癒されて癒されて

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GQとアー

ラオフェスが終わって一週間。
癒されたなぁ。なんだろう、本当にラオス人の穏やかさ、優しさにはいつも心を癒される。

人は自分にないものに憧れをもつというが、僕はそうなんだろう。
このラオスの人々のソフトさがとても好きだ。

僕の言うソフトさというのは決してアバウト差とかそういうことではなくてね。
アバウトな事はあまり好きではないのでそういう意味ではないことを付け加えておかないとね。

実際僕等が接しているラオスの人々はみなきっちりしているし、素敵な人ばかり。
そんな出会いがどんどんこの国を好きにさせる。

本当にそういう気持ちにさせてくれるね。

荒井先生、シートン大使と

フェスのグランドフィナーレの映像を見た。
うむ、非常によい感じ。この日はアレクサンドラは参加できなかったが
CELLSとアー、そしてサンドラパパの連れてきた舞踊団もステージに。
途中で踊るラオダンス(なんというかわからないんだけれど、盛り上がってくると
みなこのステップを踏む。ランボンとは違うんだよね)がとっても民族的で
ぞくっとする。いい時間だった。

映像はこちら↓

Finalewatch?v=k5fMuXsBHvo

07年に参加できなかったのでようやく今年ラオスを日本でも満喫できたと思う。

若き情熱

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今回のラオフェス。いつもの公演と違うところがあった。
中野さんや氏神さんというすばらしいシンガーとの共演はもちろんのことだがもう一つのトピックス。子供達とのステージだ。

これはこのイベントに参加させてもらうことが決まった時点から考えていたことだった。何かラオフェスだからこそできることをしたい。

イベントの主催者の国際学園は子供達の学習の意味合いも含めて、ラオスに学校を
立てる活動を行っている。大人になればそれもわかるが子供達が異国の子供達のため
に何かをやろうということは、僕らのそれとは異なり、とても大変だと思うし、実際自
分が高校生だった頃、そんな視野を持っていたかというとただのぼんぼん高校生であったと思う。

時代が違うといえばそれまでだが、そんな話を先生に聞いてから、ここの生徒はどんな子達なんだろう。という気持ちが湧いてきた。

ちょうどその頃、仙台からきた小学生に、ラオスのことをお話するミニセミナーをやったばかりでそのときも子供達のきらきらした目を見て驚かされた。
セミナーの最後に「ぼくはいつもアジアにいくと、きらきらした目をしたアジアの子供達に、日本人の子供達にもみんなのような元気な子供達がアジアにいるってことを伝えようとおもいます。といっているんだ。だけれども、日本にもこんなにたくさんのきれいな目をした子供達がいることをこれからは伝えていきたいと思います。」

と言った記憶がある。

自分の中で勝手に今の子供は元気が無い、なんて作り上げていただけだ。

そんなこともあり、国際学園の子供と何かやりたいな、なんて思っていた。でも、プロのダンサーではないしどこまでできるのだろうか?ダンスにどれだけの情熱を持っているのだろうか?ということについては不明だった。

そして、春。学園の奥谷先生のご招待でダンス部の発表会に行った。楽しみだったし、どきどきでもあった。そして。

そこでみた子供達はまさに輝いていた。

「踊ることが楽しい!」
「ダンスをしている今が最高!」

全身からその力がほとばしるほどのステージだった。

やりたいからやる。大好きだから頑張る。

音楽の基本もそうだ。

そんな彼らとのステージがある。それが今回のトピックスでもあった。
僕らの音楽でこれからの子供達に何を伝えられるかなんて大それたものではないと思う。しかし、生バンドで踊る。大きなステージで踊るということはきっと彼らにとって何か一つのトピックスを提供できたかもしれない。

ステージではみな気持ちよさそうに舞っていた。
帰り際、子供達が笑顔でshinonに声をかけて帰っていく。
また、やりたいな。
そうおもった。

音楽によって交流するのは何も異国の人ばかりじゃない。
中国で「音楽は国境を越える」と学生に言われた。
そうだ、国境も年齢も経験も全て越えることができるのさ。
大事なことはできる、出来ないじゃない。
今やっていることが重要なんだな。
また、どこかであの子達と同じ舞台に立ちたいなと思った。

ポップカンマイ!

