた現地スタッフにも感謝だ。夕方「グッドニュースだよ」と満面の笑みでバンから降りてきたブンラップの顔にうそや偽りは無かった。それで充分だ。

僕らは一緒に成長していけばいい。今日のステージも決して悪くなかったのだから、次に向かってスタートをすることを覚えていればすべてOKだ。1:30部屋へ。まだまだ、表通りにはWat Phuからの帰宅の車とバイク。そしてよっぱらいの声が聞こえる。

とことん飲みたいところだが明日も早いので2:30就寝。明日はいよいよサバナケットだ。

«      |     »

ページトップに戻る

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Search

Recent Comments

Archives