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Bor Luem Vientiane 4

ステージサイドにはなにやらVIPゾーン的な雰囲気でアルーナ、カイ、ターが待っていた。あとモデルのような人たちもいてゴージャスな雰囲気だ。「おそくなってごめん」というと「ボーペニャン」で返ってくる。ターはとても紳士でいつも知的。日本が大好きで2009年の時からアルーナが「彼を日本へ」といっていた。そういえばこのころからすでにアルーナはラオスのアーティストの中では姉御だったんだよね。

 

すぐに僕らの出番となった。今回はかなり苦しんでのラオス語曲のアレンジをした。サオシェンクアンという曲でラオスフェスの時にラオスの歌手たちが歌っていた曲だ。ラオスの曲は歌いまわしに合わせてコードがつくのでAメロ、Bメロ、サビというような簡単なながれではない。また、小節数もばらばらだ。ということで全部覚えるしかない。そして、当然みな全部覚えるわけはないので、適当に体に染みついたビート感で演奏する。したがってラオス人は比較的容易にこの難解な構成をやってのける。しかし、そのビート感がない日本人にとっては「覚えて演奏する」しかないのだ。即席で覚えて演奏してもラオス人ミュージシャンのそれにはかなわない。だから僕らは僕らの流儀で曲を演るのだ。メロディと全体構成は壊せないのでコードワークやリフを作りかえる。そして一番重要なのはリズム。大体ラオスの曲は踊れるようにビートを作っているので、そのビートを壊さず違うビートに入れ替えるのが難儀なのである。そして、その難儀なことを丁寧にやりきると本物の「ラオスの曲をGYPSYQUEENの曲」にできる。

それができない時は「日本人がなんか変な演奏をしている曲」になってしまう。自分もその経験があった。昔、良くビートルズのトリビュートバンドを見に行った時期があった。それなりの著名アーティストが演奏するビートルズ。しかし、そのアレンジが限りなく「残念」だった。元歌の素晴らしさを消してしまうアレンジ。それは最悪だった。もちろん、「こうくるか」というものすごいアレンジの曲もあった。そんな時に曲は違う形で生まれ変わり、演奏した人のある意味オリジナリティのあるサウンドになって蘇ってくるのだ。ものすごく感動した覚えがある。ビートルズの曲をカバーした北欧のアーティストはその部類だと思う。古くて新しい。そういうアレンジにあこがれた。日本ではビートルズのカバーバンドがたくさんある。大抵がっかりして帰ってくる。本物を超えるものはないんだなといつも思わさせられる。だからこそオリジナリティは大切で、バンドのフィルターを通して過去の曲を世に出すには自分たちのオリジナリティを発揮できなければいけないと思う。ある意味ゼロから曲を作るより骨が折れる作業だ。僕らはそんなことをずっとやってきた。「これだ!」ってアレンジができた曲は長くやっているけれど、そうでない曲は一回きり。すでに忘れ去った曲もたくさんある。今回はそうならないように、無駄にならないようにやれるよう準備をした。つもりだ。というのは一昨年のラオスのステージで自分的にはとてもショックなことがあった。ラオスにくればこれが鉄板といわれる曲がいくつかある。自分たちの力だけで盛り上げる自信がない時には曲の力を借りて盛り上げる。その時も鉄板のリリーフエースを投入したつもりだった。

しかし、なぜか反応が悪い。お客さんもランボンを踊るのではなくヒップホップのノリの若者ばかりがステージ前に集まる。いつまでも過去のエースに頼っていたばかりに今のラオスを研究していなかった事を反省した。このままではロートルバンドになってしまう。現場でどうできるわけでもなかったが次の時に同じことをしたらもうその次はないとおもっていた。そうして臨んだ今回。100%とはいかないがぎりぎり合格点が出るかどうか。そして、必ず合格点を取らねば次のステップに進めない。そういう気持ちでステージに上がる。最初は僕らのオリジナル曲「vientiane」。ラオスにきて感じたことを曲にしたもの。この曲を演奏するとあの頃が思い出される。ノイと一緒に歌ったこの曲。ヴィエンチャンがヴィイエンチャンであると発音の差を感じたあの時。ラオスへの希望と期待が入り混じった曲だ。そしてラオスの独立の祝う歌「Dan hang it sa la.シンプルなアレンジをして演奏する。「革命の歌だから若い人は好まない」という話も聞いた。なんでも解釈はことなるのだから、ラオスにいけばこの曲でいい。という乱暴なものではないことも学ぶ。そして、後半の目玉の曲「vientiane音頭」となる。Viviちゃんがステージに上がり20名ほどの浴衣ダンサーズを率いて踊る。昨日からの練習のおかげか、ダンサーズの動きが思ったよりもかなりいい。何よりもみんな楽しんでいる。音を楽しむのが音楽だからそれが一番だ。また一つ交流の輪が作れた。若い彼らがこの先この曲を自分たちで楽しんでくれてそして勝手に歌い、踊りつないでくれればいい。今度カラオケを作って送ってあげようかな。そして、日本語で歌う彼らの姿を見てみたいものだ。後半は先ほど話した、今回のアレンジ曲を2曲やる。一曲はCellsSackの大ヒット曲。これをソリッドなロックコードに差し替えてプレイ。心配をよそにいきなり盛り上がる。日本人の演奏するラオスのヒット曲。なんかちょっと違うぞというのが良い反応になればよいと思う。続いて「サオシェンクアン」。これは最後まで悩み正直まだ納得いっていない。それでももりあがったし、やはり踊るのは昔からのランボンではなく、今風の要素を入れたダンスだった。踊る彼らを見てまた一つヒントを得た気がする。これを次に活かさないとね。そして、このイベントの最後にアルーナ、カイ、ターが登場。スターの登場に会場も盛り上がる。