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ラオフェス二日目は大雨。
ある意味ラオスっぽい?そう、雨には強いのだ。

ということで会場に。昨日と比べると格段に人の出は少ない。
そうか、ここは日本だった。雨には弱い国だ。
ステージも寂しい感じであったが、そこを盛り上げねばということで気持ちも入れる。
やりはじめるとお客さんもだんだん集まってきていい感じに。
今回は基本的にラオス語でいこうということに専念してセットもそんな感じにした。

なので日本人のお客さんにはあまりわからないだろうなぁ、と思いつつ
それがラオフェスの本流だからいいのだ、と心に決めてセットリストを作成。

いつもこの手のフェスならばROCKで盛り上げていくが、しっとりとした曲で行く。
それだからこそ、ラオス人のお客さんはよろこんでくれた。ブンミーさんもいつもとは
違う顔で盛り上がってくれていた。
これでいい。


遠く離れたこの国で日本人が演奏するラオス語の曲はどれだけ彼らの
心の中に残っていくだろうか。
ラオスを思い出してくれれば本望である。
音楽とはそういうものなのだ。

GYPSYQUEENのあとしばらく時間があったので会場にでてブースコーナーへ。
ビアラオにご挨拶。なんていってもビアラオは僕らの大好物。
masaoは常時ビアラオジャケット着ているしね。
そして、このフェスも大詰めである。最後の出演者サンプラザ中野くん
さんの出番だ。3曲だが、僕らもきっちりやらないとね。気持ちは自然と入っていく。
中野さんはやはりすばらしく、本番前に覚えたサバイディ、とコプチャイ
そしてコイスーサンプラザナカノクン、の3つのラオス語で会場を見事に
まで盛り上げる。天才だ。

凄いぞ。中野さん。

そして、フィナーレへ。
フィナーレでの僕らが何をすればいいかはあまりわからなかったが、演奏をすることになり、さらに
ラオス人全員がステージに出てのフィナーレいうことになり、当然重要な任務となった。
もちろん、頑張るしかない。

dan hang it sa laをロックアレンジに変えて、イエンサバイサオナもラオスバー
ジョンに変更。
間際の変更だがみな文句一つ言わない。これがスーパーポジティブ集団GYPSY QUEENの
所以であろう。大切なことは何のためにステージに立つかだ。それがわかっていれば
いま僕らがやらなければいけないことは一つ。そこに全員で取り組むだけだ。

荒井実行委員長とシートン大使のご挨拶のあとステージに。
しのんの登場とともにラオスのアーチストがみなステージに上がる。
はじめてラオス人歌手と一緒に歌うdan hang it sa la。

あたりまえだがみんな歌えるし、ラオス人の歌うこの歌はshinonとはまた違った
味があり美しい。

オーバーダンスというグループのボーカルアーは一昨年にもこのフェスで来日してい
るラオスの代表的なシンガー。彼に挨拶に行くと「知っているよ、毎日テレビで
GYPSYQUEENを見ているよ」といわれる。僕らのPVがラオスのMTVで毎日放映されてい
るということで、仲良くなるのにさほど時間はかからなかった。

CELLSのみんなはラオスのハードロックのトップアーチスト。演奏はヘビーだ。そん
な彼らも物凄くいいやつらで謙虚でまじめ。ラオス人共通の礼儀正しさは仏教の教え
からか。
「一緒にステージで演奏しようか、楽器かそうか?」というと「歌と盛り上げ役をやるの
でGYPSYQUEENさんが演奏してください。楽器を貸してくれると申し出をしてくれてあ
りがとう」といってくる。

謙虚だ。
すごいぞ。CELLS。
凄いぞ。ラオスの教え。

そんな彼らと共に、実行委員会の人々、大使館の人々とファイナルを迎える。

see you next time!

最後にシートン大使の言葉が会場に響く。
最高の笑顔。そして、みな楽しんだ。
みな笑顔だ。

よかった。

ポップカンマイ!

Laos Festival

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いよいよはじまったラオスフェスティバル。2年前の第一回目のときはベトナムにいたので参加できなかった。

そういう意味では僕等にとって初のラオフェスである。

ビアラオが飲める!

会場に着くとその人の多さでびっくり。結局初日は9万人の人出という。

すごいぞ。ラオス。

ステージまでは時間があったので会場を一回り。いろいろなお店が立ち並ぶ。ラオス100%という店が少ないのは残念だけれど

ビアラオがその存在感を表す。なんていってもこのビアラオ最高ですよ。ほんと。会場はすごく混んでいてゆっくりまわるというほど

時間はなかったが大使館のブースにいったり、歩いているといろいろな人に会えてなんだかラオスにいる気分に。それがいいんだよね。

ステージをみるとしっかりしたかんばんや協賛社のバナー、そして照明の数も結構あるぞ。そんなことが気になる。

一昨年の映像を見たが天地の差だ。この設備のすごさ。

すごいぞ。ラオス。

民族舞踊や、会場ではシンの販売とかなかなかみれないラオスの民芸があふれる。現地の10倍くらいの

値段だがそれはいたしかたない。飛行機代を考えればね。みんな知らないだろう。この国の素晴らしさ。

だから見に来て感じてほしいね。

楽屋にいるとなんとサンドラのお父さんが。これは懐かしい。以前vientianeのサンドラの家に行ったときに

いろいろ面倒を見てくれた優しいお父さんだ。今回はラオスから舞踊団を連れてきているという。芸能一家だからね。

サンドラパパと

そして、いよいよステージ。

GYPSYQUEENはラオスにちなんだ曲を選曲。Bor Luem vientianeは故郷vientianeの素晴らしさを歌ったもの。

Dan Hang it sa laはラオスの独立のときに歌われた自由の歌だ。この曲は僕らのCDにも収録している唯一のラオス語曲。

ものすごくきれいなメロディで、ラオスのバンビエンというところに行ったときに当時の政府の担当者がべろべろに酔って

alunaのホテルで歌っていた曲をアレンジして僕等のレパートリーに加えた曲だ。

こうして選曲しているとその時その時の風景が思い浮かぶ。

「ああ、あの時はこんなかんじだったなぁ」とか「alunaげんきかなぁ?」と。

そんな思いがたくさんあるので演奏をしていても楽しい。

そして、オリジナル曲vientianeも。

この曲は僕等が初めてラオスに行った時、帰国後に書いた曲だ。何も知らなかったラオス、行ってびっくりして

感動して、今までうっすらと違うものを想像していた自分の知識との差に驚き、改めてラオスについて思い出しながら

作った曲。僕等のラオス入門曲でもある。

ラオスについた夜。赤嶺さんとコプチャイドゥで飲んでいたときに急に激しいスコールに襲われた時のことを思い出した。

後半は国際学園の生徒にも参加してもらいクラパクサンを。

このダンス部の生徒。ものすごくいいのよ。

なんというのかな。ダンスが好きです!そんな気持ちがあふれている。

好きだという気持ちには何もかなわない。その強力な情熱に感動した。

そして一緒にステージに上がってもらうことになる。

みんなこれからたくさんの夢を抱えていくんだろう。

なんでも思い通りにはならない。

だけれど思い通りになれなくてもよかったと思える生き方をしてくれればいい。

自分を大切にしてこれからの長い人生を過ごしてほしい。そうすればきっと素晴らしい未来が待っている。

そんな中でこのラオフェスが彼らの記憶の中でしっかりと一つのページになってくれれば

僕等の存在意義にもなるね。

そして、最後はkobjai。これもラオスで作った曲。まあ、セッション曲だ。

なかなかそられないラオス語。kobjaiはラオス語でありがとう。この言葉だけでも日本人に覚えてほしいと思う。

ここでAlexandra登場。ラオスのアイドルとの出会いは2004年。vientianeのNational Culture Hallで共演して以来友人として

付き合っている。少しづつ大人になってくる彼女。今では大人の女になった。

kobjaiも彼女との初めて演奏した曲だ。今日は久々だし、RHなしということで緊張もあったが、さすがサンドラ。

クールなラップで決めてくれた。

すごいぞ。サンドラ。

そして江戸時代からきた氏神さん。

氏神アジワンとして3曲を演奏する。

ラオス語は何も知らない。しかし、kobjaiを連発する。

すごいぞ。氏神さん。

豪華な9人のダンサー&エミッコの2人を加えてステージは大所帯。

コスチュームもこだわって盛り上げてくれる。

学園の生徒にも共通するが「やりたい!たのしい!」powerは何よりも強い。

この気持ちは音楽の基本になるんだろう。

もちろん僕もその気持ちを持つ。しかし、時にはそれが思い出せない時もある。

そんな時はだいたいしょぼい自分がいる。

そんな自分でいたくない。このみんなのパワーの中にいるとまるで充電されるように力がみなぎってくるのが

分かる。

すごいぞ。みんな。

コンサートも終わりビアラオをのみつつ、CELLの演奏を見る。ラオスから来たアーチストはもろROCKだった。

ラオスは変わってきている。このrockもOKなんだ。と思う。毎度のことだが国はどんどん変わる。

経験をあまり分厚い盾にするのはやめよう。いつでもスポンジのように吸収力のあるように。

終了後はお台場に。サンドラのバースデーパーティに参加する。

メンツは20人ほどでサンドラのプライベートパーティ。

レインボーブリッジを眺めるゴージャスなホテルのテラスでバースデーを過ごすサンドラ。

共通語は英語。そこにはランボンを踊る人はいない。

ドレスアップした多国籍の友人たちとラオスのスターはこうして一つ年を重ねる。

明日の準備もあり途中で変えることにしたがとびきりキュートなサンドラのBarthdayは素敵な空間だった。

そして今日最終日。

今日はサンプラザ中野くんさんとのステージもある。ラオスフェスを通して多くの人にこの国を知ってもらいたい。

みんなが思っているイメージは一瞬にして壊れるだろう。そして、この魅力に取りつかれると思うよ。

ラオスで頑張ろうという言葉はないと以前聞いた。それを僕は「ラオスでは頑張るっていう言葉はないんだよ」と

何でも知っているように話した。でも今はそんなことはない。みな同じように頑張るし、ちょっとちがうとすれば

頑張るという表現ではなくて楽しむという表現なんだろう。

それは自然だ。

この美しい自然体。

僕等も十分に楽しんでこよう。

kob jai

laos festival2010

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いよいよ今週末はラオスフェスティバル。

北京から頭の切り替えはできるの?とよく聞かれるが全然関係ないんだよね。

もちろん新しく覚えることや知ることはあるけれど基本的に体の中に皆入っているのでたとえばパスタをたべた翌日に中華をたべて「うん、胃がきりかわらないな」といっているのと同じ。