今回の新曲「My hometown in asia」を演奏する。生でやるのは初めてで幾分みな緊張気味というか出所が分かっていない感じもしたが、それはさすがのメンバーなので十分に盛り上げてくれた。冒頭アルーナがいろいろ説明をしてくれる、この曲の意味、そして意義。10年に渡るラオスとラオスの歌手との交流がなければ生まれなかったし、できるはずもない曲だった。長い月日の中で時の移り変わりは人との出会いと別れの連続でもある。新しい出会いはいつでも嬉しく、別れは悲しい。Masaoを失った僕らはここにくると、夕日の傾くメコン沿いでうまそうにビアラオを飲むmasaoの姿を思い浮かべる。そして、お父さんを昨年亡くしたアルーナ。彼女のお父さんともこのコプチャイドウで一緒に演奏をして飲んだ記憶がよみがえる。ここに来ると昔の想いが一瞬にしてよみがえるのだ。そんな僕らの生き方を記憶してくれている街。そこが僕らの故郷なんだ。日本語は僕が書いて、その意味を英語で伝え、ラオス語と英語の歌詞をアルーナが書いた。歌は12人のラオスのスターたち。大切なことは歌ってくれる人全員と僕らが関係しているという事だろう。以下に素晴らしい歌手であっても「初めまして」で始める曲ではない。この曲は僕らの生きた道を刻んだ曲。だから、歌う人もそうある縁を持った人だけで始めたい。その思いを反映させてアルーナが動いてくれたのだ。フィナーレが終わり僕らはステージを降りる。いつもと変わらない喜びと、ともにステージを作ったラオスのいろいろな仲間との会話。再会を約束して会場を離れる。

いいイベントだった。ホテルに戻り先ほどから合流してくれた安部田さんとようやくここで挨拶をして一緒に夕食に行く。なんといっても大プロデューサにあいさつもそこそこにビデオカメラを渡して回してもらうなんて、なんてことだ。まあ、今日の所はボーペニャンで許してもらおう。

ホテルからどこにでも歩いて行けるのがヴィエンチャンの良い所。一昨年はホテルの選定に失敗して結構面倒な所だった。今回は反省を活かしてのロケーション。今日は「コプチャイドウのタワービアラオを飲もう」ということで定番の店に向かう。懐かしさ溢れる店。ここでの出会いや経験が今につながっている。なんとなくしんみりしがちなのでここは飲むしかない。あまりビールは最近呑まないのだがここにくるとあいつの分までビアラオを呑まないとね、という気になる。単なる言い訳?それでもいい。うまい酒とこのヴィエンチャンの風は最高のシチュエーションなんだよね。みんなも絶対に来た方がいいよ!

 

たっぷりラオスナイトを堪能してホテルへ。今日はみんなで今日のステージを見て反省会。ちゃんとTVの端子もチェック済。上映会となる。いつもそうだが、ステージが終わったらすぐに映像を見るようにしている。ただ見たいんじゃなくて、こそに次のステージの種があるからだ。予想違いの反応もあったりするアジアのステージ。その微細な観客の反応を次に生かさなければ意味がない。何がうまくいって何がうまくいかなかったのか?それをどうすれば改善できるの?そういうことを真剣に考えていく自分たちでありたい。みんなに「ちゃんとみて活かそうぜ」といいつつ自分自身がかなり眠くなり、コンビニで買ったビアラオ(90円位?)も飲み干せず01:00部屋に戻る。

まだまだ前半。明日からも頑張ろう!

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