ただ、気持ち的には大きく切り替える。

ラオスは2002年から行っているアセアンの大切な国。

中国でもそうだが、ここにもとっても大切な人がたくさんいる。

今回のライブでもアレクサンドラと共演したり、いろいろ良き関係が広がるだろう。

22日には氏神一番さん、23日にはサンプラザ中野くんさんも登場する。

シートン大使もきっと喜んでくれるだろう。07年の時には日本にいなかったので参加できなかったからね。

代々木でラオスの曲を広めていこう。いいリズム、いいメロディの曲がラオスにはたくさんある。一人でも多くの人がラオスを知ってくれればいいと思う。

北京後記

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久しぶりの北京のみのツアーもいろいろな人と会ってあっという間に終わった感じ。

帰国後もロンドンのバンドと連絡をとりあったり、僕等のアテンドをしてくれた王飛ちゃんから感激のメールをもらったりして、

「ああ、これも一つの日中関係のためになったのかな?」等と思う。
日本ではなかなかフォントの関係もあり情報を検索することさえ難しいがいくつか情報がでていたのでアップします。
結局、GYPSYQUEENのCCTVで収録された番組はまだ分からずじまいだがニュースで少しでてました。

CCTV englishのサイト
http://english.cntv.cn/program/cultureexpress/20100505/101396.shtml
あとはWEBにもでていました。
http://www.bjchy.gov.cn/life/dxhdyg/8a24f09a286c7bd4012871b8dad80122.html

要約すると
「吉普賽女郎は自分達のロックと中国民謡を2曲アレンジして、観客に民族と流行の
完成した美しい結合を体験させた」という感じだそうです。

こんなのも
http://www.popchaoyang.com/photo/40288384284e0da80128599ae9b4003d.html

今回は次なる種まきになっただろうか。

どこがゴールかは分からない。

まあ、ゴールなんて最初からないものだ。

走る続けるのみだ。

そして、今週末はラオスフェスティバル。

気持ちも頭も切り替えてイエンサバイな感じで臨みたい。

相約北京9

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気が抜けてそのままホテルへ。ランチに合わせてmasaoも帰ってきた。

天壇の感想とタンとのミーティングの報告をし合いつつ食事。そして、今回最後のインタビュへ向かう。

13時。ロビーにコンシュルジュの川口さんはすでに到着していた。

コンシュルジュさんは上海でもお世話になった媒体で今回も取材をしてくれることになった。

いろいろ話せた。全てが終わった後だからちょっとだけ余裕をもって話せた気がする。

さあ、これであとは帰国するのみだ!ロビーでダラダラしているとラオリーが出てきて「チェックアウトをしてください」。とせかされる。

なんだ、まだ大丈夫なんじゃない?とりあえず、荷物を持ってロビー集合。

チェックアウトをしてしまったので空港に行くしかないのだがここで老北京でジャージャー麺を食べようということに。

ラオリーが面倒みよく僕等の荷物をバンに積み込み、ドアまで締めてくれる。

老北京の場所は僕しかわからないということで「AKIはここ」と助手席に乗せられる。

うれしいね。なんでここまでしてくれるんだろう。

愛すべき友人だからか?そうだ。それ以外に理由はない。僕等は単なる老朋友なんだ。

ここで老リーともお別れ。最後の握手が一番固い。

また、会おう!友よ!

お別れ気分モード。

バンに乗って3分程度で老北京着。

ここは05年天壇近くの同じ店に来て以来はまっている店。

古い北京の街に来た感じのする店だ。

店員はみな元気で当たり前だが僕らはお客として歓迎されている。

05年。僕らが店に入った時「日本人はその狭い席でいいよ」と突き放された。

すべてがしぼんだ。

夢も希望も中国への気持ちも。

小さなことだけれど人はそんな些細なことで折れてしまう。

そして、今では普通のお客に接するように歓迎してくれる。

あたりまえもうれしいんだよ。この気持ちは分からないかもね。

僕らに興味をもってまわりにきてくれる。オーダーすると笑顔で食べ物をとりわけたりしてくれる。

この対応が今の中国なんだなと思う。

大雨の時はいつまでも続かない。いつか晴れ間になる。今がその時なのだろう。

乾杯。冷え切った燕京ビールでツアーの成功を祝おう。

さあ、そろそろ帰らなければ。ここでこばじゅんともお別れだ。でもあまりそんな気がしない。

今回ずっと一緒にいたおかげで本当に一緒のチームになれた。

だから「またね」でいい。

14:40出発。空港に向かう。王さんにCDを渡すとすごく喜んでくれた。

いつか日本にきたらみんなでサポートをしてあげよう。

そして、15:10空港に到着、ここで王さんともお別れだ。

ありがとうね。

そして最初の6名に戻り僕らはチェックイン。

帰りも6人で121kgと軽量だった。

案外空港内はすいていて搭乗ゲートにてゆっくりとお茶をする時間もあった。

1655、CA183便へ搭乗。

17:30のフライト予定だが天候不良で離陸に時間がかかった。Takeoffからかなり揺れた。

第3章6幕はここで閉じることになる。今回は久しぶりに北京単発ということでもしかしたら暇を持て余すかもなんて考えていた。そうなることはあまりないが05年の北京は苦労したし、実はあまりいい思い出がない場所でもなくはなかった。しかし今回それを払しょくできたと思う。

苦手意識はいつまでも続く。だからこそあえて飛び込んで記憶を変えてやろう。

きっと次からはもっと良くなる。

北京に降る五月の雪は幻想的だった。北京の風物詩ともいえるが決して気持ちいいものではない。

季節が変わるために必要なことであればそれは昆虫の脱皮に似ている。

僕等も一皮むけていくのだろうか。そうなるべきなんだろう。

夜のフライトはあっという間でもう日本領空に入ってきた。いろいろ整理をしていると3時間はあっという間だ。

僕等はようやく帰ってきたのか?日本にじゃない。中国にだ。

離れたと思ったら一周りしてもう一度この中国に帰ってきたんだな。そう感じた。

21:50予定を少し遅れて羽田に到着。いつもの成田とは風景が違うから違和感があるね。それもまた慣れていくことだろう。

これからも学び続けよう。

世の中はいつでも新しく変化している。

みんなありがとう。

GYPSY QUEEN ROAD TO ASIA#26
2010/04/30-05/04
MAY snow in Beijing

相約北京8

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会場を後にするころには18時をまわっていた。

すでに夕方だ。ホテルに戻る前に四川大地震の被災地に幼稚園を建設するプロジェクトを行っている迫さんのオフィスに行く。

ステージが全て終わったので若干気が抜けている。それでも僕等は限られた時間の中動かなければならない。

悠長に事を進める時間は無いのだ。

場所は先日きたDX!の近くで最先端の北京を感じさせる一角。ここにオフィスはあった。

白で統一されたいい感じのオフィス。到着すると日本人よりも日本人っぽいという巨さんが最初にあらわれる。

この建設プロジェクトの担当をしているという。ものすごく日本語がうまいと思ったら日本に住んでいたという。普通に日本語を話す優秀なスタッフだ。

迫さんといろいろこれからについて話す。前回のときはあまりじっくりと話ができなかったので今日は会えてよかった。

何度も危機に陥りながら踏ん張り続けている様は僕らに共通する。力を合わせていこうと話し合う。

日本人同士でも同じことで会って話さないと真意が伝わらないことは多い。タイトな中、会えてよかったと思う。

迫さんの事務所を19時に出発。バンでホテルに帰る。僕には気がかりなことがあった。こちらに来てからタンさんと会っていない。

主催者として忙しいのはわかるのだが招聘した当人と会えないというのは不自然だ。

「会いたくないんじゃない?」。

いや、そんなことは無いと思う。

でも会ってみないとそれがどうなのか憶測の域を出ない。

だからこそ確信を持つためにも何としても会いたかった。

今回は多くの成果を残した。しかし一番の目的はタンさんと作っていく「これからのこと」だった。

その話のために来たといっても過言ではない。

そして、その返事がないこと3日間。焦りは蓄積されてゆく。

もろもろの行動が押したこともありホテルには19:30に到着。

タンさんからはホテルのshinonの部屋に連絡がくることになっている。でももう出なければいけない時間。

会食は近くの韓国人街なのでとりあえず携帯で連絡を取ることにして出発する。

ホテルからタクシーで1メータ位の場所で立派な門というかこのエリアに入る口がある。

そして暗闇の中そびえたつビルの中を抜けて到着。うむ、絶対一人では帰れない。

そしてここに住んでいなければ絶対にこれないような場所だった。周りを見るとほとんど住んでいる人たちは韓国人のような気がする。

完全なコミュニティが形成されているといっていいだろう。

その後、タンさんとのアポは今日は断念し明日に切り替えることに。

すでに21時近くになりこの時間に忙しい状態の彼がここまで来ることは不可能に近いし考えられない。

とりあえず明日の12時にアポを取りたいという形になったが本当に12時にホテルに来れるか?ということに関しては不明瞭であった。

微妙である。

不安だ。

宴席はおいしい韓国料理で盛り上がる。今日、ようやく打ち上げ解禁の岩渕も楽しそうだ。

公演が終わるまで気を抜けないのであまり個人的には話ができなかったが、今日、こうして話ができることもよき事だ。

今日はフェリシモさん、マリアージュさんの社長さんとの会。いろいろなお話を聞く。

やはりこちらでやっていくというのは並大抵ではできない。

日本からこちらに来てやるには何でも自分でやること、そして気持ちを保つことが重要だ。

タフな日本人がたくさんいることに今回は気づかせてもらった。

がんばっている日本人とたくさん会えたことが大きな収穫だったかもね。

ホテルに戻り恒例の反省会。

部屋に集まりビデオの確認と今回の反省会を始める。

足りなかったこと、こうすればよかったことなどはたくさんある。

それは後からでは記憶も意識も変わる。今洗い出さなければベストの次を生みだすことができない。

今回チーム一丸で乗り切れたことに心から感謝。初参加の岩渕もプレッシャーに潰されずがんばった。

そして、この場を作ってくれたスタッフに感謝。

感謝の宴はよいものだ。

かなり酔って解散。たぶん2時くらいか?

2010/05/04
6:00起床。かなり二日酔いだ、大体何時に寝たかもわからない。

7:00朝食。今日は打ち合わせチームとご褒美の観光チームに分かれmasaoと岩渕は天壇公園に向かう事になった。

8:00masao出発。タンさんに連絡をしてホテルまで来てもらうのではなくてこちらから演出公司に行くと伝える。

当たり前のことである。こちらからアポをとっているのだから。

10:30のアポをもらい一安心。行けば会えることになった。

その後部屋にてミーティング。これから話すこと、確認事項を共有する。

情報だけでなく意識を共有することは非常に大切だ。

10時にホテルを出発する。演出公司までそこそこ混んでいてジャストくらいに着くと思ったがここで事件発生。

タクシーが止まった所は移転予定先の演出公司で今はまだここには入居していないとのこと。かんばんは出ているのに。。

これはまずい。連絡を取りつつ向かうがすでに約束の時間は過ぎている。

アポは10:30から11:00までだったがすでに10:40近い。

なんとか行き方を確認して向かう。「あった、あった」。目印のホテルを発見して、その先に無事到着していたこばじゅんを発見。

やっときたぞ。って感じだね。

そこは昔ながらの建物であった。重厚な建物だ。そんな雰囲気の中、エレベーターもない4Fにオフィスはあった。

応接に通され待っているとタンさんが来た。

心配はその笑顔で一瞬に消えた。

慌ただしく応接室に入ってきた彼は、忙しくてここ数日まったく動けず申し訳ないと謝っていた。

三日間ほとんど寝ていないようなことを言っていた。そんなに疲れていても、再会の喜びにあふれた顔がうれしかった。

今回、僕らを招聘してくれたのは彼であり、当然といえば当然だがコミュニケーションがとれない中で不安は大きくなっていた。

でも、それは一瞬で消える。

直接本人と会うことで疑問は一つしかない事実に変わる。会うことの重要さ。いつも感じることだ。

彼とのミーティングは非常に有意義であり意味のあるものであった。

今回のステージの評判が良かったのか、それがすでに伝わっていたのか?どんどん話が広がっていく。

時間にして30分足らずだが今回のツアーの中で大切な一つの打ち合わせを満額回答で終えることができてほっとした。

うん、ものすごくほっとしたね。

昨日からの肩の荷が一気に下りた感じだよ。

会いに行ってよかった。

常日頃会いに行かなくちゃといっているにも関わらずタンさんについてはずっと「きてくれ、待っている」だった。

会いたい人が会いに行く。当たり前のことだけれど忘れていたかも。まだまだ、ぼくらにはわからないことや足りないことがたくさんある。

だから行動しなければね。

相約北京7

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2010/05/03
6:30起床.最近この時間が多いね。以前も話したが太陽が出た後に起きることができる幸せに感謝。

7:30朝食。ここで昨日を振り返りスタートの遅れをを鑑みて出発時間を遅らせてもらう。

それにしても今日もいい天気だ。暑くなりそうな予感。そういえばまたもやこの時間は柳も舞っていない。

「北京の人は気にならないの?」と素朴な質問を王さんになげかけると「みんないやですよ」とあっさり返ってきた。

だよね。それは当たり前か。でも、マスクとかで予防している人はあまり見ないんだよね。

今日のステージはROCKな日。カナダ、イギリス、日本のバンドの共演だ。なんとなく気持ちも高ぶる。

最初はカナダのバンド。ちょっとマッチョ系でR&Bを聞かせてくれる。いいね。ステージの音響も低音がずんずん響く感じだ。

そしてイングランドからは「MERODRAMAS」。このバンドものすごくかっこよくて感激。草食系っぽいところがブリティッシュな

感じをさらに強調する。

元来ブリティッシュ好きなぼくにとってこの手のサウンドはドンピシャである。

ビートルズを思わせるコーラスワークも美しい。

マネージャーに話を聞くとベトナムでも公演をやっているみたいでアジアに関心が高いという。

いつか日本でもできたらいいな。

そして最後に僕らの出番だ。他のバンドがいいパフォーマンスをするので自然と気持ちも入ってきた。オーディエンスも昨日よりもかなり多くなっている。

ここはROCKで押し通そう。北京のみんなが待っている。

ライブ向きを想定して作った新曲Camonではかなりいいパフォーマンスができた。

簡単な日本語を使おうと思って作ったので日本語を少し勉強した人であればサビは理解できる。

そんな曲作りもありだね。

康定情歌ではmasaoのドラムパフォーマンスが受ける。かなりベタだけれどね。

でもこんなプレイ彼しかやらなんだろうな。そう思うとすごい。

そしてステージは終了。手ごたえがあった。反応もわかった。

おつかれさま!

ステージを降りるとさっき出た2組のアーチストから「R&R!」と声をかけられる。

この多国籍チームのあっという間に一つになる。音楽って不思議だ。

ステージをやる前よりも強く、気持ちの入った言葉で「一緒にやりたいね」とお互いが言葉を交わす。

2時間前に初めてすれ違った人が今はパートナーになろうとしている。

うん、いい感じだ。

その後CCTVのインタビューがあった。

このステージはCCTVの収録もありどこかで放送されるようだ。

こういう素材、どんな風に紹介されるか一度見てみたいものだが今回に限らず現地でのオンエア分を入手したことがない。

まあ、環境を考えれば入手しにくい映像素材ではあるが、できることなら見てみたいね。

そして、一度ホテルへ。ここで北京の情報誌「tokotoko」の大西編集長と合流。そしてインタビュー。

よく「人に自分たちのことを説明すると客観的に自分たちが見えてくる」というが本当にその通りである。

インタビューで語る言葉に自分が納得しながら言葉を発している。

そうなんだ。日中の音楽による交流の意義、役割などを話していく。

取材も終わり、そのままランチも一緒にということでレストランへ。

またメニューは一緒かなとおもっていたら中身が変わっていた。

ラッキー。ケーキがあったのですかずGET!といいたいところではあったがなんとスイカのトッピングをみて断念。

ケーキにスイカなんて。。ありえない。。

午後は再び会場に戻り最後のステージへ。司会の女の子が妙にフレンドリになってきた。

このステージには共演者として「ボリビアの美少女楽隊」と書いてあった。しかし、違う人がスタンバイしている。

北欧系のグランジっぽいトリオバンドでイレズミとかしている。

「話が違うじゃないか」。結局来なかったそうである。まあボリビアは今いろいろ大変な時であるしね。

楽屋はますます柳降る。口に入ったりベースのケースに忍び込む柳。どうにもならないくらいでイライラするね。

その頃、ステージではもう一人のカナダ人「ジョウジ」が歌っている。

彼は全編中国語で押し通す。これは反応が良かった。。

すごいね。白人の話す中国語はとっても不思議な響きなんだろう。

いろいろな人の所を渡り歩く彼にとってはコミュニケーションが最も重視させる。だからその国の言葉を大切にするんだね。

そして僕らの出番となる。早いものでこれがこのツアー最終ステージだ。

いくぞ、と気合を入れた後、開始直前に持ち時間が変わり急きょセットリスト変更。

組みなおしてちょうどスタンバイ。うまく時間が流れている。

お客さんは今までの中で最も多い感じだ。しかも天気が少し曇ってきたこともあってすごしやすい。

4度目のステージで4人一体となった感じがする。

最初から飛ばしていき、中国語曲「家郷」やオリジナルのロック曲「フロイト」なども加えてステージを構成する。

他の外人バンド(ジョージを除き)と違うのはやはりshinonが中国語で話すことだろう。

歌詞の意味やエピソード。多くの中国人が英語を話すようになってきたとは言え、それはほんの一握りだ。ほとんどは中国語でないと伝わらない。

だからこそこういったスペースでの公演は中国語でできるかどうかが分かれ道になる。

ジョージが受けているのもそういった理由だろう。それがよかろうと何だろうとお客さんが喜んでくれればいい。それが絶対だ。

ユーザーオリエンテッドな考えは音楽でも同様。

その方程式で盛り上げてステージは終了。もっとやりたいくらいだったね。

お疲れ様。メンバーのみんなありがとう。スタッフのみんな、ありがとう!

気持ちよくステージの急な階段を下りるとみんなの笑顔が待っていた。

写真撮影にサイン。楽屋だから外からは入ってこれない。

ここにいる人はみなこのイベントを作ってきてくれたスタッフだ。うれしいね。

制作の責任者からもお礼を言われる。「来年も来てほしい」と固い握手を求めてくる。

ありがとう。

きっとそうなるよ。

また北京に来るよ。

これで05年の厄も払われただろう。

相約北京6

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 2010/05/02

6:00起床、7:00食事。岩渕はほぼ徹夜で準備をしていたという。MACHAのトラはそれはそれはプレッシャーなのだろう。8:00ロビー集合。

バンに乗り会場へ。昨日開始が遅くなったこともあり、今日もそうなるだろうと思うがここはお任せモードで会場へ。

不思議なことに今日はまだ柳も降ってこない。そういえば夜もなくなるんだよね。

Shinonは歌っていると口に入ってきてむせてしまったと言っていた。これ食べちゃうのはやだなぁと思う。

今日はチリから来たフラメンコと一緒のステージ。フラメンコダンサーってカッコイイ。

本場のダンサーを見たのは初めてだったのでリハーサルを純粋に楽しまさせてもらう。

そこにこっちに向かって手を振っているダンディな人がいた。なんと老リー登場!

2004年のツアーの時、僕らのバスのドライバーを務めてから北京にくるとずっとサポートしてくれた老朋友の一人だ。

05年の反日の時にもライブハウスまでわざわざ応援に駆けつけてくれた。仕事を超えた親友だ。

この人、政府関係のドライバーを束ねていて偉い人なんだろう。

僕らが演出公司のタンさんとまだ連絡がつかない、と言ったらいきなり直接電話をかけてタンさんにつないでくれた。

彼にあったことでどれだけ元気になったかわからない。

今回も参加者リストを見て僕らの名前を発見してくれてわざわざ来てくれたのだ。彼はチリチームのドライバーだという。

「なんで日本チームじゃないの?」と聞くと彼は大きな車担当らしく10人以下は違う人になるという。

「だから来年は10人以上でこい」と笑いながら言っていた。そんなこともありテンションアップ。

11:30からのステージは気持ちも入りいいステージになったと思う。

岩渕も二日目でようやく慣れてきたようでギタープレイに抑揚が出てきた。いい感じだ。

みな、いい顔になってきている。

昼前にホテルに戻るとリータオの友人が携帯と地図を持ってきてくれていた。

僕は地図で大喜び。viviちゃんも携帯に大喜び。

そしてyokosoJapanの柏木さんと一緒に柳降る中、近くのSPACafeへ。

スタバみたいなチェーンで北京市内いたるところで目にする店だ。

話を聞くと日本と中国の間で活動される人たちの苦労や今の中国の勢いが分かる。いい時間だ。

その後ランチへ。午後はようやくオフタイムということで秀水に向かう。ここは先日の交流基金や大使館近くのエリア。

今回はなぜかこの辺が多いね。コバジュンの家も近いという。久しぶりにゆっくりとした午後。

夜はBTVの王さんと会食だ。ホテルに登場した王さんは颯爽とした感じ。

市内に家を5軒もち、車も毎回違う外車で乗りつける。まさにエリートである。

王さんとの出会いも長い。2002年呂遠さんの作品コンサートに出演するために呂遠作品を覚えなければいけない。

そして、その曲は誰も知らなかったし、譜面も恐ろしくアバウト&画質が悪くかなり追い込まれた状況だった。

その頃ヨタさんの知り合いであった王さんとshinonが連絡をとり歌を教わることから僕らのストーリーは始まる。

柏の駅で待ち合わせして初対面の二人が路上で中国の唱歌を練習する。

これは今思うとすごいよね。あの頃はすべてがチャレンジだったからどんなことでもやってのけた。

そしてそれが今でも大事に残っている。

人と人と交流の記憶はなかなか消えるものでもない。

一緒に日本で中華料理に行ったり、04年に北京のBARにライブを見に来てくれたり、05年大晦日に落ち込んでいる時、雪の中を京胡を持ってきて和ませてくれり僕らの北京には絶えず登場している人。

そしてBTVの文芸担当でもあり著書もたくさんもつ。

最新作にはshinonにもコメントをしてほしいということで実際に王さんの本へのコメントをshinonが書いて載せてもらっている。

それをやっている人、それが王さんである。

王さんが御馳走してくれるというので老北京に行きたいというとそんな安いものはよくない、といわれさらに歩くには遠いということで別の場所へ。

僕もそんなセリフ言ってみたいゼ。

よさげな火鍋屋があったがそこが閉店していたので結局ヨーカー堂の中にあるレストランへ。

しかしそれが大当たり。非常に綺麗かつおいしい店だった。

王さんからはBTVで何かドキュメンタリーができないか考えてみるという。

僕らの構想に対して100%のエールを送ってくれる。思えばもう8年の仲。

語りつくせないほどの歴史を持つ朋友だ。

ホテルに戻りひと整理。写真やこのレポも。

テレビをつけると万博の模様がまだ続いている。

谷村新司さんが歌っているとなぜ彼が歌っているかを説明するような話が出てきたという。

まだまだ気にしなければならない所があるんだなと気を引き締める。

安心はまだまだ危険ということだろう。

1:00就寝。いよいよ明日が最終日だ。

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